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楽天・日記 by はやし浩司

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2008年11月04日
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カテゴリ:家族のこと
【家族という重荷】

●家族自我群

+++++++++++++++++++

終わってみると、そんなものかなあと思う。
あるいはどうしてああまで負担に感じたのかなあとも思う。
しかしそのときは、そうでない。
そのときは、そのときで、その重圧感で、息ができなくなることもあった。
悶々とした気分が、まるで打ち寄せる大波のようにやってきて、私の心を押しつぶした。

その周辺に良好な人間関係があれば、まだ救われる。
同じ重荷も、軽く感じられる。
しかしその人間関係がこわれたとき、その重荷はさらに重くなる。

他人どうしなら、距離を置くことで、関係を切ることができる。
しかし家族となると、そうはいかない。
本能に近い部分にまで、(関係)が刷り込まれている。
心の中で割りこることもできない。
周囲の人たちも、それを許さない。
「親だから……」「子だから……」「兄弟だから……」と。
そういう人たちは、安易な『ダカラ論』を容赦なく、ぶつけてくる。

家族自我群による苦しみというのは、そういうもの。
しかし今、それが終わった。
8月に兄が他界し、つづいて10月に母が他界した。
兄や母が他界したさみしさ半分。
しかしほっとした気分も、これまた半分。
あとは法事など、宗教的儀式。
雑務。
それとて時の流れに身を任せばよい。
そのときがきたら、そのときに合わせて、儀式をすればよい。
雑務をこなせばよい。

あれほどまでに苦しんだ家族自我群だが、終わってみると、
乾いた風のように、それがどこかへ飛んで行ってしまった。
母の葬儀にしても、思い悩んでいたほどのものではなかった。
遺体を郷里へ運ぶべきなのか、どうか。
僧侶はどう手配すればよいのか、などなど。
そのつど私は悩んだ。
何しろ、はじめての経験で、とまどうことばかり。

(流れ)に乗っていたら、そのまま終わってしまった。
だから今は、こう思う。

「そんなものだったのかなあ」と。

++++++++++++++++++++++

● 母の介護

こと母の介護についていえば、赤ん坊の世話よりはるかに楽だった。
そう感じたことは、何度かあった。
それまで毎週のように姉から電話があり、「たいへんだ」「たいへんだ」と聞かされて
いたので、それなり覚悟はしていた。
しかし実際、介護をしてみると、思ったより、はるかに楽だった。
かえって拍子抜けしてしまった。

もちろんそれなりに世話はかかる。
かかるが、母のばあい、できのよい優等生だった、
たまに「K村(母の生まれ故郷)へ帰る」と、だだをこねたことはあるが、その程度。
病気らしい病気もなかった。
持病もなかった。
92歳にして、服用しなければならない薬がないという人は、少ない。
母のばあい、便秘がつづいたようなとき、ときどき下剤をのむ程度ですんだ。

だからそういう母を基準に、「介護とは……」と論ずることは、できない。
中には、夜中じゅう、大声を出して、わめき散らす老人もいる。
しかし私の母のばあい、楽だったことは、事実。
ときには私は母の存在すらまったく忘れて、仕事したり、旅行に行くことができた。

● 不愉快な干渉

こうした介護で、何より不愉快だったのは、詳しい事情も知らず、あれこれと干渉
してくる人たちがいたことだ。
年長風を吹かし、おかしないやみを言った人もいた。
用もないのに電話をかけてきて、私の家の内情をさぐろうとした人もいた。
一方的な話だけを聞き、私を一方的に悪者に仕立ててそう言うからたまらない。

しかし今になってみると、私自身もたしかに混乱していた。
まわりの人たちも混乱していた。
だれが悪いのでもない。
みな、心の余裕を失っていた。
ささいなことを大げさにとらえ、それに敏感に反応した。

しかしこれだけは言える。
幸福な家庭は、みな、よく似ている。
しかし不幸な家庭は、みな、ちがう。
千差万別。
その事情も、これまた複雑。
たとえ近親者ではあっても、家庭問題には、口を出さないこと。
干渉するなどとは、もってのほか。
相手から相談でもあれば話は別だが、そうでないなら、そっとしておいてやることこそ、
思いやりというもの。
私は一連の母の介護を通して、それを学んだ。

● 今、苦しんでいる人たちへ

人には、それぞれ無数の糸がからんでいる。
その糸が、ときとして、その人をがんじがらめにする。
身動きをとれないようにする。
ときに進むべき道まで決めてしまう。

それを「運命」と呼ぶなら、たしかに運命というのはある。

で、その運命を感じたら、運命は、静かに受けいれる。
それに身を任せて、その流れの中に、自分を置いてみる。
たとえば私は、こんなふうに考えた。

兄が死んだとき、郷里での葬儀の話がもちあがった。
そのときのこと。
私は、葬儀のため、○百万円の出費を最初から覚悟した。
土地がら、冠婚葬祭だけは、必要以上に派手にする。
「葬儀だけは、借金をしてでもしろ」と言う人もいる。

つまり最初にそう覚悟してしまえば、あとは楽。
葬儀をアレンジしてくれた郷里の義兄には、はいはい、そうですとだけ言いながら、
それに従った。
従うことができた。

家庭にも、家族にも恵まれず、私の犠牲になった兄に対する、それが私のせめてもの、
つぐないでもあった。
今の私の幸福感と比べたら、○百万円なんて、何でもいない。
とたん、肩からスーッと力が抜けた。

もちろんお金だけの問題ではない。
家族自我群の問題には、つねにこうした重圧感がともなう。
しかし受けいれてしまえば、何ともない。
へたに逆らうから、運命は悪魔となり、キバをむいて、私たちに襲いかかってくる。

● 宗教観

今回、兄と母の葬儀を連続して経験してみて、そのつどツンツンと心にひかかったのが、
宗教観のちがいである。

私が喪主ということで、葬儀社にしても、あれこれとこまかい指示を私にしてきた。
あいさつの仕方から始まって、焼香の仕方などなど。
僧侶のほうからも、いろいろと指示があった。
私はあえて、それには逆らわなかった。
逆らったところで、どうしようもない。

葬儀というのは、(私)を超えた、別の大きな(川)の中でなされる。
へたに逆らって、波風をたてるくらいなら、静かに黙っていたほうがよい。
もちろん私には私の宗教観がある。
「こうしたい」「ああしたい」という思いのほか、「どうしてこんなことをしなければ
ならないのか」とか、「どうしてここまでしなければならないのか」という思いもあった。

しかしそれはそれ。
周囲のどの人をとっても、自分の宗教観を論じあうような相手ではない(失礼!)。
そういった宗教観を理解できるような人たちでもない(失礼!)。
またそんな場所を借りて、宗教論争をしても、意味はない(失礼!)。
『長いものには巻かれろ』という格言は、こういうときのためにある。
はるかにそのレベルを超えてしまえば、儀式は儀式として、割り切ることができる。

それで満足する人たちがいれば、そういう人たちを、それなりに満足させてやる。
葬儀というのは、基本的には、その程度のこと。
それ以上の深い意味はない。
あるはずもない。

● あと始末

葬儀のあと、いろいろな手続きが重なった。
区役所へ足を運んだり、相続手続きで司法書士事務所へ足を運んだり……。
母名義の貯金通帳の解約すら、今では簡単にできない。

また現在、実家の仏壇は、空家となった実家にある。
仏壇の移動もしなければならない。
またそのつど、「精(しょう)抜き」「精(しょう)入れ」という儀式をしなければ
ならない。
それは母の49日の法要のあと、するつもり、などなど。

義姉は私にこう言った。
「葬式が終わってからも、たいへんだったでしょう?」と。
それに答えて、私はすなおに、「そうでした」と答えた。
こうした一連の手続きをしながら、私が学んだことは、こういうこと。

死ぬまでに、息子たちが困らないように、身辺の整理だけは、しっかりと
しておくということ。
とくに金銭問題、財産問題。
今回、自分自身がそういった問題をかかえてみて、改めて知ったことがある。
遺産相続問題でもめている家族となると、そうでない家族をさがすのがむずかしい
ほど、多い。
金額の多少には、あまり関係ない。

億単位の遺産でもめるのは、それなりに納得もできるが、わずか数百万円、あるいは
数十万円の遺産をめぐって、喧嘩をしている家族もいる。
中には町内会で支給される慰労金(10万円単位)のことで言い争っている家族もいる。

それまでのゴタゴタが、葬儀のあとに集約されて、おおいかぶさってくる。

● 教訓

要するに、こうした問題では、「いいじゃないか」というおおらかさが、大切。
それぞれの人たちが、それぞれの思いの中で、葬儀を考えている。
葬儀ほど、自己中心性が色濃く現れる場所も、ない。

母が死んだときも、Aさんは、こう言った。
「昨夜、あなたのお母さんの夢を見た」と。
Bさんは、こう言った。
「お母さんがなくなった日は、私の父の命日と同じです。奇縁です」と。
三男ですら、こう言った。
たまたま三男は、そのとき、私の家に帰省していた。
「おばあちゃんは、ぼくを待っていたんだ」と。

みな、自分を中心にして、ものを考える。
だからみな、神経質になる。
ささいなことで、ピリピリしたり、トゲトゲしくなったりする。
そこで教訓。
「いいじゃないか」と。

つまり喪主として、それを主宰するものは、かなりファジー(=いいかげんな)
な考え方を大切にする。
そう構えて、ことにあたる。

あの母にしても、生きているときは、かなりお金にこまかく、神経質だった。
小銭にうるさかった。
しかしそんな母でも、死んだときには、財産と言えるものは、ほとんど、なかった。

箱いっぱいの衣服と、身の回りのコップ類くらいなもの。

私も、あなたも、みな、死ぬときは、そうなる。
だから「いいじゃないか」と。
そのおおらかさが、(家族自我群)と戦う、ゆいいつの武器となる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
家族自我群 葬儀 葬儀の心得 はやし浩司 家族の重荷)





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最終更新日  2008年11月04日 10時12分36秒
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