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楽天・日記 by はやし浩司

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2006年12月13日
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カテゴリ:育児問題



Hiroshi Hayashi+++++++++DEC.06+++++++++++はやし浩司

親が子育てができなくなるとき 

●親像のない親たち

 「娘を抱いていても、どの程度抱けばいいのか、不安でならない」と訴えた父親がいた。「子どもがそこにいても、どうやってかわいがればいいのか、それがわからない」と訴えた父親もいた。あるいは子どもにまったく無関心な母親や、子どもを育てようという気力そのものがない母親すらいた。

また2歳の孫に、ものを投げつけた祖父もいた。このタイプの人は、不幸にして不幸な家庭を経験し、「子育て」というものがどういうものかわかっていない。つまりいわゆる「親像」のない人とみる。

●チンパンジーのアイ

 ところで愛知県の犬山市にある京都大学霊長類研究所には、アイという名前のたいへん頭のよいチンパンジーがいる。人間と会話もできるという。もっとも会話といっても、スイッチを押しながら、会話をするわけだが、そのチンパンジーが98年の夏、一度妊娠したことがある。

が、そのとき研究員の人が心配したのは、妊娠のことではない。「はたしてアイに、子育てができるかどうか」(新聞報道)だった。人工飼育された動物は、ふつう自分では子育てができない。チンパンジーのような、頭のよい動物はなおさらで、中には自分の子どもを見て、逃げ回るのもいるという。いわんや、人間をや。

●子育ては学習によってできる

 子育ては、本能ではなく、学習によってできるようになる。つまり「育てられた」という体験があってはじめて、自分でも子育てができるようになる。しかしその「体験」が、何らかの理由で十分でないと、ここでいう「親像のない親」になる危険性がある。

……と言っても、今、これ以上のことを書くのは、この日本ではタブー。いろいろな団体から、猛烈な抗議が殺到する。先日もある新聞で、「離婚家庭の子どもは離婚率が高い」というような記事を書いただけでその翌日、10本以上の電話が届いた。「離婚についての偏見を助長する」「離婚家庭の子どもがかわいそう」「離婚家庭の子どもは幸せな結婚はできないのか」など。「離婚家庭を差別する発言で許せない」というのもあった。

私は何も離婚が悪いとか、離婚家庭の子どもが不幸になると書いたのではない。離婚が離婚として問題になるのは、それにともなう家庭騒動である。この家庭騒動が子どもに深刻な影響を与える。そのことを主に書いた。たいへんデリケートな問題であることは認めるが、しかし事実は事実として、冷静に見なければならない。

●原因に気づくだけでよい

 これらの問題は、自分の中に潜む「原因」に気づくだけでも、その半分以上は解決したとみるからである。つまり「私にはそういう問題がある」と気づくだけでも、問題の半分は解決したとみる。それに人間は、チンパンジーとも違う。たとえ自分の家庭が不完全であっても、隣や親類の家族を見ながら、自分の中に「親像」をつくることもできる。

ある人は早くに父親をなくしたが、叔父を自分の父親にみたてて、父親像を自分の中につくった。また別の人は、ある作家に傾倒して、その作家の作品を通して、やはり自分の父親像をつくった。

●幸福な家庭を築くために

 ……と書いたところで、この問題を、子どもの側から考えてみよう。するとこうなる。もしあなたが、あなたの子どもに将来、心豊かで温かい家庭を築いてほしいと願っているなら、あなたは今、あなたの子どもに、そういう家庭がどういうものであるかを、見せておかねばならない。いや、見せるだけではたりない。しっかりと体にしみこませておく。そういう体験があってはじめて、あなたの子どもは、自分が親になったとき、自然な子育てができるようになる。

と言っても、これは口で言うほど、簡単なことではない。頭の中ではわかっていても、なかなかできない。だからこれはあくまでも、子育てをする上での、一つの努力目標と考えてほしい。

(付記)
●なぜアイは子育てができるか

 一般論として、人工飼育された動物は、自分では子育てができない。子育ての「情報」そのものが脳にインプットされていないからである。このことは本文の中に書いたが、そのアイが再び妊娠し、無事出産。そして今、子育てをしているという(2001年春)。

これについて、つまりアイが子育てができる理由について、アイは妊娠したときから、ビデオを見せられたり、ぬいぐるみのチンパンジーを与えられたりして、子育ての練習をしたからだと説明されている(報道)。しかしどうもそうではないようだ。

アイは確かに人工飼育されたチンパンジーだが、人工飼育といっても、アイは人間によって、まさに人間の子どもとして育てられている。アイは人工飼育というワクを超えて、子育ての情報をじゅうぶんに与えられている。それが今、アイが、子育てができる本当の理由ではないのか。

(参考)
●虐待について 

 社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」の実態調査によると、母親の5人に1人は、「子育てに協力してもらえる人がいない」と感じ、家事や育児の面で夫に不満を感じている母親は、不満のない母親に比べ、「虐待あり」が、三倍になっていることがわかった(有効回答500人・2000年)。

 また東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏は、虐待の診断基準を作成し、虐待の度合を数字で示している。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりしない」などの17項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……0点」「ときどきある……1点」「しばしばある……2点」の3段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。

その結果、「虐待あり」が、有効回答(494人)のうちの9%、「虐待傾向」が、30%、「虐待なし」が、61%であった。この結果からみると、約40%弱の母親が、虐待もしくは虐待に近い行為をしているのがわかる。

 一方、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、7%。そしてその大半が何らかの形で虐待していることもわかったという(同、総合研究所調査)。「愛情面で自分の母親とのきずなが弱かった母親ほど、虐待に走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうかがえる」とも。

●ふえる虐待

 なお厚生省が全国の児童相談所で調べたところ、母親による児童虐待が、1998年までの8年間だけでも、約6倍強にふえていることがわかった。(2000年度には、1万7725件、前年度の1・5倍。この10年間で16倍。)

 虐待の内訳は、相談、通告を受けた6932件のうち、身体的暴行が3673件(53%)でもっとも多く、食事を与えないなどの育児拒否が、2109件(30・4%)、差別的、攻撃的言動による心理的虐待が650件など。

虐待を与える親は、実父が1910件、実母が3821件で、全体の82・7%。また虐待を受けたのは小学生がもっとも多く、2537件。3歳から就学前までが、1867件、3歳未満が1235件で、全体の81・3%となっている。


Hiroshi Hayashi+++++++++DEC.06+++++++++++はやし浩司

●ああ、悲しき子どもの心

+++++++++++++

虐待されても、さらに虐待
されても、子どもは、親の
そばがいいという。

それを私は、「悲しき子どもの
心」と呼んでいる。

+++++++++++++

 虐待されても虐待されても、子どもは「親のそばがいい」と言う。その親しか知らないからだ。中には親の虐待で明らかに精神そのものが虐待で萎縮してしまっている子どももいる。しかしそういう子どもでも、「お父さんやお母さんのそばにいたい」と言う。ある児童相談所の相談員は、こう言った。「子どもの心は悲しいですね」と。

 J氏という今年50歳になる男性がいる。いつも母親の前ではオドオドし、ハキがない。従順で静かだが、自分の意思すら母親の、異常なまでの過干渉と過関心でつぶされてしまっている。何かあるたびに、「お母ちゃんが怒るから……」と言う。母親の意図に反したことは何も言わない。何もできない。

その一方で、母親の指示がないと、何もしない。何もできない。そういうJ氏でありながら、「お母ちゃん、お母ちゃん……」と、今年75歳になる母親のあとばかり追いかけている。

先日も通りで見かけると、J氏は、店先の窓ガラスをぞうきんで拭いていた。聞くところによると、その母親は、自分ではまったく掃除すらしないという。手が汚れる仕事はすべて、J氏の仕事。小さな店だが、店番はすべてJ氏に任せ、夫をなくしたあと、母親は少なくともこの20年間は、遊んでばかりいる。

 そういうJ氏について、母親は、「あの子は生まれながらに自閉症です」と言う。「先天的なもので、私の責任ではない」とか、「私はふつうだったが、Jをああいう子どもにしたのは父親だった」とか言う。しかし本当の原因は、その母親自身にあった。それはともかく、母親自身が、自分の「非」に気づいていないこともさることながら、J氏自身も、そういう母親しか知らないのは、まさに悲劇としか言いようがない。

J氏の弟は今、名古屋市に住んでいるが、J氏と母親を切り離そうと何度も試みた。それについては母親が猛烈に反対したが、肝心のJ氏自身がそれに応じなかった。いつものように、「お母ちゃんが怒るから……」と。

 親だから子どもを愛しているはずと考えるのは、幻想以外の何ものでもない。さらに「親子」という関係だけで、その人間関係を決めてかかるのも、危険なことである。親子といえども、基本的には人間どうしの人間関係で決まる。「親だから……」「子どもだから……」と、相手をしばるのは、まちがっている。

親の立場でいうなら、「親だから……」という立場に甘えて、子どもに何をしてもよいというわけではない。子どもの心は、親が考えるよりはるかに「悲しい」。虐待されても虐待されても、子どもは親を慕う。親は子どもを選べるが、子どもは親を選べないとはよく言われる。そういう子どもの心に甘えて、好き勝手なことをする親というのは、もう親ではない。ケダモノだ。いや、ケダモノでもそこまではしない。

 今日も、あちこちから虐待のレポートが届く。しかしそのたびに子どもの「悲しさ」が私に伝わってくる。

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最終更新日  2006年12月13日 12時17分27秒
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