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楽天・日記 by はやし浩司

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2007年03月08日
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カテゴリ:日々の随筆
【4年前の正月】

+++++++++++++++

原稿の整理をしていたら、
たまたま4年間に書いた原稿が出てきた。

「おもしろい」と思った。
自分で書いた原稿を自分で評価するのも
おかしなことだが、そう思った。

++++++++++++++

●演歌の世界

 02年度も、最後の部分だけだが、NHKの紅白歌合戦を見た。私が子どものころは、視聴率も、80%以上あったという。あの番組は、まさに国民的番組であった。が、今は、見る影もない。どういうわけだか、おもしろくない。時代が変わったのか? 私の趣向が変わったのか? それとも番組自体が、つまらないのか?

 こう書くと、紅白歌合戦を楽しんだ人には失礼になるかもしれない。「何、言ってるの! 私は楽しんだわ」と。

 こういうエッセーを書くとき、一番神経をつかうのは、「私はこうだから……」という理由だけで、ものごとを決めてかかってはいけないということ。個人的な好き嫌いを、ほかの人に押しつけてはいけない。

紅白歌合戦についても、そうで、「私がそう思うから」という理由だけで、「つまらない」と書いてはいけない。それに「つまらない」と書く以上、それにかわる案なり、方法を提示しなければならない。批判したり、批評したりする程度なら、だれにでもできる。


 「紅白」の紅白というのは、もともと、女性の生理の血の赤と、男性の精液の白を意味しているそうだ。外国では通用しない、日本独特の色彩観である。(あるいは中国からきた色彩観か?)たとえばアメリカでは、結婚式でも、花婿、花嫁以外は、男性はダークのスーツだが、女性は、ブルーとかオレンジに、色がある程度、限定されている。これは花嫁の美しさを目立たせるためではないか。日本でも、結婚式では、そういう気配りをする。

……というように、あれこれ思い浮かべても、「男は白、女は赤」という場面は見たことがない。そう言えば、私の二男の結婚式で驚いたのは、列席してくれた男性たちが、皆、黒いネクタイをしていたことだ。「日本では、葬式のときに黒いネクタイをする」と言いかけたが、この話は、だれにもしなかった。

さて、本題。紅白歌合戦では、最後(トリ)を、演歌歌手が占めた。男性は、演歌歌手のK氏につづいて、I氏。女性は、Iさんだった。私が紅白歌合戦をつまらないと思ったのは、もともと演歌が好きでないこともある。人間の心を、安っぽい論理で、決めてかかるところが、好きでない。酒、夜、女、雨が、テーマになることも多い。

私は酒は飲めない。夜は苦手。女は関係ないし、雨より、青い空が好き。それに若いころから、義理とか人情とかいう言葉が好きではなかった。昔、『甘えの構造』という本を書いた土居健郎氏は、「人情は依存性を歓迎し、義理は人々を依存的な関係に縛る。義理人情が支配的なモラルである日本の社会は、かくして甘えの弥慢化した世界であった」と述べている(「甘えの構造」)。そういう点では、演歌は、どれもネチネチしている。カラッとしていない。

 ……とまあ、私は、またまたひどいことを書いてしまった。日本の民族的音楽である、演歌を批判してしまった。きっとこのエッセーを読んで、怒っている人もいることだろう。もしそうなら、許してほしい。だからといって、私が正しいとか、こうあるべきだとかと書いているのではない。あくまでもひとつの意見として読んでほしい。

 ただこうした私の趣向の背景、つまり演歌がどうしても好きになれない理由には、こんなことがある。

 私の父は酒乱で、数日おきに酒を飲んで暴れた。そしてそれは私が5歳くらいのときから、私が中学2年生くらいになるときまでつづいた。そのあとは、父も肝臓を悪くし、酒が飲めなくなったが、そんなわけで、私は今でも、酒臭い人間が、大嫌い。ゾッとするほど、大嫌い。

だから何かの理由で、酒場のようなところに入ると、その酒臭さに、耐えられなくなる。演歌は、そういう酒場のようなところで歌われることが多い。カラオケができてからは、なお一層、その傾向が強くなった。だから、演歌を聞くと、生理的な嫌悪感を覚える。この嫌悪感だけは、どうしようもない。演歌に、そういうイメージが焼きついてしまった。そう言えば、ワイフと結婚する前も、私はワイフにこう聞いた。「あなたは、演歌が好きですか?」と。するとワイフは、「大嫌い」と。それだけではないが、それで私はワイフと、安心して結婚することができた。

 ただ、美空ひばりだけは好きだった。とくに「悲しい酒」だけは、好きだった。美空ひばりは、演歌歌手というレベルを超えた歌手だった。「悲しい酒」にハマったときは、ワイフといっしょに風呂につかりながら、歌い方を何時間も練習した。これは私の唯一の例外か?
(03-1-2)

● あとで聞いたら、02年度の紅白歌合戦は、演歌ばかりではなかったそうだ。しかしたまたま私が見たときは、演歌ばかりだった。不運な偶然が重なったのかもしれない。少なくとも、ここ15年くらいは、紅白歌合戦は、ほとんど見ていない。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●正月2日

 たき火をしようと居間におりたが、外を見ると、強風。そこでワイフに、ふと、「ドライブでもしてこようか?」と声をかけると、「いいね」と。そこで正月2日だったが、ドライブにでかけた。

 車は、トヨタのビッツ。私たちは、勝手に、「ビンツ」と呼んでいる。ドイツのベンツをもじって、そう呼んでいる。

 コースは、浜松市内から、国道1号線に入り、そこからバイパスを通って、新居まで行く。そしてそこから浜名湖1周コースに入る。このコースだと、ドライブをしている間中、右側に海が見える。

 途中、浜名湖鉄道のK駅で、昼食。駅を改造したレストランで、マスコミにもよく紹介される。料理は……と書きたいが、ここから先は書けない。(だからといって、推薦しているわけではないので、誤解のないように!)

 それからまた走って、細江町へ抜け、そこから姫街道を通って、市内へもどる。時間にして、ちょうど2時間半のコースだった。ちょっとドライブというときには、よい距離だ。気分転換になる。

 途中、ワイフといろいろな話をする。たいていは、くだらないバカ話だが、ときどき哲学的な話もする。あとは、ただひたすら雑談、また雑談。「若いときは、よくドライブをしたわね」とワイフ。「そうだね、毎晩したね」と私。

 私たちは、よく真夜中にドライブにでかけた。夜中の11時とか、12時に、である。そしてあちこちを回ったあと、明け方に帰ってくることもあった。自由業とは、まさに私のような仕事をいう。そういう点では、私たちは、本当に好き勝手なことができた。

 当時は、貯金もしなかった。翻訳料で少しでも、予定外のお金が手に入ったりすると、そのお金をもって、隣の浜北市の旅館で1泊してきたりした。そして翌日は、また幼稚園へ……。収入も、仕事も不安定だったが、私たちには、こわいものは、何もなかった。不安もなかった。今でも、こうしてドライブをしていると、あのころの自由奔放(ほんぽう)さが、そのまま心の中によみがえってくる。

 明日からは、人に会わなければならない。行かねばならないところもいくつかある。それに正月明けの仕事の準備もしなければならない。こうしてゆっくりと原稿を書けるのも、今夜まで。……といっても、こういうふうにヒマなときほど、原稿は書けないもの。頭の回転がどこか鈍る。私は、仕事をしていたほうが、頭の調子はよいようだ。だから、今は、こんなどうしようもない駄文しか、書けない。ここまで読んでくれた人には申し訳ないと思う。どうか許してほしい。
(03-1-2)※


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●人生は、無数の選択

 ときどきふと、考える。どうして今の私は、今の私なのか、と。そして同時に、「もし、あのとき……」とも考える。「もし、あのとき、別の選択をしていたら、私の人生は、大きく変わっていたかもしれない」と。

 しかし私は、こうも考える。私はそのつど、無数の選択を繰り返してきた。それはC・ダーウィンの進化論のようなものだ。今の私は、そういう無数の選択をくぐりぬけながら、今の私になった。しかしその選択をしたのは、私自身であって、ほかのだれでもない、と。

 たとえば私があのままM物産という商社で働いていたら、私は「社畜」(会社の家畜という意味)になって、いまごろは、狂い死にしていたかもしれない。私という人間は、そういうタイプの人間だった。いや、死なないまでも、今ごろはどこかの精神病院に入院しているか、心筋梗塞(こうそく)か何かで、倒れていたかもしれない。つまり私がM物産という会社を飛び出したのは、私自身が、そういう未来を避けるために、そのように選択したからだ。

 だから、ひょっとしたら、私でなくても、私のような人間が、同じような立場に置かれたら、やはり私と同じような運命をたどったであろうということ。そう、それを「運命」というなら、たしかに運命というのは、ある。

 私は、結局は、たいした人間にはなれなかった。これからもなれそうもない。このH市という、地方都市にうずもれて、このまま人生を終えることになる。それは私の本望ではないが、しかしこれが私の限界なのだ。私は私なりに、精一杯、生きてきた。その精一杯生きる過程で、無数の選択を繰り返してきた。今も、毎日のように選択を繰り返している。しかしいくらがんばっても、その限界を超えた選択は、私にはできない。

 たとえばこの正月になって、どうも体の調子が悪い。原因は、運動不足だということはよくわかっている。しかし私ができることといえば、せいぜい、犬のハナと散歩に行くこと。本当なら、トレーナーを着て、10キロくらいランニングするのがよいのだろうが、この寒さでは、それもできない。する気が起きない。そこで私は、自分の限界を感ずる。その限界の中で、私はハナとの散歩を選択した。つまり、こうして、無数の選択が積み重なって、私の運命が決まっていく。

 いろいろ私自身についての不満もある。後悔というほどのものではないが、「ああすればよかった」「こうすればよかった」と思うこともある。しかし私はそのつど、最善を尽くしてきた。そのときどきに、その限界の中で、最善の選択を繰りかえしてきた。その結果が、今の私であるとするなら、私には、ほかにどんな道があったというのか。

 もちろん私にも、その限界を超えた「夢」がある。しかし夢は夢。しょせん、かなわぬ夢。そこには私の実力がからんでくる。運、不運もある。私の精神的欠陥や性格的欠陥もある。そういうものを総合的に考えてみると、やはり今が、限界。この程度が限界。あるいは今以上に、私は、何を望むことができるのか。

 私が今、できることは、その限界状況と戦いながら、よりよい選択をそのつど、していくしかない。たとえばハナと散歩にでかけても、いつもより距離をのばしてみるとか。いつもより、より速くいっしょに走ってみるとか。ささいなことだが、こうした選択をすることで、明日が決まる。だから過去をほじくりかえして、後悔しても、意味はない。後悔する必要もない。あの宮本武蔵も、『我が事に於て後悔せず』(「独行道」)と書いているが、私も、自分のことでは、後悔しない。……したくない。
(03-1-2)※

(追記)ときどきワイフにこう聞く。「お前は、ぼくと結婚して、後悔していないか? もっと別の人生を歩きたかったのではないないか?」と。

するとワイフは、「これが私の人生だから」と言う。ときどき、「私は家族のみんなが、それぞれ幸せになってくれれば、それでいいの」と言うときもある。そこでさらに私が、「何か、やり残したことはないか?」と聞くと、「私は家族が幸せになるのを見届けたいだけ」と。

実は、私も同じように考えるようになってきた。残りの人生は、家族や、ほかの人たちのために使いたい。





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最終更新日  2007年03月09日 11時41分22秒
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