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楽天・日記 by はやし浩司

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2009年06月13日
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カテゴリ:子どもの問題
【いじめ】



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いじめの問題は、いじめそのものを問題にしても、

あまり意味はない。



なぜ、いじめが起きるか。その奥にまでメスを入れ

ないと、この問題は解決しない。いつまでもつづく。



いじめというのは、あくまでも、表面に現れた症状。

その症状を見ながら、言うなれば、対症療法ばかりを

繰りかえしても、根本的な解決には、結びつかない。



+++++++++++++++++++++



●北海道で起きた、ある事件



 昨年(05年)、北海道で、1人の女の子が自殺した。何通も、遺書を残しての自殺だった。し
かも、自殺をした場所が、学校の教室だったという。場所が場所だけに、たいへんショッキング
な事件だった。その女の子には、女の子の何かの思いがあって、そうしたのだろう。



 で、そのあと、学校側が、そのいじめを把握していたかどうかが、問題になった。当初、「知ら
なかった」と言っていた学校側。それに対して遺族側は、「遺書にそう書いてあったのだから、
知っていたはず」と反駁(はんばく)した。



 そのあたりの詳しいいきさつは知らないので、これ以上のコメントは、しようがない。遺族(家
族)の無念さを思いやるにつれ、たいへん痛ましい事件であることには、ちがいない。こういう
事件は、あってはならないことだし、また二度と、あってはならない。



 で、その上でというか、この事件からは一歩退いた上で、(いじめ)について考えてみたい。な
ぜいじめは起きるのか。またどうしてこういう事件が起きるのか。



●いじめを把握するのは、不可能



 まず、率直な意見として、子どもどうしのいじめだが、それを学校側、つまり教師がそれを把
握するのは、不可能と言ってもよい。たとえば10人の子どもたちが、集団でワイワイと言いあ
っていたとする。



 ごくありふれた、どこにでもある光景である。そういう中で、どれがいじめで、どれがそうでな
いか、それを見分けるのは、不可能と言ってもよい。笑いあっているから、いじめでないとは、
言えない。深刻な雰囲気だから、いじめとも、言えない。遊びかもしれないし、悪ふざけかもし
れない。



 仮にいじめであるとしても、いじめる側は、それをいじめと意識していないばあいが、多い。ズ
ケズケとものを言う子どもは少なくない。さらに今度は、受け取る側の問題もある。「キモイ」と
言われて気にする子どももいれば、そうでない子どももいる。さらにここにも書いたように、その
場の雰囲気もある。



 もろもろの要素が複雑にからみあって、いじめはいじめになる。こうした事件につながる。



●どこからが学校の責任か



 で、そのいじめについて、どの程度以上が学校側、つまり教師の責任で、どの程度以下が、
学校側、つまり教師の責任でないかという判断も、むずかしい。いじめといっても、暴力的なも
のもあれば、無視、冷淡、もの隠し、仲間はずれにするといういじめもある。いろいろある。さら
にいじめる側にしても、それをいじめと意識しているばあいはなおさら、先生の目を盗んでする
ことが多い。



 またいじめられている子どもにしても、仕返しを恐れたり、「いじめられる自分が悪いのだ」と
自分を責めることによって、かえって口を閉ざしてしまうケースが多い。もちろん親に話すという
こともない。



 そこでたいていのばあい、……というより、ほとんどのばあい、親が自分の子どもの異変に気
づいてから、あわてて対処するということになる。不登校もそのひとつだが、その前兆症状とし
て、いろいろな神経症(心身症)による症状を示す。それを親が感じて、「どうも、うちの子はお
かしい」「先生に相談してみよう」ということになる。



 実際、いわゆる「いじめ」という「いじめ」のほとんどは、親からの相談や通報によって、発覚
する。99%以上がそうではないか。ということは、こといじめに関しては、(1)親自身がいつも
子どもの様子の変化を把握していなければならない、(2)学校(先生)と親の関係を、風通しよ
くしておかねばならない、ということになる。



 しかしだからといって、それでいじめがなくなるわけではない。



 たとえばこんな例がある。



●ピリピリとした雰囲気



 かなり前のことだが、一度だけ、私の幼児教室で、知能テストを実施したことがある。アメリカ
の権威あるテストを、そのまま翻訳して、使ってみた。で、そのテスト結果をみながら、私は、点
数をつけ、それをグラフ化した。が、これが大失敗だった。



 それまで和気あいあいとしたムードだった親たちの様子が、一変してしまった。私がつけた点
数にしても、「どうしてうちの子が、こんな点数なのだ」「どうしてあの子が、うちの子より、いい点
数なのだ」「うちの子は、先生に、1年以上も世話になっているのに、成果が出ていないのは、
どういうわけだ」となった



 まるでハチの巣をつついたような騒ぎになってしまった。言うなれば、それまで静かだった池
に、大きな石を投げ入れたような感じといってもよい。



 で、その後遺症は、それからもずっとつづいた。というより、その時点を境に、教室の運営さ
えむずかしくなってしまった。



 ……ということが、実は、日常的に子どもの世界で起きている。とくに受験期が近づくと、ピリ
ピリとした雰囲気になる。1人か2人、あるいはさらに数人が、その先頭にたって音頭を取るよ
うになる。



 たいていは頭が切れる、成績のよい子どもである。口も達者で、はきはきしている。が、どこ
か心が欠けている。自分勝手でわがまま。ものの考え方が、自己中心的。リーダー格だが、だ
からといって、友だちに好かれているわけではない。



 このタイプの子どもが、えてして、教室に、独特の緊張感をもたらす。ピリピリとした感じにな
る。



 いじめも、こうした雰囲気から生まれると考えてよい。



●受験競争の弊害(?)



 現状では、いじめというのは、起こるべきして起こる。しかも、それを助長しているのが、受験
競争であり、それに狂奔する親たちである。そう断定してしまうのは危険なことかもしれない
が、その可能性は、ないとは言えない。



 その時期を迎えると、親も子どもも、どこか雰囲気がおかしくなってくる。殺伐(さつばつ)とし
てくる。「心豊かな教育」などという言葉は、どこかへ吹き飛んでしまう。



 が、皮肉なことに、ほとんど親たちは、自分の子どもがピリピリすればするほど、それを喜
ぶ。反対に、自分の子どもが、のんびりとした様子を見せようものなら、「こんなことではだめ
だ」と、子どもを叱る。親自身が、受験競争の弊害の恐ろしさを知らない。こんなこともあった。



 1人、たいへん頭のよい子ども(小6・女児)がいた。「頭がよい」というのは、勉強がよくでき
るという意味である。そういう子どもを、親はたいへん喜んでいたが、しかし親は、その子ども
のもつ、心の冷たさには、気づいていなかった。



 ぞっとするほど、冷たかった。表面的には、明るく、ハキハキした子どもだったが、友だちの
価値まで、成績で決めてしまうようなところがあった。平気で、「あいつはバカだ」「あいつはアホ
だ」と言っていた。



 で、そのことを母親に告げようとしたことがあるが、私は会ったとたん、何も言えなくなってしま
った。その母親自身も、やはりぞっとするとほど、心の冷たい人だった。それを知ったとき、私
が言おうとしたことは、そのまま、喉の奥に引っこんでしまった。



 こういうケースは、たいへん、多い。



 つまりこうして加速度的に、いじめの温床が作られていく。



●学校だけを責めるのは、酷(?)



 北海道で起きた事件は、たいへん痛ましい事件である。そのことには、まちがいない。そうい
う形で自分の娘をなくした親にしてみれば、その心痛はいかばかりか。それを思うと、この私で
すら、いたたまれない気持ちになる。しかもそれが、事故ではなく、いじめが原因ということな
ら、なおさらであろう。



 が、しか、しその一方で、学校側だけを責めるのも、私は酷だと思う。もちろん学校側に責任
がないと言っているのではない。あるいは、こうまで問題がこじれてしまった背景には、私たち
が知らない、何かの事情があるのかもしれない。



ただあえて学校側を擁護するなら、意図的にウソをついたというよりは、こと問題が、ほかの子
どもたちにからむ問題であるだけに、できるだけ穏便にすませようとする学校側の意図が働い
たとも考えられる。



 「だれがいじめた」「どうしていじめた」ということになれば、当然、子どもたち自身が被告人に
なってしまう。私がその場にいた教師なら、それだけは何としても避けたいと願うだろう。



 ……と書きながら、私が言えるのは、ここまで。先にも書いたように、私には、その内情がよく
わからない。新聞に報道された事実だけで、判断をくだすことも、これまた危険なことである。
ただ最後に、一言だけつけ加えるなら、その子どもを取り巻く環境が、もう少し風通しのよいも
のであったら、この種の事件は、防げたかもしれないということ。



 その子どもが、親や先生に、そのときの気持ちや状況を、そのまま訴えることができたとした
ら、親や先生も、適切に対処できたかもしれない。つまりそういう環境がなかったということも疑
われる。というのも、実際問題として、先生自身が、子どもの世界に入りこんで、いじめを発見
するというケースは、きわめてまれだからである。



 ほとんどのばあい、親からの相談などで発覚する。あるいは何か、具体的な事件が起きてか
ら発覚する。



 そこで重要なことは、つまりこの種の事件の再発を防ぐためには、(風通し)をよくするという、
その一語に尽きる。親と学校側の風通しが大切であることは言うまでもないが、子どもと親、子
どもと学校の風通しをよくする。



 つまり子ども立場でいうなら、親にも、先生にも、何でも言いたいことを言い、相談したいこと
を相談できるという環境ということになる。それがとどこおったとき、この種の事件は、起きる
(?)。



 どうしてそれができなかったのか。考えれば考えるほど、今回のこの事件は、たいへん残念
な事件ということになる。






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最終更新日  2009年06月13日 08時18分51秒
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