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別ヴァージョンの人間史 by はやし浩司

別ヴァージョンの人間史 by はやし浩司

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2012年06月26日
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私こそ親のカガミ!
代償的過保護(失敗危険度★★★★★)

●代償的過保護

 本来、過保護というのは親の愛がその背景にある。その愛があり、何かの心配ごとが引き金となって、親は子どもを過保護にするようになる。しかしその愛がなく、子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしたいという過保護を、代償的過保護という。いわば自分の心のスキ間をうめるための、過保護もどきの過保護。親のエゴにもとづいた、自分勝手な過保護と思えばよい。

 代償的過保護の特徴は、(1)親としての支配意識が強く、(2)子どもを自分の思いどおりにしたいという欲望が強い。そのため(3)心配過剰、過干渉、過関心になりやすい。(4)子どもを人間というよりは、モノとして見る目が強く、子どもが自立して自分から離れていくのを望まないなどがある。そしてそういう愛を、理想的な愛と誤解することが多い。「私こそ、親のカガミ」と言った母親すらいた。

●子どもを自分の支配下に

 このタイプの親は、一見子どもを愛しているように見えるが、(また親自身もそう思い込んでいるケースが多いが)、その実、子どもを愛するということがどういうことか、わかっていない。わからないまま、さまざまな手を使って、子どもを自分の支配下に置こうとする。もともとはわがままな性格の人とみてよいが、それゆえにものの考え方がどうしても自己中心的になる。「私は絶対正しい」と思うのはその人の勝手だが、その返す刀で、相手を否定したり、人の話に耳を傾けなくなる。がんこになることも多い。

●お前には学費が三〇〇〇万円かかった!

 ある父親は、息子が家を飛び出し、会社へ就職したとき、その会社の社長に電話を入れ、強引にその会社をやめさせてしまった。またある母親は、息子の結婚にことごとく反対し、そのつど結婚話をすべて破談にしてしまった。息子を生涯、ほとんど家の外へ出さなかった母親もいるし、お金で息子をしばった父親もいる。「お前には学費が三〇〇〇万円かかったから、それを返すまで家を出るな」と。

 結果的にそうなったとも言えるが、宗教を利用して子どもをしばった親もいた。ことあるごとに、「親を粗末にすると、バチが当たるぞ」と教えている親もいる。そうでない親には信じられないような話だが、実際にはそういう親も少なくない。ひょっとしたら、あなたの周囲にもこのタイプの親がいるかもしれない。いや、あなたという親にも、いろいろな面があり、その中の一部に、この代償的過保護的な部分があるかもしれない。もしそうならそうで、あなたの中のどの部分が代償的過保護であり、あるいはどこから先がそうでないかを、冷静に判断してみるとよい。

●自分に気づくだけでよい

 この問題は、どこが代償的過保護的であるかに気がつくだけで、問題のほとんどは解決したとみる。ほとんどの親は、それに気づかないまま、代償的過保護を繰り返す。そしてその結果として、親子の間を大きく断絶させたり、反対に子ども自立できないひ弱な子どもにしたりする。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

うちの子は生まれつきそうです!
勉強が苦手な子ども(失敗危険度★★★★★)

●勉強が苦手な子ども

 勉強が苦手な子どもといっても、一様ではない。まず第一に、学習能力そのものが劣っている子どもがいる。専門的には、多動型(動きがはげしい)、愚鈍型(ぼんやりしている)、発育不良型(知的な発育そのものが遅れている)などに分けて考える。最近よく話題になる子どもに、学習障害児(LD児)という子どももいる。教えても覚えない。覚えてもすぐ忘れる。覚えても応用がきかない。集中力がつづかず、教えたことがたいへん浅い段階で止まってしまう、など。

●症状をこじらせない

 しかし実際に問題なのは、能力そのものに問題があるというよりは、たとえば私のようなもののところに相談があったときには、すでに手がつけられないほど、症状がこじれてしまっているということ。たいていは無理な学習や強制的な学習が日常化していて、学習するということそのものに、嫌悪感を覚えたり、拒否的になったりしている。中には完全に自身喪失の状態になっている子どももいる。

 原因は親にあるが、親自身にその自覚がないことが、ますます指導を困難にする。どの親も、「自分は子どものために正しいことをしただけ」と思っている。中には私がそれを指摘すると、「うちの子は生まれつきそうです!」と反論する親さえいる。(生まれた直後から、それがわかる人などいない!)

●コースからはずれたらダメ人間?

 ……と書きながら、日本の教育はどこかゆがんでいる。日本の教育にはコースというのがあって、親たちは自分の子どもがそのコースからはずれることを、異常なまでに恐れる。(「異常」というのは、国際的な基準からしてという意味。)こういうばあいでも、本来なら子どもの能力にあわせて、子どものレベルで教育を進めるのが一番よいのだが、日本ではそれができない。スポーツが得意な子どももいれば、そうでない子どももいる。勉強についても、得意な子どもがいる一方、不得意な子どもがいる。いてもおかしくないのだが、日本ではそういうものの考え方ができない。勉強ができないことは悪いことだと決めてかかる。このことが、本来何でもないはずの問題を、深刻な問題にしてしまう。それだけならまだしも、子どもに「ダメ人間」のレッテルをはってしまう。考えてみれば、おかしなことだが、そのおかしさがわからないほどまで、日本の子育てはゆがんでいる。

●落第を喜ぶアメリカの親たち

 ……という問題が、勉強が苦手な子どもの問題にはいつもついて回る。だからといって、勉強などできなくてもよいと書くのは暴論だが、子どもの勉強は子どもの視点で考える。たとえばアメリカでは、学校の先生が親に、子どもの落第を勧めると、親はそれに喜んで従う。「喜んで」だ。ウソでも誇張でもない。事実だ。子どもの成績がさがったりすると、親のほうから落第を頼みにいくケースも多い。アメリカの親は、「そのほうが子どものためになる」と考える。しかし日本ではそうはいかない。そうはいかないところに、日本の子育ての問題がある。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

やる、やらないも能力のうち
馬に水を飲ますことはできない(失敗危険度★★)

●無理に水を飲ますことはできない

 イギリスの格言に、『馬を水場へ連れて行くことはできても、水を飲ますことはできない』というのがある。要するに最終的に子どもが勉強するかしないかは、子どもの問題であって、親の問題ではないということ。いわんや教師の問題でもない。大脳生理学の分野でも、つぎのように説明されている。

●動機づけを決める帯状回?

 大脳半球の中心部に、間脳とか脳梁とか呼ばれている部分がある。それらを包み込んでいるのが、大脳辺縁系といわれるところだが、ただの「包み」ではない。認知記憶をつかさどる海馬もこの中にあるが、ほかに価値判断をする扁桃体、さらに動機づけを決める帯状回という組織がある。つまり「やる気」のあるなしも、大脳生理学の分野では、大脳の活動のひとつとして説明されている。(もともと辺縁系は、脳の中でも古い部分であり、従来は生命維持と種族維持などを維持するための機関と考えられていた。しかし最近の研究では、それぞれにも独立した働きがあることがわかってきた(伊藤正男氏ほか)。)

●やる気が思考力を決める

 思考をつかさどるのは、大脳皮質の連合野。しかも高度な知的な思考は新皮質(大脳新皮質の新新皮質)の中のみで行われるというのが、一般的な考え方だが、それは「必ずしも的確ではない」(新井康允氏)ということになる。脳というのは、あらゆる部分がそれぞれに仕事を分担しながら、有機的に機能している。いくら大脳皮質の連合野がすぐれていても、やる気が起こらなかったら、その機能は十分な結果は得られない。つまり『水を飲む気のない馬に、水を飲ませることはできない』のである。

●乗り気にさせるのが伸ばすコツ

 新井氏の説にもう少し耳を傾けてみよう。新井氏はこう書いている。「考えるにしても、一生懸命で、乗り気で考えるばあいと、いやいや考えるばあいとでは、自ずと結果が違うでしょうし、結果がよければさらに乗り気になるというように、動機づけが大切であり、これを行っているのが帯状回なのです」(日本実業出版社「脳のしくみ」)と。

 親はよく「うちの子はやればできるはず」と言う。それはそうだが、伊藤氏らの説によれば、しかしそのやる気も、能力のうちということになる。能力を引き出すということは、そういう意味で、やる気の問題ということにもなる。やる気があれば、「できる」。やる気がなければ、「できない」。それだけのことかもしれない。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

子どものうしろを歩くとイライラする!
子育てじょうずな親(失敗危険度★★★)

●子どものリズムをつかめ

 子どもには子どものリズムがある。そのリズムをいかにつかむかで、「子育てがじょうずな親」「子育てがへたな親」が決まる。子育てじょうずな親というのは、いわゆる子育てがうまい親をいう。子どもの能力をじょうずに引き出し、子どもを前向きに伸ばしていく親をいう。

 結果は、子どもをみればわかる。子育てじょうずな親に育てられた子どもは、明るく屈託がない。心のゆがみ(ひねくれ症状、ひがみ症状、つっぱり症状など)がない。また心と表情が一致していて、すなおな感情表現ができる。うれしいときは、うれしそうな顔を満面に浮かべるなど。

●子育てじょうずな親

 子育てじょうずな親は、いつも子どものリズムで子育てをする。無理をしない。強制もしない。子どものもつリズムに合わせながら、そのリズムで生活する。そのひとつの診断法として、子どもと一緒に歌を歌ってみるという方法がある。子どものリズムで生活している人は、子どもと歌を歌いながらも、それを楽しむことができる。子どもと歌いながら、つぎつぎといろいろな歌を歌う。しかしそうでない親は、子どもと歌いながら、それをまだるっこく感じたり、めんどうに感じたりする。あるいは親の好きな歌を押しつけたりして、一緒に歌うことができない。

●リズムは妊娠したときから始まる

 そもそもこのリズムというのは、親が子どもを妊娠したときから始まる。そのリズムが姿や形を変えて、そのつどあらわれる。ここでは歌を例にあげたが、歌だけではない。生活全般がそういうリズムで動く。そこでもしあなたが子どもとの間でリズムの乱れを感じたら、今日からでも遅くないから、子どもと歩くときは、子どもの横か、できればうしろを歩く。

 リズムのあっていない親ほど、心のどこかでイライラするかもしれないが、しかし子どもを伸ばすためと思い、がまんする。数か月、あるいは一年のうちには、あなたと子どものリズムが合うようになってくる。子どもがあなたのリズムに合わせることはできない。だからあなたが子どものリズムに合わせるしかない。そういうことができる親を、子育てがじょうずな親という。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi








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最終更新日  2012年06月26日 07時53分37秒



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