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古関裕而さんの音楽って、どういうポリシーで創られているんだろう?
皆さんご存知のように、幅広いジャンルに5000曲も作曲されています。 軍歌から童謡まで。 行進曲から演歌まで。 とても一言では言えません。 私はフト気づきました。 この統一感が無いことこそ、古関さんの特徴なのではないのかと。 一般に音楽家は、自分の流派を持っています。 ジャズがベースになっている、とか、 「この人はボサノバだ」とか。 クラシックなら、ロマン派だ、とか印象主義だ、とか。 実際、古関さんは、当初クラシックの作曲を研究してきたわけです。 その匂いをさせずに、あらゆるスタイルの音楽に挑戦しています。 あえて言えば、「目の前の人々を気持ちよくさせる音楽を目指していた」と言えるんじゃないでしょうか?時 軍国主義でみんなが滅入っていれば、その気持ちに寄り添って癒すメロディー。 敗戦で社会不安にさいなまれている時は、逆境の中でも、押しつ潰されずに、助け合って幸福に生きていけるように。 主義主張というのは、時代を超えての「正義」とか「神」の概念が必要になります。 古関さんには、こういう「正義」みたいなものが無いのじゃないでしょうか? あえて古関さんの主張をまとめあげれば、「気持ちいいことをして、楽しく生きよう」ということになります。 これって、古代ギリシャの哲学者のエピクロスに近いんじゃない? 「ストイック」の語源になったストア派が、「禁欲主義」と言われていることから、その対抗として「快楽主義」と名付けられていますが、決して刹那主義の快楽は求めてはいません。 エピクロスが語る快楽とは、一過性のものではなく、とても素朴で、当たり前のことばかりでした。 かえって、エピクロス主義のライバルであるキュニコス派が「物欲をすてろ!」と叫んだり、 「理性をしっかりもって、規律正しく生きよ!と唱えるストア派が、ある意味人間性を否定しているのに対して、自然で慎ましい幸せを求めることを主張したのです。 有名なエピクロスの言葉があります。 「真の快楽とは、友愛である」 他人を気遣い、人を愛し、論敵ですら温かい気持ちにさせる、そういう生き方を実践したのです。 他人に「価値」を見出し、他者とともに楽しく生きた思い出さえあれば、死ぬことの痛みにすら耐えられる、と手紙に書いています。 古関裕而さんも、正にイジメられても仕返しもせず、周囲の人を気持ちよくさせることに一生を捧げたのではないでしょうか。 これが私の現時点での古関裕而論です。 ちなみに、エピクロスは科学的にも原子論者として有名であり、その意味でも大好きです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.05.09 15:44:17
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