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カテゴリ:育児問題
●塾ブルース(10%のニヒリズム)
塾を開くのに、認可も許可もいらない。届出も必要ないし、資格もいらない。もしあなたさえそ の気になれば、明日からだって塾は開ける。塾は通産省の職業区分では、サービス業になっ ている。 こう書くと、塾は簡単な商売だと思う人がいるかもしれない。事実その通りだが、それだけに 競争もはげしい。毎年雨後の竹の子のように塾は生まれ、そしてつぶれていく。10周年記念 ができる塾は、何割もない。さらに20周年、30周年記念ができる塾は、10パーセントも ないのではないか。現在、ほとんどの個人塾はつぶれ、残っているのは、中、大手規模の進学 塾か、チエーン化された塾だ。 塾は、通産省ではサービス業になっている。そのことは冒頭で述べたが、塾でしていること は、教育ではない。指導である。中に「教育だ」とがんばっている塾教師がいるが、がんばらな ければならないところに無理がある。少なくとも世間は、教育機関とは認めていない。 その塾。毎年あちこちの私塾会に誘われて顔を出すが、酒が入り始めると、本音が出てく る。おもしろいのは、むしろこちらのほうだ。昼間は「新学力観の問題点とは……」と論じていた ような教師でも、「塾教師なんて……」と話し始める。そういうところで取材した話をここで書くの も気が引けるが、たとえばこんなことを言う。「塾教師が教え子の結婚式に呼ばれることはまず ないよ。いくら苦労した生徒でもね」とか、「中学が受かったとたん、ハイさよならね。あとは塾 へ来たことそのものを、隠す」とか。 この世界には「10%のニヒリズム」という言葉がある。いくら「指導」に専念しても、全力投 球はしない。全力投球すれば、キズつくのは、結局は塾教師。どんなに専念しても、最後の 10%は自分のためにとっておく。生徒に裏切られても、キズつかないためだ。 もっとも10%のニヒリズムを意識する教師は、まだ誠実なほうだ。たいていの塾教師はもっ とドライ。「生計のため」と、はっきりと割りきっている。むしろこういう塾のほうがわかりやすい し、今の世の中に受ける。手のこんだ料理よりも、ファーストフードのレストランの料理のほうが おいしいと思う人は、いくらでもいる。 おまけに塾教師には、当然と言えば当然だが、保障はまったくない。退職金もなければ、年 金もない。30年勤めても、ハクなどつかない。明日病気になって倒れれば、それで塾はおし まい。収入もそれで途絶える。こういう世界から、学校の先生をながめると、本当に学校の先 生は恵まれていると思う。いろいろたいへんだろうとは思うが、それでも恵まれている。 そうそう学校の先生にそんなグチをぶつけた塾の教師がいる。そしたらその学校の先生は、こう言ったという。「くやしかったら、学校の教師になればよかったではないか」と。「私たちは教育に生 きる。あんたたちは教育で生きる」(塾教師1氏談)とも。 一見気楽な商売(?)に見える塾の世界だが、もの悲しいブルースは、毎日のように聞こえて くる。(以上、01年記「子育て雑談」) (付記) 本当に自由な教育というのは、「塾」でこそ、可能である。しかしその自由な教育をすれば、その塾は、あっという間につぶれる。 そこで本当に自由な教育をするためには、長い時間をかけて、塾教師は、コツコツと、信用と実績をつみあげるしかない。いきなり自由な教育、というのは、土台、ムリ。反対の立場で考えてみれば、それがわかる。 ある日いきなり、あなたの近所に塾ができた。自由な教育をするという。そういう塾に、あなたは、自分の子どもを預けるだろうか。預けることができるだろうか。子どもを預けるということは、親にとっても、それほどまでに覚悟のいることなのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年09月25日 08時03分39秒
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