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楽天・日記 by はやし浩司

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2009年05月25日
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カテゴリ:社会時評
●大国の謙虚さ

++++++++++++++++++

大国と呼ばれる国が、自らの謙虚さを忘れたら、
それこそ世界は闇。

たった40年前のことだが、日本はまだ貧しかった。
その貧しさを知っているからこそ、私はそう思う。

++++++++++++++++++

●大国

今でこそ、この日本は経済大国になった。
金持ちになった。
経済大国として、世界の上に、君臨している。
(すでに中国に追い抜かれたという説もあるが、今のところまだ、
かろうじてだが、その地位を保っている。)
しかし、だ。
たった40年前はそうではなかった。
私がオーストラリアへ渡った1970年ごろの日本は、まだ貧しかった。

当時、オーストラリアドルにしても、1ドルが400円。
アメリカドルにしても、1ドルが360円。
具体的には、当時、羽田(日本)⇔シドニー(オーストラリア)間の往復の航空運賃が、
日本円で42万円(日本航空)。
(シドニーからメルボルン間は、往復で、約3~4万円だったと記憶しているが、
確かではない。)
大卒の初任給が、やっと5万円を超えるか超えないかという時代に、である。

こういう事実を、今の若い人たちは知らない。
今も昔も、日本は豊かな国だったと思い込んでいる。
まるで当たり前のことのように考えている。
修学旅行で外国へ行くということが、どういうことなのか、それすら理解できないでいる。

が、本当のことを言えば、日本が貧しかったのではない。
日本の円の力が、それだけ弱かった。
画家にたとえるなら、日本人の画家は、無名。
いくら描いても、だれも絵を買ってくれない。
どれだけていねいに描いても、だれも買ってくれない。
一方、オーストラリア人の画家は、有名。
簡単な絵を描いただけで、みながほしがる。
描けば描くほど、その一方で、飛ぶように絵が売れていく。
それが(力の差)、ということになる。
こんなことがあった。

一度だが、私は日本の1万円札を、銀行でオーストラリアドルに交換しようと
したことがある。
しかし当時、すんなりとは交換できなかった。
何度も何度もチェックされ、長い時間待たされたあと、やっと交換してもらった。

そんなとき、向こうの農家の人たちの平均年収が、日本円で、1200万円程度
ということを知って、私は驚いた。
日本の大卒の年収(5万x12=60万円)の、約20倍である。
が、農家の人たちがそれだけの高収入を得ていたということではない。
物価も、日本の10倍以上はあったから、農家の人たちにしても、そこそこの
生活しかしていなかった。

つまり、日本の(円)の力が、それだけ弱かったということ。
円という、マネーの力が弱かった。
で、私はそれを知って、強い不公平感を覚えた。

資本主義体制の中では、より力のある通貨をもつ国が、実力以上の
よい生活をする一方、より力のない通貨をもつ国が、実力以下の生活しか
できない。
それを資本主義による「搾取(さくしゅ)」というのなら、搾取でも構わない。
強い国が、弱い国を搾取しながら、よい生活をする……。
そこで私がだれかにそのことを訴えると、その人はこう言った。
「それが戦勝国と敗戦国のちがいだよ」と。

●不公平感

こう書くからといって、何もあのK国の肩をもつわけではない。
あの国は何からなにまで、おかしい。
しかも自国の経済運営の失敗まで、外国の責任にしている。
が、それはそれとして、彼らのおもしろくない気持ちも、これまた私には
理解できる。

現在、K国の開城工業団地における労働者の平均賃金は、月額にして、
8000円~9000円程度という。
かなりの部分が、K国政府によってピンはねされているから、実際には、
もっと少ない。
が、それでもK国の国内では、破格の高給という。

そこであなた自身を、その団地の労働者の身分に置いてみる。
あなたを開城工業団地の労働者という立場に置いて、考えてみる。
そのあなたは、毎日8~10時間働いて、給料は、たったの8000円!
月給が、だ。
そのお金を日本へもってきたとしても、1~2日分の生活しかできない。
日本では、満足に電車にすら乗れないだろう。
が、それはそのまま私がオーストラリアへ渡ったころの、日本とオーストラリア
の関係に似ている。

私は、向こうの人たちが、あのオレンジを、袋単位で買っているのを見て、
驚いたことがある。
当時の日本人の私には、想像もできない買い方だった。
私たちは、店で、一個単位でオレンジを買っていた。

だからあなたは、こう叫ぶ。
「不公平だ」
「働いている時間は同じなのに、日本人は、40万円も稼いでいる」
「おかしい!」と。

が、だれかがあなたにこう言う。
「しかたないではないか。
君たちのウォンなど、紙くず同然。
為替レートなど、あってないようなもの。
そんなウォンを一人前に扱えっていっても、無理」と。

考えようによっては、現在のK国は、そのどん底であえいでいるのかもしれない。
仕事もない。
お金もない。
だから食べ物すら満足に買うこともできない。

で、ここからが、たいへんきわどい話になる。
繰り返すが、だからといって、K国の肩をもつわけではない。
K国がミサイルの発射実験をしてもよいとか、核兵器開発をしてもよいとか、
そんなことを書いているのではない。
もちろん、そんなことを許してはいけない。

が、私がここで言いたいことは、彼らの行動についての責任の一部は、
この私たち日本人にもあるということ。
強い円をよいことに、日本は、世界中から、富を買いあさっている。
国中にモノがあふれ、食糧もあふれている。
その国の通貨が強いということが、どういうことかは、先に私が書いたとおり。
オーストラリアの話を思い出してみればわかるはず。

当時私は一応、全額給費生ということで、小づかいも支給されたが、たいしたものは
買えなかった。
帰国するときみやげを買ったが、買ったものと言えば、小さなコアラの
人形と、ブーメランだけだった。

もう、わかってもらえたと思う。
私たち日本人は、ほとんどそれを意識していないかもしれないが、実際には、
貧しい国々を犠牲にして、その上で、豊かな生活を楽しんでいる。
実力以上の生活を楽しんでいる。

……が、こう書くと、こう反論する人もいるかもしれない。
「日本は、がんばった。
だから今のような繁栄を築くことができた。
日本のようになりたかったら、君たちもがんばればいいではないか」と。

しかし本当にそうだろうか?
本当にそう言い切ってよいだろうか?
しかし私は、それこそ大国の(おごり)ではないかと思う。
あのころの不公平感を、私はよく知っているからなおさら、そういう意見には、
どうしても素直に従うことができない。

それに……もし大国が、経済大国でも軍事大国でもよいが、そうした大国が
謙虚さを忘れたら、それこそ世界は闇。
闇に向って、つき進んでしまう。
私はそれを心配する。

K国の核兵器問題、ミサイル問題を考えるときは、
心のどこかで、そうした謙虚さを忘れてはいけないと、私は思う。


Hiroshi Hayashi++++++++May 09++++++++++はやし浩司






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最終更新日  2009年05月26日 00時42分06秒
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