2493880 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

楽天・日記 by はやし浩司

楽天・日記 by はやし浩司

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2007年11月08日
XML
カテゴリ:子どもの世界
【W中学校の父母よりの、質問に答えて……】(1)

 W中学校の父母より、こんな質問が届きました。

 「仮想現実体験と、実体験のちがいにより、心の形成には、どのような影響が出るか」という質問です。

 それについて考える前に、以前書いた原稿を、そのまま、ここに転載します。(一部は、中日新聞に投稿済み。)少し質問の趣旨からは、脱線すると思いますが、お許しください。この中で、私は仮想現実体験(パソコンやテレビゲームの世界)のもつ、一つの問題点を、取りあげてみました。

+++++++++++++++++++++

●島根県のUYさんより

はじめまして。
HPをよく拝見させて頂いています。

娘の事を相談させていただきたく、メールをしています。
娘は五歳半になる年中児で、下に三歳半の妹がいます。
小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く子でした。

それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている態度には見えません。

走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないようです。

そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。
物の説明はとても難解で、結局何を言っているのか分からない事も多々あります。

私自身、過関心であったと思います。
気をつけているつもりですが、やはり完全には治っていません。
今、言葉の方は『おかあさん、牛乳!』や、『あの冷たいやつ!』というような言い方については、それでは分からないという事を伝える様にしています。

できるだけ言葉で説明をさせるようにしています。これは少しは効果があるようです。
また食生活ではカルシウムとマグネシウム、そして甘いものには気をつけています。
食べ物の好き嫌いは全くありません。

そこで私の相談ですが、もっとしっかり人の話を聞けるようになってほしいと思っています。
心を落ち着かせることが出来るようになるのは、やはり親の過干渉や過関心と関係があるのでしょうか。
また些細な事(お茶を飲むときのグラスの柄が妹の方がかわいい柄っだった、公園から帰りたくない等)で、泣き叫んだりするのは情緒不安定ということで、過干渉の結果なのでしょうか。
泣き叫ぶときは、『そーかー、嫌だったのね。』と、私は一応話を聞くようにはしていますが、私が折れる事はありません。
その事でかえって、泣き叫ぶ機会を増やして、また長引かせている気もするのですが。。。

そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテーブルをゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な動作はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中させて動く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか。

自分自信がんばっているつもりですが、時々更に悪化させているのではないかと不安に成ります。

できましたら,アドバイスをいただけますでしょうか。宜しくお願い致します。

【UYさんへ、はやし浩司より】

 メール、ありがとうございました。原因と対処法をいろいろ考える前に、大前提として、「今すぐ、なおそう」と思っても、なおらないということです。またなおそうと思う必要もありません。こう書くと、「エエッ!」と思われるかもしれませんが、この問題だけは、子どもにその自覚がない以上、なおるはずもないのです。

 UYさんのお子さんが、ここに書いた子どもと同じというわけではありませんが、つぎの原稿は、少し前に私が書いたものです。まず、その原稿を先に、読んでいただけたらと思います。

+++++++++++++++++
 
●汝(なんじ)自身を知れ

「汝自身を知れ」と言ったのはキロン(スパルタ・七賢人の一人)だが、自分を知ることは難しい。こんなことがあった。

 小学生のころ、かなり問題児だった子ども(中二男児)がいた。どこがどう問題児だったかは、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。「君は、学校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。するとその子どもは、こう言った。

「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目のかたきにして、ぼくを怒った」と。私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでしまった。いや、その子どものことではない。自分のことというか、自分を知ることの難しさを思い知らされたからだ。

ある日一人の母親が私のところにきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好きな子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小一男児)のように、友だちのいない子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に行くから、一緒に行ってほしい」と。

もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。その子どもにはチックもあったし、軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」ということのほうこそ、問題ではないのか。その親がすべきことは、抗議ではなく、その相談だ。

話はそれたが、自分であって自分である部分はともかくも、問題は自分であって自分でない部分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがないまま、それに振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。

このタイプの親たちは、なぜそういうことをするかということに迷いを抱きながらも、もっと大きな「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のどこかで「してはいけない」と思いつつ、それにブレーキをかけることができない。「自分であって自分でない部分」のことを、「心のゆがみ」というが、そのゆがみに動かされてしまう。ひがむ、いじける、ひねくれる、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。自分の中にこうしたゆがみを感じたら、それは自分であって自分でない部分とみてよい。

それに気づくことが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくことなく、いつまでも自分でない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗を繰り返すことである。

+++++++++++++++

 おとなですら、自分のことを知るのはむずかしい。いわんや、子どもをやということになります。ですからUYさんが、お子さんに向かって、「静かにしなさい」「落ち着きなさい」と言っても、子どもにその自覚がない以上、子どもの立場からしたら、どうしようもないのです。

 意識には、大きく分けて(1)潜在意識と、(2)自意識(自己意識)があります※。潜在意識というのは、意識できない世界のことです。自意識というのは、自分で自覚できる意識のことです。いろいろな説がありますが、教育的には、小学三、四年生を境に、急速にこの自意識が育ってきます。つまり自分を客観的に見ることができるようになると同時に、その自分を、自分でコントロールすることができるようになるわけです。

 幼児期にいろいろな問題ある子どもでも、この自意識をうまく利用すると、それを子ども自らの意識で、なおすことができます。言いかえると、それ以前の子どもには、その自意識を期待しても、無理です。たとえば「静かにしなさい」と親がいくら言っても、子ども自身は、自分ではそれがわからないのだから、どうしようもありません。UYさんのケースを順に考えてみましょう。

●小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く子でした。
●それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
●話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
●真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている態度には見えません。
●走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないようです。
●そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。

 これらの問題点を指摘しても、当然のことですが、満五歳の子どもに、理解できるはずもありません。こういうケースで。「キーキー興奮してはだめ」「こだわっては、だめ」「落ち着いて会話しなさい」「じっとしていなさい」「しっかりと言葉を話しなさい」と言ったところで、ムダというものです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007年11月08日 08時44分44秒
[子どもの世界] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.