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楽天・日記 by はやし浩司

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2007年06月19日
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カテゴリ:子どもの問題

【変わる子どもたちの世界】

++++++++++

子どもたちの世界が、
大きく変わってきた。
同時進行の形で、子どもたちの
心も、大きく変わりつつある。

これも時代の流れか?

++++++++++

●テクノストレス

 テクノストレスという言葉がある。コンピュータに代表されるハイテクと、人間の関係が不調になったときに感ずるストレスをいう。このストレスが、一方で、人間どうしのつきあい方にまで、影響を与えている。

●たとえば携帯電話。

 携帯電話をもつ子どもがふえている。調査のたびに、ぐんぐんとうなぎ昇りにふえているので、調査そのものがあまり意味がない。が、それと同時に弊害も表面化してきた。それらを並べると……

(1) マジックミラー症候群……膨大な情報量の中で、知りたい相手の情報は見ても、自分の情報は流さない。一方的に相手を観察するだけで、自分の正体は明かさない。あるいは他人の意見を知り、それを攻撃することはできても、自分の意見は述べない。情報が一方通行化する。たとえば以前は、まず自分の名前を名乗ってから、電話をかけたり、手紙を書いたりした。しかし今は、住所はもちろんのこと、名前すら名乗らない人がふえている。

(2) リセット症候群……一度、嫌いになると、ちょうどスイッチを切るかのように、相手を自分の世界から抹殺してしまう。その後その相手からメールが入っても、それを受けつけないか、無視する。ある日、突然、人間関係をゼロにしてしまう。

(3) オセロ症候群……白黒はっきりした人間関係をつくろうとする。敵の敵は味方という考え方をしながら、その色分けをはっきりする。中間色的なつきあいができなくなる。

(4) マトリックス症候群……バーチャルな人間関係を結ぼうとする。相手は無臭、無味、体温の感じない状態のほうが、つきあいやすい。自分の側の臭いや味、感情も文の上でコントロールしようとする。一方、現実の世界の人間とは、心を結べなくなる。ある高校生は、こう言った。「環境が破壊されても、青い空はコンピュータで再現できる」と。ものの考え方が、当然のことながら、現実離れしてくる。

(5) 字幕症候群……相手からの文字に、自分の心をのせて相手の文を読む。たとえば相手が「バカだなあ」と書いたとする。相手は冗談のつもりで書いたとしても、その「冗談」の部分はわからない。わからないから、こちらの感情でその文を読んで、ときには憤慨したり、怒ったりする。

(6) 携帯電話依存症候群……携帯電話がないと落ち着かない。気分がすぐれない。携帯電話に固執する。ある高校生は、教科書を忘れても、家にとりに戻らないが、携帯電話を忘れると、昼間でも、家にとりに戻るという。四六時中、かたときも、携帯電話を自分の体から離さない子どもは多い。

(7) カプセル症候群……メール用語、メールの世界だけでしか通用しない用語だけで会話をしようとする。またそれを知らない人を、よそ者として排斥しようとする。言葉の短縮、隠語、絵文字、独特の表現など。

(8) ワイヤレス症候群……膨大な情報の中に埋もれてしまい、自分がわからなくなる。無能化、愚鈍化が進む。一日の行動が決められず、電話の運勢占いにすべてをかける。情報が多すぎる反面、自分にとってつごうのよい情報しか取り入れないため、ものの考え方が、偏(かたよ)る。そのためきわめて狭い範囲の専門知識はもつことはあっても、総合的な判断ができなくなる。

(9) グラフィック症候群……音声の会話ができなくなる。メールでは何でも話せるのに、いざその人と直接対面すると、何も話せない。家の中でさえ、携帯電話で会話(?)している若い夫婦もいるという。さらに日常会話そのものが、携帯電話的な会話になることもある。「エッヘ~」「ギョッ!」「ウソ~!」と。ものの考え方がイメージ先行型になる。

(10) ボーダーレス現象……性情報が氾濫し、それが見境なく低年齢層の世界まで入り込んでいる。小学生の間でも、「フェラ(フェラチオ)」「クリ(クリニングス、クリトリス)」などという言葉は、今では常識。「性」そのものが、ギャグ化されつつある。

(11) 情報のフェザー現象……情報の価値が限りなく軽くなり、その分、思考力が浅くなり、ものの考え方が直観的になる。会話能力の低下、思考能力の低下をきたす。

(12) ほかに、親指人間現象、会話能力欠如現象、言葉の短文化現象、感情の短絡化現象、文字のマンガ化現象などがある。

通学電車の中。昔は高校生や中学生の笑い声やはしゃぐ声が聞こえた。が、今は違う。誰もが黙々と携帯電話のボタンを押している。携帯電話をもっていない子どもも、もっている子どもに遠慮して何も話しかけない。静かだ。しかしおかしい……?

今では中学生の約60%、高校生の約80%が携帯電話をもっている(01年)。すでに「持ち物」という範囲を超え、携帯電話は子どもたちの間では必需品にすらなりつつある。

「携帯電話がないと、仲間ハズレにされる」「友だちができない」と言った中校生もいる。もちろんそれが子どもたちに与える影響は大きい。今どき、テレクラ・ナンパ・援助交際を問題にするほうがおかしい。有害な性情報は、容赦なく子どもたちの世界に入り込んでいる。携帯電話には便利な部分もあるが、その一方で、子どもたちの心までむしばみ始めていることを忘れてはならない。

●時代の流れ

問題は、こうした変化をどうとらえるかだが、鉄則の第一、逆らっても、意味がないということ。鉄則の第二、こうした問題は、私たちがどうこうしようとして、それでどうにかなる問題ではないということ。実のところ、私たち自身ですら、その流れの中にある。

 私たちが小学生のころは、マンガが、大きな問題になった。一度は、県全体で、「マンガ禁止令」なるものも出されたこともある(G県)。「マンガは読んではダメ」と。当時、すでに手塚治虫氏が活躍していたから、この禁止令が、いかにおかしなものであったかがわかる。

 こうした変化は、まさにときの流れそのもの。かつ同時に、旧世代から、いつも攻撃される。私の祖父は、いつも、「今どきの若いものは……」と言った。同じように、その祖父も、若いころ、そのまた祖父から、「今どきの若いものは……」と言われた。

 で、その「流れ」を知る私たちとしては、その流れに添ったものの考え方を、理解することでしかない。今となって、「携帯電話はだめだ」「パソコンゲームをやらせてはだめだ」と言ったところで、意味はない。仮に百歩譲って考えても、正すべきは、子どもの世界ではなく、私たちおとなの世界である。

たとえば援助交際にしても、援助交際をする女子高校生や中学生を責めても意味はない。責めるべきは、おとな自身である。たとえ携帯電話が、そのための道具になっていたとしても、携帯電話を取りあげても、意味はない。

 今の時代を生きる子どもや若者たちは、30年後、あるいは50年後には、今の私たちの知る世界とは、まったく違った世界をつくるに違いない。しかしそれがどんな世界であれ、それはその世界に住む、その人たちの世界である。少なくとも、「現在」という今を生きる私たちが、とやかくいう問題ではない。

 ここで取りあげた、テクノストレスにしても、問題は、そういうストレスがあるということではなく、それをどう解決していくかということである。

●私のばあい
 
 このところ無性に、携帯電話がほしくなった。今まで、2度ほどためしに購入してみたが、そのつど、息子たちに取られてしまった。が、それから、もう、4年になる。

 私は子どものころから、機械いじりが好きで、いつも機械をバラバラにして遊んでいた。そういう名残が今でもあって、機能がいっぱいついた電気製品を見たりすると、今でも、ゾクゾクする。で、最近の携帯電話では、動画が送受信できることはもちろんのこと、カメラつきのまであるという。こうなると私の好奇心が、黙っていない。何としても、そのカメラつきの携帯電話が、ほしい……。と、考えて、さて本題。

 つまるところ、私が結局は、その「流れ」の中にあることがわかる。そういう私を見て、「林は、おかしい」と言うなら、それを言う人のほうがおかしい。そしてさらにその結果として、私がデジタルカメラつきの携帯電話をもち歩き、かつ人間関係に影響が出てきたとしても、そのときは、そのとき。時代は、そのときをベースとして、またつぎの流れの中に入っていく。

 そういう点では、私は現実主義者。現実というものを、まず肯定的にとらえる。そしてその上で、未来を考えていく。空理空論は、私がもっとも嫌うところ。空想は好きだが、夢想するのは、あまり得意ではない。もともと、というか、子どものころから、たいへん理屈っぽい人間。

 そこでこのエッセーの結論としては、人間を取り巻く環境は今、急速に変化しつつあるし、そうした変化については、謙虚に耳を傾ける。その結果として、また別の価値観が生まれたとしても、それはそれとして受け入れる。大切なことは、旧態の価値観を若い世代に、押しつけないこと。

私のばあい、たとえばこれだけは、若い人に向かっては、言わないようにしている。「今どきの、若いものは……」という言葉である。私は、若いころ、そういう言葉を、さんざん浴びせかけられた。だから、つぎの世代の人たちには、この言葉だけは、言いたくない。

 そうそうあの山本五十六も、「書簡」の中で、こう書いている。「『いまの若い者は』などと、口はばたきことを申すまじ」と。

● 「一般的に言って、ひとつの世代は、その世代中に産み出された世界観によって生きるよりも、むしろ、前時代に産み出された世界観によって生きるものである」(シュヴァイツアー「文化と倫理」)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 テクノストレス 携帯電話 子供と携帯電話)





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最終更新日  2007年06月19日 07時09分08秒
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