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カテゴリ:育児問題
●言葉教育
私はときどき、英語で原稿を書く。そこで書いたあと、アメリカやオーストラリアの友人に添削を頼む。だが、ここでおもしろい現象に出あう。どの人も、「それで意味がわかるから、このままでいい」と、なおしてくれない。「文法のミスはないか?」と聞くと、「あるが、それでわかるからいい」と。こうしたおおらかさは、日本には、ない。 最近、あることがあって、アメリカの友人が、冷やし中華のことを書いてきた。日本で食べた、冷やし中華がおいしかったので、そのレシピを教えてほしい、と。そのときのことだが、彼は、「中華」を、「tyuka」と書いてきた。正しくは、「chuka」か? ……と考えたところで、私はハタと自分の愚かさに気づいた。そんなのは、どちらでもよいではないか、と。しかもそういうことにこだわるのは、日本人の悪いクセだ。実際、世界広しといえども、日本人ほど「形」や「型」にこだわる民族はいない。いないものは、いないのであって、どうしようもない。 アメリカでも、オーストラリアでも、子どもたちの作文を見ても、あちらの先生は、スペルや文法(ルール)のまちがいには、ほとんど関心を払わない。大切なのは、中身という考え方が徹底している。ウソだと思うなら、ここに私が書いていることを、あなたの周囲にいるアメリカ人やオーストラリア人に確かめてみることだ。「言葉教育」に対して、考え方が基本的な部分で違う。 日本の教育は、子どもたちが将来、文法学者になるためには、きわめてすぐれた体系をもっている。しかし将来、文法学者になる子どもは、いったい、何%いるというのか。数学にしても、英語にしても、そうだ。日本の教育は、将来数学者や、英語の文法学者になるのは、きわめてすぐれた体系をもっている。しかし、将来そういう道に進む子どもは、何%いるというのか? 日本の教育は、もともとどこかのエラーイ大学の先生たちが作った。だからおもしろくない。だから役にたたない。言葉教育(作文、読書)についても、同じ。茶道や華道ではあるまいし、もっとおおらかでいいのではないのか。大切なのは、いかに考え、いかに的確に表現し、いかに正しく相手に自分の気持ちを伝えるか、あるいはいかに正しく相手の気持ちを知るか、だ。 本筋を忘れたとき、教育は基本的な部分でゆがむ。日本の教育は、その本筋を忘れている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年08月24日 10時32分30秒
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