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楽天・日記 by はやし浩司

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2007年12月15日
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カテゴリ:生きザマの問題
●仮面(ペルソナ)

Each man has its own mask, or “persona”, in our daily life. Doctors have their own masks, priests have their own mask, and teachers have their own masks. Important thing, however, is that we wear masks depending on time and occasions, but not to forget to take off the masks when apart from the jobs. Otherwise we often lose ourselves and we get lost to know where we are.

++++++++++++++

だれしも、そのときどきに応じて、仮面をかぶる。
かぶりながら、その仕事をする。

医師は医師の仮面。
牧師は牧師の仮面。
教師は教師の仮面。

仮面をかぶることは、悪いことではない。
仮面をかぶることによって、人は、自分の仕事をスムーズに、こなすことができる。

仮面は、いわば、人と人をつなぐ、潤滑油のようなもの。飛行機に乗り込むとき、客室乗務員のあのやさしい笑顔を見たとたん、心がなごむ。

反対に、仮面をかぶれない人というのもいる。
世辞を言ったり、じょうずを言ったり、あるいは、冗談を言ったりすることができない。

このタイプの人は、しばしば他人との関係で、不適応症状を起こしやすい。

たとえば引きこもりの子どもがいる。
このタイプの子どもは、仮面をかぶることができない。
万事に、ぎこちない。
まじめすぎるというか、何ごとにつけ、YES・NOを、はっきりさせたがる。
そのぎこちなさから生まれるストレスが、その子どもの心をゆがめる。

しかし仮面は、仮面。それを忘れてはいけない。

仮面をかぶるのは、しかたないとしても、大切なことは、どこかでは仮面を脱ぐこと。
仮面をぬいで、自分にもどること。

が、中には、仮面を仮面と気がつかないまま、仮面を脱ぎ忘れてしまう人がいる。

このタイプの人は、常に(ほんとうの自分)と、(ニセの自分)の間のギャップに苦しむ。さらにひどくなると、どれがほんとうの自分で、どれがニセの自分か、わからなくなる。

実は、この私が、あぶなかった。

ちょうど30歳になる前のこと。私は、数週間ごとに、はげしい偏頭痛に悩んだ。
当時は、まだ偏頭痛に対する理解もない時代だった。
頭痛薬をのんでも、かえってゲーゲーとそれを吐き出してしまうだけで、意味がなかった。

そのころの私は、親たちの前に立っただけで、ものすごい疲労感を覚えた。
自分では「母親恐怖症」などと言っていたが、相手を「お母さん」と呼んだだけで、心のどこかで、ゾッとしたのを覚えている。

しかしあるとき、気がついた。
親たちを前にした私と、家に帰ったあとの私は、まったくの別人間だった。
だれでもある程度の(差)があるものだが、私のばあいは、ちがった。

まったくの別人間だった。

そこである日から、私は、反対に、親たちの前で仮面をかぶるのをやめた。
ありのままの自分を、さらけ出すことにした。

つい昨日も、子どもたち(小学低学年児)が、私にこう聞いた。
「先生は、おっぱいをのんでいるか?」と。
それに答えて、「ときどきのんでいるよ」と答えてやった。

といっても、それができるようになるまでに、それから何年もかかった。
で、今はどうかというと、ほとんど、ありのまま。
ありのままの自分で、親たちと接することができるようになった。

話はそのころに戻るが、自分らしさを取り戻したとき、あの偏頭痛が、うそのように軽くなった。
今にして思えば、私は仮面をかぶりながら仕事をし、その仮面の下にある自分に苦しんだということになる。

で、先にも書いたように、仮面をはずし忘れると、ほんとうの自分がわからなくなってしまう。
ときどき、そういう人に出会う。
表面的には、欠点のつけようがないほど、善人なのだが、何を考えているかわからない。
不気味。
不可解。
会うたびに、おだやかな口調でこう言う。

「奥様はお元気ですか?」「お兄様は、いかがですか?」と。
いつも意味のわからない笑みを浮かべている。
ニンマリというか、ニタニタというか……。

ほんとうにこちらのことを思って、そう聞くのではない。
それがその人のあいさつ言葉になっている。
仮面を飾るための、道具になっている。
中身が、まるでない。
心に伝わるものが、何もない。

仮面をはずし忘れると、人も、そうなる。
人間らしさが消え、人形のようになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 仮面 persona ペルソナ 仮面型人間 ペルソナ人間)






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最終更新日  2007年12月15日 08時17分19秒
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