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カテゴリ:ファッション
パリコレ復活のコシノヒロコが語る1の続き。
72歳にして現役のトップデザイナーコシノヒロコは1982年、パリコレに初参加、以来10年間作品を発表した。 しかしバブル景気後急激な円高が加速し海外の日本人デザイナーは大きなダメージを受け、コシノも経営的理由から脱退を決めた。 パリ復活の舞台に選んだのはルーブル美術館の地下。 パリコレの本部が設置されるルーブルはプレスが集まるため、多くのメディアを呼びやすい。 大勝負に出た。 ショーの時間はわずか15分。このために構想に1年、製作に半年、およそ100人のスタッフが動員された。72年の人生をすべてこの15分にかけた。 パリコレ当日、歌舞伎を彷彿させる赤い紅。日本人モデル杏の姿もあった。 日本の美、みだれ髪で粋を表現した。 超満員の観客を見て、「すごい人数ですね、昔とえらい違いやわ。」 開始まであと10分、コシノは全員の衣装にだめだし。 帯をみて、ちょっと何か小さすぎるねといい、全部やり直し。 観客で埋まる会場を見て、コシノは気づいた。 帯を大胆にしなければと。自らの手で粋を帯に吹き込む。 帯を結いつづけていた。 粋は日本人でさえ、表現できない。コシノはそれをあえてテーマに選んだ。 その狙いは通じるのか。 パリの人々は作品が発する何かを肌で感じ取った。 フランスモード週刊誌、ファッションデイリーニューズのジャン・ポール・コーバン編集長は、「非常に感動しました。あまりにも美しかったので泣きそうになった。」 モード雑誌ギャラ・フランスのシャルラック・カルテール編集長は「帯のカット、着物のプリントは日本的でヒロコらしい作品だったわ、彼女の服はヨーロッパや世界の現代社会で気軽に切れると思ったわ」 ◆若さと成功の秘訣とは もう年ばれちゃったのでいいますね。 大体引退して下さいっていう年齢かもわからないけど。私はね引退はね、生涯現役っていう、障害青春っていうのかな、うちのお母ちゃんがそれをモットーとしていましたよ。うちはそういうDNAを持っているにね。 うちの母がそういった私たちに年は関係ない。やれるときはやれる。 そして人が喜ぶことに対してどのように自分がそれにぶつけられるか。 それには健康も大事だし、自分をもたなきゃいけないしそんなこといっぱい教えてくれて・・・ 何を見ても感動して、何を見ても涙するぐらいに心がときめく、そういう気持ちを常に持っていきたいと思う。それがやっぱり若さの秘訣かな。 ◆最後に 若々しくエネルギッシュで国際的に活躍する72歳の女性を見て、年を気にしている自分が恥ずかしく思えた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年03月21日 18時54分30秒
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