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勇治が勧める中山晋平という作曲家は、歌劇の劇中歌『カチューシャの唄』や『ゴンドラの唄』を作曲しています。
日本ビクターの専属であり、オペラ歌手藤原義江、佐藤千夜子が歌う『波浮の港』や『出航の港』も彼の手によります。 すぐにまた東京の学生で音楽活動を行っている勇治のいとこが中山晋平に約束をとりつけたという勇治の手紙が金子に届き、金子は再び心底驚きます。 その日、金子は姉には東京見物に行くといい、緊張いた面持ちで日本ビクターに中山晋平を訪ねます。そしてこの出会いは、金子にとって生涯忘れ得ぬものになります。 ※※※ 本日、中山晋平氏を訪問しました。午後三時のお約束できっちり会ってくださいました。いろいろお話ししてから、歌を聞いていただきました。 「声の質良し。量あり。これから勉強したら必ず将来、相当な歌い手になれる」 とおっしゃてくださいましたが、私はまだ不安なので、 「もちろん真剣に勉強いたしますけれど、本当に先生は、私がこの道に進んで成功しうると認めてくださいますか。見込みがありますか」 と一生懸命いいましたところ、 「見込みがあります」 とはっきり言い切ってくださいました。 中山先生は声楽の専門ではありませんが、民謡の大家でもあります。立派な耳をお持ちの方だと思います。今後の勉強についても、細々とおっしゃってくださいました。 歌を歌うときにどうしても普段使っている言葉のアクセントがでるので、東京の言葉を常に用いること。 ピアノの伴奏で、基礎から正式にやるのがよいということ。 歌い手になりたい人がたくさんいるので、一生懸命勉強すること。 このような言葉をいただき、本当にうれしく、ますます希望が沸き立つのを感じました。先生は玄関まで送ってくださって、 「死にものぐるいでおやりなさい。石にかじりついてもやりとげるという気持ちで」 と、おっしゃってくださいました。 夕闇間近の駅に向かいながら、私は歌い手になるために、これからも夢中で、一生懸命に学び続けなければならないと改めて思いました。 東京で学ぶのが一番ですが、姉のところは、義兄が理学の研究をしておりますから歌の練習などとてもできません。私の家では妹などの教育費もかかりますから、私への仕送りを望むこともできません。 ですので、近々、田舎に帰らなくてはなりません。これからは、自分の名誉は望みません。 ただ、真の芸術を創造したいと望むきりです。 ピアノを持っていませんので、進歩が遅いかもしれませんが、ピアノを習います。そして本を読みながら声楽を勉強します。このふたつしか、私にはありません。 努力、勉強は少しも苦しいとは感じません。むしろ楽しい幸福なことです。 けれど、思うままに学べないというのは、やはり苦痛です。 東京には親に学費を出してもらっていながら、カフェー遊びをする人もあんなにいるのに。 世の中にはブルジョア、プロレタリアートがあり、私は後者。いつもお金の壁に阻まれてしまいます。 けれど、遊ぶだけの放埓なブルジョアにはなりたくありません。 できるだけ前に進む。その言葉通り、私は実行する決心です。 自分のことばかり、書いてしまいました。でも貴方に手紙を書きながら自分の感情を整理することができました。 ロンドンへは50日の旅ですね。 私も大連に行ったときに、わずかですが船で過ごしました。海を見ながら、人間の小さいこと、世界は広いことなど静かに考えることもできました。 貴方のお手紙が私の力です。すがり、信じ、突き進む、絶対の大いなる力です。 貴方が洋行なさった後のことを考えると灯りを失うように感じられます。 貴方に私を信じ、導いてくださるお心がある限り、私に力を与えてください。 お返事、お勉強のおひまでも簡単で結構ですから、絶えずくださいまし。 ご健康を祈りつつ。 内山金子 親愛なる古関様 ※※※ 金子はと豊橋に帰ります。東京にゐる間に二週間がたっていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.05.22 23:54:08
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