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カテゴリ:生きザマの問題
●人間性
+++++++++++++++++++ 目の前に札束が積まれる。 電話一本で、自分のものになる。 相手の男は、こう言った。 「領収書はいりません」と。 部屋の中にはだれもいない。 あなたが迷っていると、さらに相手の男は こう言った。 「このお金は、裏帳簿でねん出したものです」と。 そんなときあなたは、その申し出を断ることが できるだろうか。 言い忘れたが、金額は、3000万円! 電話といっても、配下の役人に電話するだけ。 「よろしく、頼む」と。 ++++++++++++++++++ ●背伸び 私たちは他人の悪事や不正を知ると、まるで鬼の首でも取ったかのように騒ぐ。 「私たちは善人です」と。 朝のワイドショーが、そのひとつ。 このところ芸能界では、立てつづけにいろいろな事件が重なっている。 しかしそういう報道を見ながら、私は、ふとこう思う。 「何を偉そうに!」と。 キャスターにしても、コメンテイターにしても、どこかインチキ臭い。 そういう人たちが、いっぱしの正義を説くから、おかしい。 いや正義を説いてはいけないと言っているのではない。 どこかチグハグだから、おかしいと、私は言っている。 たとえて言うなら、まるで知性を感じさせない俳優が、映画の中で科学者や哲学者を 演ずるようなもの。 背伸びして、力んでいるだけ。 ●自問 そこで冒頭の話。 もしあなたがそれなりの政治家で、目の前に大金を積まれたら、あなたはどうする だろうか。 「私は、そういうお金はいりません!」と、きっぱりと断ることができるだろうか。 政治家が収賄罪で逮捕されるたびに、私は、自問する。 「お前なら、どうする?」と。 で、答えはいつも同じ。 「私なら、もらってしまうだろうな」と。 お金は嫌いではない。 何もあえて嫌う必要もない。 だから私は政治家には向かない。 政治家にはなれない。 仮に断ったとしても、多分(?)、そのあと後悔するだろう。 「もらっておけばよかった」と。 つまり私の人間性も、その程度。 だからこと収賄罪については、私は偉そうなことは言えない。 事実、偉そうなことを書いたことはない。 ●平和宣言 で、再び、子どもたちによる平和宣言。 今年も、あのH市で、子どもたちによる平和宣言がなされた。 今年は、「議論をしつくして、平和を守ろう」というようなことを、子どもたちは言った。 まさに正論だが、正論すぎるという点で、私は顔をそむけた。 相手が、ワイドショーのコメンテイターなら、すかさずこう思っただろう。 「何を偉そうに!」と。 少なくとも、私にはできない。 近親者や近隣者とのトラブルは、無数に経験してきたが、私にはできない。 いわんや、そこらの小学生にできるはずもない。 期待もしていない。 そういう子どもたちが、堂々と(?)、こう言う。 「話し合いで、問題を解決しよう」と。 このおかしさ。 このこっけいさ。 だれかが言わせているのだろうが、子どもに、そんなことをさせてはいけない。 何なら、こんな宣言をさせてみたらどうだろう。 「私たちは、おとなになり、政治家になっても、賄賂は受け取りません!」と。 ●教育の世界でも 人はだれしも、人間的な(弱さ)をもっている。 「人」というより、「人間」と言った方がよいかもしれない。 私ももっているし、あなたももっている。 その(弱さ)を克服するとなると、並大抵の努力ではできない。 それに時間がかかる。 苦しんだり、悩んだりしながら、少しずつ克服していく。 まさに日々の精進(しょうじん)あるのみ。 日々の精進こそが、それを可能にする。 たとえば子どもの教育にしても、そうだ。 教育というのは、手をかけようと思えば、いくらでもかけられる。 が、その一方で、手を抜こうと思えば、いくらでも抜ける。 それこそプリントだけをやらせて、それで終わることもできる。 (世の親たちは、プリント教材を多く与える教師を、よい先生と誤解している ようだが……。 プリント学習ほど、教師にとって、楽な指導法はない!) 子どもたちにしても、もともと勉強などしたくない。 教師がへたにがんばると、かえって子どもたちには嫌われる。 そういうとき自分にムチを打って、手をかけるというのは、実のところ、 たいへんなことである。 その心は、目の前に積まれた大金を断る(心)と、どこか相通ずる。 金額の桁(けた)はちがうが、心は同じ。 手を抜こうと思えば、いくらでも抜ける。 子どもたちもそれを望んでいる。 今日、一日、楽に終わったところで、子どもたちへの影響は微々たるもの。 給料は、ちゃんともらえる……。 そんなときあなたは、手をかけて、子どもたちを指導するだろうか。 それができるだろうか。 ●哲学 話を戻すが、自分の人間的な(弱さ)を克服するのは、簡単なことではない。 先にも書いたように、「その(弱さ)を克服するとなると、並大抵の努力ではできない」。 では、どうするか? ひとつの例として、私はダイエットをあげる。 私は今まで、何十回となく、肥満→ダイエット→リバウンドを繰り返してきた。 数か月ごとの定例行事になっていた。 その私は、こんなことに気づいた。 「哲学のないダイエットは、意味がない」と。 言い換えると、それなりの哲学を構築するのが先。 それがないままダイエットを始めても、長つづきしない。 結局は(ダイエット→リバウンド)の繰り返しで終わってしまう。 たとえばダイエットするにしても、運動と食事制限だけでは、無理。 美容目的なら、さらに無理。 そこで私は、「食べたら損(そこ)ねるのか、食べなければ損なのか」を自問する ようになった。 そして最終的には、「損とは何か」というところまで、考えるようになった。 ●政治家としての哲学 冒頭にあげた、賄賂の問題にしても、最終的には、哲学の問題ということになる。 たとえばその賄賂を、そのまま懐(ふところ)に入れてしまえば、一時的には、得を したことになる。 しかしもう少し長い目で見れば、自分の人間性を損(そこ)ねる。 人生を無駄にすることになる。 つまり損(そん)をすることになる。 その(人間性を損ねる)部分を、はっきりと(損)と自覚するためには、それなりの 哲学、つまり生きざまが必要。 その生きざまの確立なくして、この問題を解決することはできない。 政治について言えば、政治家というのは、国のリーダーである。 そのため無私無欲の公僕でなければならない。 日本全体、世界全体の共通した「善」の達成のためにこそ、力を注ぐ。 ……こうした哲学を、一歩、一歩と完成させていく。 その結果として、政治家は政治家でありうる。 かなりきびしいことを書いたが、それができないようなら、またその努力をしない ようであるなら、偉そうに、政治家などになるべきではない。 いわんや、自己の名聞名利(みょうもんみょうり)の達成のために政治を利用する などということは、あってはならない。 ●精進あるのみ ……といっても、ほとんどの人にとっては、政治家という職業は無縁のもの。 目の前に大金を積まれるということも、ない。 しかし自分の人間性を試されるということは、日常的によくある。 あるいは私たちは、常に試されながら、生きている。 道路でサイフ拾ったとき。 どこかの店で、駐車場の空きがないとき。 並んで順番を待っているとき。 混雑したバスや電車に乗ったとき。 買い物をするとき。 ゴミを捨てるとき、などなど。 そのつど私たちは、自問する。 「損(そこ)ねるのか、それとも損(そん)なのか」と。 自問しながら、自分を高めていく。 その緊張感を緩めたとたん、元の木阿弥。 とくに私のような、もともと素姓のよくない人間ほど、そうなる。 で、やはり答えは、同じ。 「私なら、もらってしまうだろうな」と。 私には、そんな高邁な人間性は、ない。 だから今日も、精進あるのみ。 がんばろう! 2009年8月10日、朝記。 Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年08月10日 08時33分22秒
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