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カテゴリ:社会時評
++++++++++++++++++++ ●故郷と決別する日 +++++++++++++++++++ 近く、実兄と実母(ともに個人)の法事をする。 実家のあるM町で、それをする。 そのあと、実家を売る。 買い手は決まっている。 その契約をすます。 それがすんだら、家財を処分して、M町を去る。 同時に、故郷とは、決別する。 M町には、現在、親戚はいない。 実姉はいるが、M町から離れた、遠い、山の中に住んでいる。 M町に残るのは、墓のみということになる。 が、私は死んでも、あの墓に入るつもりはない。 ワイフも、ぜったいにいやと言っている。 私はその日を最後に、二度と、あのM町には 戻らない。 (よほどのことがあれば、別だが……。) それを話すと、昨夜、眠る前にワイフが、 こう聞いた。 「さみしくないの?」と。 「そりゃあ、さみしいよ。 しかしね、それ以上に、うれしいよ。 やっと決別できるんだから……」と。 ++++++++++++++++++++ ●母への恩義 人は、人とのつながりの中で生きている。 それが無数の糸となって、その人にからんでいる。 親子の糸は、その中でも、とくに太い。 が、親にもいろいろある。 たとえば父は、生涯にわたって、ただの一度も、私を抱いたことがない。 母が抱かせなかった。 父が結核をわずらっていたこともある。 が、母は、それにもまして、異常なまでに潔癖症だった。 で、残されたのは、つまり私と母の間に残されたのは、細い糸。 が、いくら細い糸ではあっても、人は、その糸に、最後の希望を託す。 こと(故郷)に関して言えば、何もよいことはなかった。 (家族)を通した思い出の中で、楽しかったことなど、ほとんどなかった。 しかしそんな私でも、最後は、こう思う。 「母も、私には、やさしいときがあった」と。 それがあるから、今まで故郷を支えてきた。 無住の家となってからも、5年間、支えてきた。 しかしそれを仲のよい従姉(いとこ)に話すと、こう教えてくれた。 「浩司君(=私)、そんなことを、負担に思ってはだめよ。 そんなことは、親の務めなのよ。 子どもを産んだら、責任をもって子どもを育てる。 そんなことは、当たり前のことじゃない」と。 ●浜松市が故郷 その故郷を、改めて振り返る。 「私にとって、故郷とは、何か?」と。 というより、18歳のときに故郷を離れて、今年で、すでに43年目になる。 いまだに「故郷」にこだわるほいが、どうかしている。 しかし「古里」は、「古里」。 どうしても、こだわってしまう。 なぜか? 0歳から20歳までの20年と、20歳から40歳までの20年は、密度がちがう。 密度がちがうだけに、思いも、また複雑。 だからもうすぐ62歳になろうという私にしても、故郷を心の中から断ち切るのは、 容易なことではない。 本能に近い部分にまで、思い出が刷り込まれている。 が、ずるずると引きずるのも、よくない。 私はこの浜松市で居を構えたし、息子たちにとっては、ここが「故郷」。 その私がふらふらしていて、どうして息子たちの心が落ち着くか。 ●解放 しかし……。 私は、うれしい。 刻一刻と、その日が近づいてきているのが、実感としてわかる。 それがうれしい。 ルンルン気分とまではいかないが、ワクワクしている。 実家を売れば、たいした額ではないが、お金が入ってくる。 そのお金で、ワイフと温泉につかってくるつもり。 そう、結婚する前から、私は実家に、収入の約半分を送ってきた。 その負担感……金銭的負担感というより、社会的負担感には、相当なものがあった。 あるときから、それは重圧感に変わった。 「親だから……」「子だから……」「兄弟だから……」「大学まで出してもらったのだ から……」「男だから……」と。 『ダカラ論』だけが、先行した。 それは真綿で首をしめられるような、苦しみだった。 ジワジワと……。 いつ晴れるともなく……。 だれが、というわけではないが、そういう雰囲気の中で、私は生まれ、育った。 私は母にお金を仕送る。 母は母で、母の実家に、お金を仕送る。 こんな生活が、30年以上もつづいた。 だから私はそのつど、叫んだ。 「もう、いいかげんにしてくれ!」と。 そう、そう叫ぶのも、これでおしまい。 私は、解放される! ●2人だけ だから昨夜、ワイフにはこう言った。 「もうこれからは、2人だけだね。 仲よくしようね」と。 故郷から決別するということは、同時に、最後の糸を断ち切ることを意味する。 「ひょっとしたら、故郷は助けてくれるかもしれない」「暖かく私を包んでくれるかも しれない」という糸である。 しかしそれは、もう、ない。 期待もしていない。 いくら細くても、一本ぐらい、糸を残しておいたほうがよいという考え方もある。 何も自分のほうから断ち切ることもないではないか、と。 それもそうかもしれないが、しかしそれは私の生き方ではない。 どうせスッキリするなら、何もかも打ち棄てて、心の中を整理したい。 私も、もう62歳。 人生も終盤期に入った。 モヤモヤとした過去にしばられ、立ち止まっている暇は、もうない。 残り少ない時間だからこそ、一瞬一秒を大切に、前に向かって進んでいきたい。 ●あとは野となれ、山となれ さあ、決別するぞ。 心から消すぞ。 あとのことは、知ったことではない。 野となれ、山となれ。 ははは。 世の中には、いろいろな家族がある。 家庭環境も、みな、ちがう。 事情も、みな、ちがう。 私は私。 あなたの考え方と、いくらちがっていても、私は私。 私の考え方が、まちがっていると言ってほしくない。 それに私がこういう考え方をするようになったからといって、私の責任ではない。 私の中にも、私自身の意思で作った部分もあれば、私の意思とは無関係に作られた 部分もある。 ただ覚えておいてほしいのは、世の中には、私のような人間もいるということ。 けっして、少数派ではないということ。 今まで、みな、口に出して言わなかっただけ。 安易な『ダカラ論』に押されて、遠慮していただけ。 ♪「さらば、ふるさと、さらば、ふるさと、ふるさと、さらばア~」と。 私はこの歌を、明るくさわやかに歌って、あのM町を去る。 Hiroshi Hayashi++++++++AUG・09++++++++++はやし浩司 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年08月08日 10時53分12秒
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