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楽天・日記 by はやし浩司

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2009年08月08日
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カテゴリ:社会時評

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●故郷と決別する日

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近く、実兄と実母(ともに個人)の法事をする。
実家のあるM町で、それをする。
そのあと、実家を売る。
買い手は決まっている。
その契約をすます。

それがすんだら、家財を処分して、M町を去る。
同時に、故郷とは、決別する。

M町には、現在、親戚はいない。
実姉はいるが、M町から離れた、遠い、山の中に住んでいる。
M町に残るのは、墓のみということになる。
が、私は死んでも、あの墓に入るつもりはない。
ワイフも、ぜったいにいやと言っている。

私はその日を最後に、二度と、あのM町には
戻らない。
(よほどのことがあれば、別だが……。)
それを話すと、昨夜、眠る前にワイフが、
こう聞いた。
「さみしくないの?」と。

「そりゃあ、さみしいよ。
しかしね、それ以上に、うれしいよ。
やっと決別できるんだから……」と。

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●母への恩義

 人は、人とのつながりの中で生きている。
それが無数の糸となって、その人にからんでいる。
親子の糸は、その中でも、とくに太い。
が、親にもいろいろある。
たとえば父は、生涯にわたって、ただの一度も、私を抱いたことがない。
母が抱かせなかった。
父が結核をわずらっていたこともある。
が、母は、それにもまして、異常なまでに潔癖症だった。

 で、残されたのは、つまり私と母の間に残されたのは、細い糸。
が、いくら細い糸ではあっても、人は、その糸に、最後の希望を託す。
こと(故郷)に関して言えば、何もよいことはなかった。
(家族)を通した思い出の中で、楽しかったことなど、ほとんどなかった。
しかしそんな私でも、最後は、こう思う。

 「母も、私には、やさしいときがあった」と。

 それがあるから、今まで故郷を支えてきた。
無住の家となってからも、5年間、支えてきた。
しかしそれを仲のよい従姉(いとこ)に話すと、こう教えてくれた。
「浩司君(=私)、そんなことを、負担に思ってはだめよ。
そんなことは、親の務めなのよ。
子どもを産んだら、責任をもって子どもを育てる。
そんなことは、当たり前のことじゃない」と。

●浜松市が故郷 

 その故郷を、改めて振り返る。
「私にとって、故郷とは、何か?」と。
というより、18歳のときに故郷を離れて、今年で、すでに43年目になる。
いまだに「故郷」にこだわるほいが、どうかしている。
しかし「古里」は、「古里」。
どうしても、こだわってしまう。
なぜか?

 0歳から20歳までの20年と、20歳から40歳までの20年は、密度がちがう。
密度がちがうだけに、思いも、また複雑。
 
だからもうすぐ62歳になろうという私にしても、故郷を心の中から断ち切るのは、
容易なことではない。
本能に近い部分にまで、思い出が刷り込まれている。
が、ずるずると引きずるのも、よくない。
私はこの浜松市で居を構えたし、息子たちにとっては、ここが「故郷」。
その私がふらふらしていて、どうして息子たちの心が落ち着くか。

●解放

 しかし……。
私は、うれしい。
刻一刻と、その日が近づいてきているのが、実感としてわかる。
それがうれしい。
ルンルン気分とまではいかないが、ワクワクしている。
実家を売れば、たいした額ではないが、お金が入ってくる。
そのお金で、ワイフと温泉につかってくるつもり。

 そう、結婚する前から、私は実家に、収入の約半分を送ってきた。
その負担感……金銭的負担感というより、社会的負担感には、相当なものがあった。
あるときから、それは重圧感に変わった。
「親だから……」「子だから……」「兄弟だから……」「大学まで出してもらったのだ
から……」「男だから……」と。
『ダカラ論』だけが、先行した。
それは真綿で首をしめられるような、苦しみだった。
ジワジワと……。
いつ晴れるともなく……。
だれが、というわけではないが、そういう雰囲気の中で、私は生まれ、育った。

 私は母にお金を仕送る。
母は母で、母の実家に、お金を仕送る。
こんな生活が、30年以上もつづいた。
だから私はそのつど、叫んだ。
「もう、いいかげんにしてくれ!」と。

 そう、そう叫ぶのも、これでおしまい。
私は、解放される!

●2人だけ

 だから昨夜、ワイフにはこう言った。
「もうこれからは、2人だけだね。
仲よくしようね」と。

 故郷から決別するということは、同時に、最後の糸を断ち切ることを意味する。
「ひょっとしたら、故郷は助けてくれるかもしれない」「暖かく私を包んでくれるかも
しれない」という糸である。

 しかしそれは、もう、ない。
期待もしていない。
いくら細くても、一本ぐらい、糸を残しておいたほうがよいという考え方もある。
何も自分のほうから断ち切ることもないではないか、と。

 それもそうかもしれないが、しかしそれは私の生き方ではない。
どうせスッキリするなら、何もかも打ち棄てて、心の中を整理したい。
私も、もう62歳。
人生も終盤期に入った。
モヤモヤとした過去にしばられ、立ち止まっている暇は、もうない。
残り少ない時間だからこそ、一瞬一秒を大切に、前に向かって進んでいきたい。

●あとは野となれ、山となれ

 さあ、決別するぞ。
心から消すぞ。
あとのことは、知ったことではない。
野となれ、山となれ。
ははは。

 世の中には、いろいろな家族がある。
家庭環境も、みな、ちがう。
事情も、みな、ちがう。
私は私。
あなたの考え方と、いくらちがっていても、私は私。
私の考え方が、まちがっていると言ってほしくない。
それに私がこういう考え方をするようになったからといって、私の責任ではない。
私の中にも、私自身の意思で作った部分もあれば、私の意思とは無関係に作られた
部分もある。

 ただ覚えておいてほしいのは、世の中には、私のような人間もいるということ。
けっして、少数派ではないということ。
今まで、みな、口に出して言わなかっただけ。
安易な『ダカラ論』に押されて、遠慮していただけ。

 ♪「さらば、ふるさと、さらば、ふるさと、ふるさと、さらばア~」と。

 私はこの歌を、明るくさわやかに歌って、あのM町を去る。

 
Hiroshi Hayashi++++++++AUG・09++++++++++はやし浩司





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最終更新日  2009年08月08日 10時53分12秒
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