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楽天・日記 by はやし浩司

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2008年11月15日
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カテゴリ:家族のこと
●家族自我群からの解放

+++++++++++++++++

母が亡くなってから、ちょうど1か月が
過ぎた。
昨日、仏壇の購入を最終的に決めた。
「決めた」と言わなければならない
ほど、少し覚悟が必要だった。
何といっても、額がハンパじゃない。

が、このところ、何かにつけて、気が軽い。
母や兄には悪いが、率直に言えば、
母や兄が亡くなって、本当に気が楽になった。
ときどき遠くの潮騒のように、さみしさが
襲ってくることもあるが、できるだけ
それ以上のことは考えないようにしている。

あとはいくつかの法事を、事務的に
こなすだけ。
それが終われば、生まれてはじめて、
私はあの重苦しい、「家族」という呪縛感
から解放される。

私にとって家族とは何か?
そう、それは、心の隅に貼りついた鉛の
ようなもの。
むしってもむしっても、取れない鉛の
ようなもの。

+++++++++++++++++

家族自我群によって起こる「幻惑(作用)」には、相当なものがある。
良好な人間関係にあるときは、それなりにまだ救われるが、ひとたびそれが破壊されると、
(家族)は、心を押しつぶす重石(おもし)となって、その人を苦しめる。
仏教の世界にも、『怨憎会苦』という言葉がある。
四苦八苦のひとつになっている。

私も40代のはじめごろは、経文を唱えないと、あの郷里の町には入れなかった。
ワイフがそうしろと教えてくれたから、そうした。
が、渡る世間は冷たい。
そういう私の心も知らず、「親だろ」「家族だろ」「子どもだろ」と、安易な『ダカラ論』
だけを振りかざして、私を責めた。
中には節介やきの親類がいて、ああでもない、こうでもないと、電話をかけてきたりした。
それは真綿で首を絞められるというか、真綿を喉(のど)の奥に詰め込まれる
ような苦しみだった。

だから私はその親類の男に、こう叫んでやった。

「お前も、ぼくと同じことをしてきたのなら、そうやって偉そうなことを言え。
でなければ、黙っていろ!」と。

私はワイフと結婚する前から、収入の約半分を実家に納めてきた。
27歳を過ぎるころには、税金はもちろん、実家の商品の仕入れ、生活費などなど、
それはすべて私の負担となっていた。
実家の改築費も、全額、私が支払った。
兄や母の介護費用も、すべて、私が支払った。
それだけではない。
母自身は質素な生活をしていたが、そうして仕送りしていたお金の多くは、
母の知人へと流れていた。
経済的な負担感というよりも、私は社会的な負担感と戦わねばならなかった。

依存性というのはそういうもので、一度、それが形成されると、あとはそれを
前提として人間関係が、できあがる。
依存される者は、どこまでも依存される。
依存する者は、どこまでも依存する。
切れることがない。

一時は、大型の爆弾か何かで、あのあたり一帯が、一瞬にして消え去ればよいとさえ
思ったこともある。

そんなこともあって、葬儀費用だけは、意外と気持ちよく支払うことができた。
もちろん全額、私が負担した。
「これでおしまい!」と。
香典も入るには入ったが、葬式費用の何分の一にもならなかった。
だからそれで仏壇を購入することにした。
今さら、多少の援助など、何になる?
そんなお金など、どこにも残したくない。

家族自我群……それは、脳みその奥深くにまで刷り込まれている。
最近の研究によれば、人間も、鳥類と同じように、その刷り込み(インプリンティング)
がなされることがわかっている。
(人間のばあい、生後直後から7か月くらいの間に刷り込まれるという。
この時期を「敏感期」と呼ぶ。)

本脳に近い部分にまで刷り込まれているから、それから自分を解放するのは、
容易なことではない。
たいていは解放されることもなく、一生、つづく。
人によっては、マザコンになったりする。
50代、60代になっても、「おふくろさん」「おくふろさん」と言って、空を
見あげて、涙を流す人は、たいていこのタイプの人と思ってよい。

もう、家族はこりごり。
うんざり。
だからこそ、私は自分の息子たちには、同じ苦しみを味あわせたくない。
息子たちには、いつもこう言ってきた。

「お前たちの人生は、どこまでも、お前たちのもの。
どんなことがあっても、私やワイフのことは心配するな。
親孝行……?
そんなバカなことは考えなくてもいい。
家の心配……?
それも結構。
私たちはお前たちを育てることで、じゅうぶん、人生を楽しむことができた。
お前たちのおかげで、生きてくることができた。
『ありがとう』と礼を言わなければならにほうは、むしろ、私たちのほうだ。
ありがとう」と。

今、この瞬間にも、家族自我群の呪縛感で苦しんでいる人は多いと思う。
その苦しみは、それを味わったものでないとわからない。
ときに身を引きちぎられるような苦しみとなって、その人を襲う。

そういう人たちには、私は、こうアドバイスしたい。

(1) 運命は受け入れる。
(2) 健康だけは大切に。
(3) あとは淡々とやるべきことをやってすます。

あとは時間が、解決してくれる。
水が低い所を求めて流れていくように、雲が風に乗って流れていくように、
やがて行き着くところに行き、そこで解決する。






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最終更新日  2008年11月15日 05時14分52秒
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