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カテゴリ:育児問題
●暴論は疑う
++++++++++++++ 子育ての世界には、暴論と 呼ばれるメチャメチャな 育児法がある。 そうした暴論には、みなさん、 くれぐれも、ご注意! ++++++++++++++ 少し前、子どもの不登校や情緒障害を、怒鳴り散らして「治す(?)」という指導者がいた。テレビでも何度か紹介されたことがあるが、ただただ(?)クェスチョンマークだけが並ぶような指導法だった。 ときとしてこういう暴論が、世間をにぎわす。少し前には、Tヨットスクールというのがあった。死者まで出す、めちゃめちゃな指導法だったが、当初は、マスコミにも取りあげられ、結構話題になった。 私はずっと子育てや、育児論を最前線で見てきたが、結論はただひとつ。「暴論は疑う」だ。 子どもの心は、ときとしてガラス箱のように、デリケートでこわれやすい。そしてこわれた心は、こわれたガラス箱のように、簡単には、もとに戻らない。それこそ一年単位の時間と努力が必要。それを数回、怒鳴っただけで治す(?)とは! 私もその指導者が書いた本を、二冊買って読んだが、正直言って、「?」の本だった。一冊は、自分が高校生のとき、父親の車を盗んで、無免許で乗り回したとか、そういう話が書いてあった。つまり「そういう経験が、今、役にたっている」と。 それ以上のことは私にはわからないので、反論のしようがないが、子育てには、近道も抜け道もない。あるとすれば、あなたがそこにいて、子どもがそこにいるという事実。その事実だけを冷静に見つめて、子育てをすればよい。仮に子どもに問題があったとしても、「なおそう」とか、「なおしてやろう」とか、さらには、「なおさなければ」と思う必要はない。今ある事実を、あるがままに受け入れて、その中で、あなたとあなたの子どもの人間関係をつくればよい。 つぎの原稿は、こうした暴論について書いたもの。 +++++++++++++++++++++++ (暴論1) スパルタ方式への疑問 スパルタ(古代ギリシアのポリスのひとつ)では、労働はへロットと呼ばれた国有奴隷に任せ、男子は集団生活を営みながら、もっぱら軍事教練、肉体鍛錬にはげんでいた。そのきびしい兵営的な教育はよく知られ、それを「スパルタ教育」という。 そこで最近、この日本でも、このスパルタ教育を見なおす機運が高まってきた。自己中心的で、利己的な子どもがふえてきたのが、その理由。「甘やかして育てたのが原因」と主張する評論家もいる。しかしきびしく育てれば、それだけ「子どもは鍛えられる」と考えるのは、あまりにも短絡的。あまりにも子どもの心理を知らない人の暴論と考えてよい。やり方をまちがえると、かえって子どもの心にとりかえしのつかないキズをつける。 むしろこうした子どもがふえたのは、家庭教育の欠陥と考える。(失敗ではない!)その欠陥のひとつは、仕事第一主義のもと、家庭の機能をあまりにも軽視したことによる。たとえばこの日本では、「仕事がある」と言えば、男たちはすべてが免除される。子どもでも、「宿題がある」「勉強する」と言えば、家での手伝いのすべてが免除される。こうした日本独特のおかしさは、外国の子育てと比較してみると、よくわかる。ニュージラーンドやオーストラリアでは、子どもたちは学校が終わり家に帰ったあとは、夕食がすむまで家事を手伝うのが日課になっている。こういう国々では、学校の宿題よりも、家事のほうが優先される。が、この日本では、何かにつけて、仕事優先。勉強優先。そしてその一方で、生活は便利になったが、その分、子どものできる仕事が減った。 私が「もっと家事を手伝わせなさい」と言ったときのこと、ある母親は、こう言った。「何をさせればいいのですか」と。聞くと、「掃除は掃除機でものの一〇分ですんでしまう。料理も、電子レンジですんでしまう。洗濯は、全自動。さらに食材は、食材屋さんが届けてくれます」と。こういうスキをついて、子どもはドラ息子、ドラ娘になる。で、ここからが問題だが、ではそういう形でドラ息子、ドラ娘になった子どもを、「なおす」ことができるか、である。 が、ここ登場するのが、「三つ子の魂、一〇〇まで」論である。実際、一度ドラ息子、ドラ娘になった子どもをなおすのは、容易ではない。不可能に近いとさえ言ってもよい。それはちょうど一度野性化した鳥を、もう一度、カゴに戻すようなものである。戻せば戻したで、子どもはたいへんなストレスをかかえこむ。本来なら失敗する前に、その失敗に気づかねばならない。が、乳幼児期に、さんざん、目いっぱいのことを子どもにしておき、ある程度大きくなってから、「あなたをなおします」というのは、あまりにも親の身勝手というもの。子どもの問題というより、日本人が全体としてかかえる問題と考えたほうがよい。だから私は「欠陥」という。いわんやスパルタ教育というのは! もしその教育をしたかったら、親は自分自身にしてみることだ。子どもにすべき教育ではない。 +++++++++++++++++++++++ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年03月21日 12時01分07秒
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