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カテゴリ:家族のこと
●金の奴隷 ++++++++++++++++++H.Hayashi 金の奴隷にも2種類ある。 プラスの奴隷と、マイナスの奴隷。 プラスの奴隷というのは、金の力にものを言わせて、 得意になるタイプ。 マイナスの奴隷というのは、いわゆるケチ。 貧乏であることを売り物にして、(本当に貧しい人もいるが)、 始終、チマチマしている。 ++++++++++++++++++H.Hayashi ● プラスの奴隷 若いころ、こんな社長がいた。 日本全体がバブル経済に向けて、狂ったように走り出したころのこと。 会社の主だった社員はもちろんのこと、取り引き先の人や、何と近所の人たちまで招待 して、台湾や香港へ旅行していた。 私はそのときその旅行の世話と、通訳をしていたので、それがどんな旅行だったかを、 よく知っている。 その社長は、たとえば大きなレストランに入ったりすると、「チップ」と称して、 1000円札を、パパーッとあたりにバラまいたりしていた。 私はそれを見てあきれたが、社長は、得意満面だった。 そういう形で、その社長は、自分の力を誇示していた。 プラスの奴隷になると、金持ちであることを、自慢したくなるものらしい。 親戚や縁者を金銭的に援助したり、ものを買い与えたりする。 しかし誤解してはいけない。 だからといって、利益を得た人たちが、それでその人に 感謝しているかといえば、そういうことはない。 尊敬しているかといえば、そういうこともない。 金(マネー)の力は、ものを動かす力はあっても、心を動かす力は弱い。 恐ろしく、弱い。 前にも書いたが、こんな話を聞いた。 ● 金(マネー)の力は、弱い 長い友人に、K氏という人がいた。 昨年、脳梗塞で倒れ、そのまま他界してしまったが、その地域の開業医として、かなりの 収入を得ていた。 で、そのK氏のもとに、K氏の親類たちが集まってきた。 いつの間にか、K氏が、そうした親類たちの金銭的なめんどうをみるようになっていた。 K氏はいつも私にこう自慢していた。 「弟と妹に、4人の息子や娘たちがいるが、みんな私が大学を出してやった」と。 学費を援助したというのだ。 K氏には、そういう形で、甥や姪のめんどうをみるのが、生きがいだったようだ。 が、そのK氏が他界した。 突然の死だった。 私は通夜と本葬の両方に参列させてもらった。 しかし、である。 K氏の兄弟らしき人たちは来ていたが、K氏が学費を援助したと思われる若い人たちは、 来ていなかった。 そのことをK氏の妻に確かめたとき、「そんなものだろうな」と思った。 ……こう書くからといって、K氏が「金の奴隷」だったというのではない。 私が書きたいのは、金(マネー)の力は、所詮、その程度のものということ。 よい例が、日本政府がしている国際援助。 国際援助してやって喜ぶのは、その時点の為政者(政治家)だけ。 国民のところまで、日本の(心)が届くことは、まずない。 むしろ為政者たちは、それを自分の手柄として、日本から援助があったことを、 国民から隠そうとする。 そういう例は、ゴマンとある。 というより、それが「ふつう」。 同じようにK氏が学費を援助した、先の息子や娘たちにしても、学費の出所さえ 知らなかったのではないか。 K氏の兄弟にしても、息子や娘たちには、それを黙っていた可能性が高い。 私はそういう葬儀を見ながら、ワイフとこんな会話をしたのを覚えている。 「Kさんが、こういう事実を知ったら、悲しむだろうね」と。 ● ある社長の話 さて話をプラスの奴隷にもどす。 レストランで1000円札をバラまいた社長の会社は、バブル経済がはじけてまもなく、 不渡り手形を2度出し、そのまま倒産。 一時、小さな会社を再興したが、それも、半年足らずで、倒産。 そのあとは市内のマンションに移り、そこで生活をしていた。 私がその元社長に呼ばれて、再び会ったのは、それからちょうど1年目のことだった。 相変わらず、高拍子というか、親分風を吹かしていたのには、驚いた。 話を聞くと、台湾から梅干を輸入したいので、貿易を手伝ってほしいということだった。 私は私なりの方法で、すぐその可能性を調査した。 香港にも、台湾にも、私のパートナーがいた。 が、結果は、「やめたほうがいい」だった。 理由はいろいろあった。 それを元社長に伝えに行くと、私の話を半分も聞かないうちに、元社長はそばにあった コップを床にたたきつけて、突然、私にこう怒鳴った。 「お前は、オレの恩を忘れたのか!」と。 「恩」というのは、私をあちこちの海外旅行に連れていったことをいった。 私はそそくさと、元社長のマンションをあとにしたが、それからも3、4回、怒りの 電話がかかってきた。 「金の奴隷」というのは、そういう人をいう。 ● プラスの奴隷vsマイナスの奴隷 そこで、ではプラスの奴隷とマイナスの奴隷は、どこがどうちがのか。 話が少し外れるが、一般論として、大きく儲ける人は、その一方で、大きく損をする。 「儲け」と「損」は、つねに表裏一体となっている。 ここに書いたK氏にしても、たしかに「損」はしたが、もう少し若いころには、当時は まだ珍しかった大型クルーザーを所有していた。 伊豆と那須に、別荘をもっていた。 市内にも、数か所、マンションを所有していた。 K氏にしてみれば、甥や姪の学費など、(小遣い)の範囲だったかもしれない。 ともかくも、「損」を気にしていたら、大きく儲けることはできない。 それに「損」が、つぎの「儲け」の原動力になることもある。 私も、似たような場面に出会ったことがある。 何かのことで損をしたりすると、「ちくしょう」と思って、さらに仕事に精を出し たことがある。 では、マイナスの奴隷とは? わかりやすく言えば、小さな世界に閉じこもり、チマチマ、ケチケチと生きている 人たちをいう。 損もしないが、さりとて大きく儲けることもない。 たいていは小銭の守銭奴となって、毎日貯金通帳を見ながら暮らす。 私もその仲間だから、偉そうなことは言えない。 だから私も含めて、このタイプの人は、大きな仕事ができない。 ● 金(マネー)に毒される人たち どちらであるにせよ、金の奴隷たちは、金(マネー)の奴隷になりながら、奴隷に なっていることにすら気がつかない。 たとえば前にも書いたが、テレビの人気番組に「お宝xx」というのがある。 視聴者がもちよった品物や絵画に、その道の鑑定家たちが値段をつけるという番組である。 あの番組による影響は、すさまじかった。 私自身もいつの間にか、影響を受けてしまった。 たとえば絵画にせよ、それがすばらしい絵画かどうかという判断をするよりも先に、 「値段はいくら?」「有名な画家の描いた絵か?」という視点で、見るように なってしまった。 中身よりも、外見。 外見よりも、評判。 評判よりも、値段。 「この絵は、300万円だから、すばらしい」 「あの絵は、無価値だから、見る価値もない」と。 しかし テレビ番組を責めても、意味はない。 ああした番組が人気番組であるというのは、それをささえる視聴者がいるからに ほかならない。 つまり金の奴隷が多いから、ああいう番組は、人気を博す。 しかしこれは人間にとって、悲しむべきことと言ってよい。 理由の第一。 ● 失うもの 金の奴隷になればなるほど、ものの本質が見えなくなる。 絵画を例にあげるなら、その絵画のもつすばらしさがわからなくなる。 あるいはすばらしい絵画、(絵画のよしあしは、あくまでも個人的嗜好によるもの だが)、そのすばらしさを判断できなくなってしまう。 同じように、成功、失敗も、金銭的な尺度でしか、みなくなってしまう。 「あの人は金持ちだから、すばらしい」 「この人は、貧しいから、すばらしくない」と。 さらにそれが拡大してくると、自分自身の人生まで、金銭的な尺度でしか、みなくなって しまう。 幸福の尺度さえ、相対的なものとなる。 「隣の人より、よい生活をしているから、私は幸福」 「隣の人より、小さな家に住んでいるから、私はみじめ」と。 そういう生活が基本になっていると、「生きる」ことそのものが何がなんだか、わからなく なってしまう。 ● 日本全体が、金権主義国家? が、それだけではない。 一度金(マネー)に毒され、金の奴隷になると、それから抜け出るのは、容易なことでは ない。 価値観、さらには人生観、生きる哲学すらも、それに固定されてしまう。 政治だって、そうだ。 日本は一応、民主主義国家ということになっているが、実際には、金権主義国家。 たまたま今日、AS総理大臣率いる、AS内閣が発足する。 今朝の新聞を読むと、政治的イディオロギーなど、どこにもない。 「景気回復」「景気刺激策」などなど、すべて、金(マネー)、金(マネー)、金(マネー)。 金(マネー)にまつわる話ばかり。 政治そのものが、金の奴隷たちの「マスター(主人)」として君臨している。 金の奴隷……プラスの奴隷と、マイナスの奴隷がいる。 今朝は、それについて考えてみた。 (080925) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年09月25日 09時09分21秒
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