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カテゴリ:家族のこと
【家族という重荷】
●家族自我群 +++++++++++++++++++ 終わってみると、そんなものかなあと思う。 あるいはどうしてああまで負担に感じたのかなあとも思う。 しかしそのときは、そうでない。 そのときは、そのときで、その重圧感で、息ができなくなることもあった。 悶々とした気分が、まるで打ち寄せる大波のようにやってきて、私の心を押しつぶした。 その周辺に良好な人間関係があれば、まだ救われる。 同じ重荷も、軽く感じられる。 しかしその人間関係がこわれたとき、その重荷はさらに重くなる。 他人どうしなら、距離を置くことで、関係を切ることができる。 しかし家族となると、そうはいかない。 本能に近い部分にまで、(関係)が刷り込まれている。 心の中で割りこることもできない。 周囲の人たちも、それを許さない。 「親だから……」「子だから……」「兄弟だから……」と。 そういう人たちは、安易な『ダカラ論』を容赦なく、ぶつけてくる。 家族自我群による苦しみというのは、そういうもの。 しかし今、それが終わった。 8月に兄が他界し、つづいて10月に母が他界した。 兄や母が他界したさみしさ半分。 しかしほっとした気分も、これまた半分。 あとは法事など、宗教的儀式。 雑務。 それとて時の流れに身を任せばよい。 そのときがきたら、そのときに合わせて、儀式をすればよい。 雑務をこなせばよい。 あれほどまでに苦しんだ家族自我群だが、終わってみると、 乾いた風のように、それがどこかへ飛んで行ってしまった。 母の葬儀にしても、思い悩んでいたほどのものではなかった。 遺体を郷里へ運ぶべきなのか、どうか。 僧侶はどう手配すればよいのか、などなど。 そのつど私は悩んだ。 何しろ、はじめての経験で、とまどうことばかり。 (流れ)に乗っていたら、そのまま終わってしまった。 だから今は、こう思う。 「そんなものだったのかなあ」と。 ++++++++++++++++++++++ ● 母の介護 こと母の介護についていえば、赤ん坊の世話よりはるかに楽だった。 そう感じたことは、何度かあった。 それまで毎週のように姉から電話があり、「たいへんだ」「たいへんだ」と聞かされて いたので、それなり覚悟はしていた。 しかし実際、介護をしてみると、思ったより、はるかに楽だった。 かえって拍子抜けしてしまった。 もちろんそれなりに世話はかかる。 かかるが、母のばあい、できのよい優等生だった、 たまに「K村(母の生まれ故郷)へ帰る」と、だだをこねたことはあるが、その程度。 病気らしい病気もなかった。 持病もなかった。 92歳にして、服用しなければならない薬がないという人は、少ない。 母のばあい、便秘がつづいたようなとき、ときどき下剤をのむ程度ですんだ。 だからそういう母を基準に、「介護とは……」と論ずることは、できない。 中には、夜中じゅう、大声を出して、わめき散らす老人もいる。 しかし私の母のばあい、楽だったことは、事実。 ときには私は母の存在すらまったく忘れて、仕事したり、旅行に行くことができた。 ● 不愉快な干渉 こうした介護で、何より不愉快だったのは、詳しい事情も知らず、あれこれと干渉 してくる人たちがいたことだ。 年長風を吹かし、おかしないやみを言った人もいた。 用もないのに電話をかけてきて、私の家の内情をさぐろうとした人もいた。 一方的な話だけを聞き、私を一方的に悪者に仕立ててそう言うからたまらない。 しかし今になってみると、私自身もたしかに混乱していた。 まわりの人たちも混乱していた。 だれが悪いのでもない。 みな、心の余裕を失っていた。 ささいなことを大げさにとらえ、それに敏感に反応した。 しかしこれだけは言える。 幸福な家庭は、みな、よく似ている。 しかし不幸な家庭は、みな、ちがう。 千差万別。 その事情も、これまた複雑。 たとえ近親者ではあっても、家庭問題には、口を出さないこと。 干渉するなどとは、もってのほか。 相手から相談でもあれば話は別だが、そうでないなら、そっとしておいてやることこそ、 思いやりというもの。 私は一連の母の介護を通して、それを学んだ。 ● 今、苦しんでいる人たちへ 人には、それぞれ無数の糸がからんでいる。 その糸が、ときとして、その人をがんじがらめにする。 身動きをとれないようにする。 ときに進むべき道まで決めてしまう。 それを「運命」と呼ぶなら、たしかに運命というのはある。 で、その運命を感じたら、運命は、静かに受けいれる。 それに身を任せて、その流れの中に、自分を置いてみる。 たとえば私は、こんなふうに考えた。 兄が死んだとき、郷里での葬儀の話がもちあがった。 そのときのこと。 私は、葬儀のため、○百万円の出費を最初から覚悟した。 土地がら、冠婚葬祭だけは、必要以上に派手にする。 「葬儀だけは、借金をしてでもしろ」と言う人もいる。 つまり最初にそう覚悟してしまえば、あとは楽。 葬儀をアレンジしてくれた郷里の義兄には、はいはい、そうですとだけ言いながら、 それに従った。 従うことができた。 家庭にも、家族にも恵まれず、私の犠牲になった兄に対する、それが私のせめてもの、 つぐないでもあった。 今の私の幸福感と比べたら、○百万円なんて、何でもいない。 とたん、肩からスーッと力が抜けた。 もちろんお金だけの問題ではない。 家族自我群の問題には、つねにこうした重圧感がともなう。 しかし受けいれてしまえば、何ともない。 へたに逆らうから、運命は悪魔となり、キバをむいて、私たちに襲いかかってくる。 ● 宗教観 今回、兄と母の葬儀を連続して経験してみて、そのつどツンツンと心にひかかったのが、 宗教観のちがいである。 私が喪主ということで、葬儀社にしても、あれこれとこまかい指示を私にしてきた。 あいさつの仕方から始まって、焼香の仕方などなど。 僧侶のほうからも、いろいろと指示があった。 私はあえて、それには逆らわなかった。 逆らったところで、どうしようもない。 葬儀というのは、(私)を超えた、別の大きな(川)の中でなされる。 へたに逆らって、波風をたてるくらいなら、静かに黙っていたほうがよい。 もちろん私には私の宗教観がある。 「こうしたい」「ああしたい」という思いのほか、「どうしてこんなことをしなければ ならないのか」とか、「どうしてここまでしなければならないのか」という思いもあった。 しかしそれはそれ。 周囲のどの人をとっても、自分の宗教観を論じあうような相手ではない(失礼!)。 そういった宗教観を理解できるような人たちでもない(失礼!)。 またそんな場所を借りて、宗教論争をしても、意味はない(失礼!)。 『長いものには巻かれろ』という格言は、こういうときのためにある。 はるかにそのレベルを超えてしまえば、儀式は儀式として、割り切ることができる。 それで満足する人たちがいれば、そういう人たちを、それなりに満足させてやる。 葬儀というのは、基本的には、その程度のこと。 それ以上の深い意味はない。 あるはずもない。 ● あと始末 葬儀のあと、いろいろな手続きが重なった。 区役所へ足を運んだり、相続手続きで司法書士事務所へ足を運んだり……。 母名義の貯金通帳の解約すら、今では簡単にできない。 また現在、実家の仏壇は、空家となった実家にある。 仏壇の移動もしなければならない。 またそのつど、「精(しょう)抜き」「精(しょう)入れ」という儀式をしなければ ならない。 それは母の49日の法要のあと、するつもり、などなど。 義姉は私にこう言った。 「葬式が終わってからも、たいへんだったでしょう?」と。 それに答えて、私はすなおに、「そうでした」と答えた。 こうした一連の手続きをしながら、私が学んだことは、こういうこと。 死ぬまでに、息子たちが困らないように、身辺の整理だけは、しっかりと しておくということ。 とくに金銭問題、財産問題。 今回、自分自身がそういった問題をかかえてみて、改めて知ったことがある。 遺産相続問題でもめている家族となると、そうでない家族をさがすのがむずかしい ほど、多い。 金額の多少には、あまり関係ない。 億単位の遺産でもめるのは、それなりに納得もできるが、わずか数百万円、あるいは 数十万円の遺産をめぐって、喧嘩をしている家族もいる。 中には町内会で支給される慰労金(10万円単位)のことで言い争っている家族もいる。 それまでのゴタゴタが、葬儀のあとに集約されて、おおいかぶさってくる。 ● 教訓 要するに、こうした問題では、「いいじゃないか」というおおらかさが、大切。 それぞれの人たちが、それぞれの思いの中で、葬儀を考えている。 葬儀ほど、自己中心性が色濃く現れる場所も、ない。 母が死んだときも、Aさんは、こう言った。 「昨夜、あなたのお母さんの夢を見た」と。 Bさんは、こう言った。 「お母さんがなくなった日は、私の父の命日と同じです。奇縁です」と。 三男ですら、こう言った。 たまたま三男は、そのとき、私の家に帰省していた。 「おばあちゃんは、ぼくを待っていたんだ」と。 みな、自分を中心にして、ものを考える。 だからみな、神経質になる。 ささいなことで、ピリピリしたり、トゲトゲしくなったりする。 そこで教訓。 「いいじゃないか」と。 つまり喪主として、それを主宰するものは、かなりファジー(=いいかげんな) な考え方を大切にする。 そう構えて、ことにあたる。 あの母にしても、生きているときは、かなりお金にこまかく、神経質だった。 小銭にうるさかった。 しかしそんな母でも、死んだときには、財産と言えるものは、ほとんど、なかった。 箱いっぱいの衣服と、身の回りのコップ類くらいなもの。 私も、あなたも、みな、死ぬときは、そうなる。 だから「いいじゃないか」と。 そのおおらかさが、(家族自我群)と戦う、ゆいいつの武器となる。 (はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 家族自我群 葬儀 葬儀の心得 はやし浩司 家族の重荷) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年11月04日 10時12分36秒
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