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カテゴリ:日々の随筆
●今朝・あれこれ
++++++++++++++++ 昨日、ある床屋へ行った。 髪の毛を切ってもらった。 そこでのこと。2人の客が、 並んで椅子に座っていた。 1人の客は、ヒゲを剃って もらっていた。 ヒゲを剃っているのは、 助手らしき、女性。 それはそれでよいが、見ていると、カミソリを 使い分けているといったふうでもない。 右の男のヒゲを剃ったあと、 そのまま今度は、左の男のヒゲを 剃り始めた! ゾーッ! ++++++++++++++++ 世の中には、「感染症」という恐ろしい病気がある。HIV(エイズ)もそれだが、病名をあげたら、キリがない。その感染症の中でも、血液を介して感染する感染症には、恐ろしいものが多い。そんなわけで、他人が一度使ったカミソリを流用することほど、危険な行為はない。 それはこの世の常識! が、である。昨日、私は床屋へ行ってきた。そこでのこと。2人の男性が椅子に座っていた。1人はヒゲを剃ってもらっていた。が、である。見ていると、その女性はそのまま、今度は隣の男性のヒゲを剃り始めた。 こうしたばあい、一度使ったカミソリは、消毒することになっているはず。しかしその女性は、それをしなかった。私は、それを見ていて、心底、ゾーッとした。「このまま帰ろうか」という気分にさえなった。 HIVでなくても、相手が肝炎か何かの病気をもっていたら、それだけで、感染してしまう。カミソリでヒゲを剃るといっても、皮膚には、無数の傷をつける。目に見えない傷でも、傷は傷。その傷を介して、病気が感染する。 ……が、やがて私の番に。いつものように散髪をしてもらった。が、そのあと、自動的に、ヒゲ剃りにかかり始めた。私は拒否した。「ヒゲ剃りは結構です」と。 女「いいんですか?」 私「ヒゲ剃りはしてもらわなくても、いいです」 女「そうですかア……」と。 しかしその女性は、何かをしなければというような様子で、しばらくカミソリをブラブラさせたあと、私の後頭部の髪の毛の生え際を剃り始めた。抵抗する間もなかった。 ああああ。 しかしそれにしても、いいかげんなやり方である。以前、そのことで、県の衛生室に苦増を訴えたことがある。そのとき書いた原稿を添付する。 ++++++++++++++++++ ●大勇と小勇(孟子) 3年間、その床屋には通った。ただ幸いなことに(?)、その床屋のオヤジとは、ほとんど会話を交わさなかった。私はいつも、床屋では、目を閉じて、眠ったフリをしていた。 その床屋で、ずっと、気になることがある。横に、電子レンジ大の消毒箱がおいてあるのだが、私はこの3年間、その箱が開いたり、閉じたりしたのを見たことがない。言うまでもなく、カミソリは、1度使ったら、そのつど消毒しなければならない。あのカミソリほど、危険なものはない。とくに注意しなければならないのは、ウィルス性の感染症。カミソリを介して、人から人へと感染する。 孟子(中国戦国時代の思想家)は、『勇にも、大勇、小勇の区別あり』と書いている(「孟子」)。勇気といっても、大きな勇気と小さな勇気があるという意味だが、私は今日も、その床屋で、目を閉じながら、それを考えた。「こういうとき、オヤジに、忠告すべきかどうか」と。「私に勇気があるなら、一度、消毒のことを、言うべきだ」と。 しかし結果として、私は、それをオヤジに言うことができなかった。「こんなことを言うと、気分を悪くするだろうな」「必ずしも、感染するとはかぎらない」「一応相手はプロだ。プロとしての立場は尊重しなければならない」と。考えてみれば、小さな勇気だが、どうしても、それができなかった。……どうしてできなかったのか? かく言う私は、昔から、こわいもの知らず。相手が大きければ大きいほど、ムラムラと勇気がわいてくる。小学5年生のときは、たったひとりで、10人前後の悪ガキを相手にして、けんかをしたこともある。(私も悪ガキだったが……。)気が小さいくせに、そういう場になると、ハラが座ってしまう。が、その私が、床屋で悶々と悩んでいる。「ヒゲ剃(そ)りはいいです」と断りかけたが、もうそのとき、オヤジは、首のうしろを剃り始めていた。 私は心を決めた。「ちょうど今日で、スタンプカードは、いっぱいになる」と。スタンプカードがいっぱいになったところで、○千円引きになる。それを考えた。考えながら、「今日で、この床屋とはおさらば」と。「3年間通った床屋だったが、オヤジと親しくならなくてよかった」とも。 そこで改めて、小勇と大勇について考えてみる。床屋のオヤジに小言をいうのは、まさにその小勇ということになる。たいした勇気ではない。一方、巨大なカルト教団を相手に、筆で戦うのは大勇ということになる。これは命がけだ。私には、そういう大勇はあるが、小勇はない? 床屋の事件をみても、それは言える。なぜか。大勇のある人は、当然、小勇もあるはず。私の常識でも、そうなる。しかし実際には、それがない? そこで私は気がついた。大勇のある人は、ささいなことは相手にしない。……ということではなく、そういうことをするのが、めんどうなのだ。人間に与えられた時間やエネルギーには、かぎりがある。そうした時間やエネルギーを一つのことに使えば、どうしても別のところで使うのがおっくうになる。小さな町の、小さな床屋のオヤジを相手に、正義感を振りまわしたところで、それがどうだというのだ。どうせ不愉快と思うなら、もっと別のところで不愉快と思いたい。おかしな論理だが、私はそう思った。つまり大勇と小勇は、本質的に、別なもの。 そこで天下の『孟子』を補足する。 ● 小勇のないものに、大勇はない。しかし大勇があるから、小勇があるとはかぎらない。 ● 大勇に使う時間とエネルギーは、小勇に使う時間とエネルギーは、等しい。小勇に使う時間とエネルギーがあったら、大勇に使え。 しかしこれでは私の正義感は収まらない。さっそく静岡県庁の生活衛生室に手紙を書くことにした。 +++++++++++++++ 静岡県庁 生活衛生室 関係各位殿 拝啓 ● 調髪のあとの、髭剃りについて…… 私は現在、この浜松市に住むものです。そして調髪のため、随時、近所の理髪店に通っているものです。つきまして、気がついたことがあり、貴組合の指導と指示により、改善していただきたい点がありますので、ここに手紙で、申し入れることにしました。 調髪のあと、髭剃りをしてもらっていますが、そのとき使用するカミソリの消毒が、どこの店でも、なおざりになっているように思います。私がこの数年間通った理髪店でも、私はあの消毒箱の扉が開閉したのを、見たことがありません。その理髪店では、たいてい(というより、すべて)、前の人を剃ったカミソリを、簡単に洗い流したあと、そのまま、つぎの客の肌にあてて使っています。 昨今、ウィルス性の感染症がマスコミでも話題になっていますが、こうした行為は、感染症の伝染という意味でも、たいへん危険なことかと思います。またそういう心配を、利用者全体がもつようになったら、理髪業界全体にとっても、大きなイメージダウンになると思います。理髪店では、何よりも衛生状態が、重要視されるのではないでしょうか。よろしくご判断の上、適切にご指導くださればうれしく思います。 敬具 浜松市 林 浩司 +++++++++++++++ さてあなたの住む町では、事情はどうだろうか。あなた(あるいはあなたの夫や子どもたち)が通う床屋では、そのつど器具を消毒しているだろうか。もしそうでないなら、この手紙をコピーして、県庁の担当課まで出したらよい。(担当の課は、県によって名称が異なる。) なお、こうした手紙を出す以上、今日を最後に、私はその床屋へ行くのをやめることにした。もしこの手紙を書いたのが私とわかれば、あのオヤジは、私の首を切るかもしれない。こう見えても、私は気が小さい。 なお、いろいろ調べてみたが、こういうケースでは、理容師組合(各県に、県単位で、「理容生活衛生同業組合」というのがある)にこうした手紙を書いても、あまり意味がないそうだ(県庁に勤める友人のアドバイス)。皆さんの地域でも同じような問題があれば、その監督指導にあたる、県の生活衛生部(静岡県のばあい)に、抗議の手紙を書いたらよい。「私は関係ない」と言ってはいけない。床屋へ行くのは、おとなだけではない。子どもたちだって、行く。 (03-1-22) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年02月20日 20時48分50秒
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