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西洋陶器を求めて - 内外の洋食器 -

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2020.08.13
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カテゴリ:***** 伝記 *****
この菊花紋の付いた扉を、ご覧になったことはあるでしょうか?




寺院で稀にある、天皇家由来の菊花紋付きの扉がある門。
これを勅使(ちょくし)門と呼びます。

勅使とは、天皇が出す使者のこと。
勅使門とは、その勅使のみが天皇の指示を伝える際に通ることを許された門。

勅使門がある寺院は稀で、京都などの一部の有名寺院でしか見ることはできません。
その門が、愛知県東郷町の祐福寺にあります。




愛知県でも主要とは呼べない町に、勅使門があるのは意外です。
この門は室町・戦国時代(1528年)に、後奈良天皇の勅願寺として造られました。


後奈良天皇は、慈悲深い天皇でした。
戦国の下剋上の時代を嘆き、民を思いやりました。

1540年に、国内に疫病が流行りました。
その際に天皇は、疾病終息を祈り「般若心経」の奥書を書いています。
その中には次のようにあります。

「このたびの大病で大変な数の人々が亡くなってしまった。
人々の父母であろうとしても自分の徳ではそれができない。
大いに心が痛む。密かに金字で般若心経を写した。
(略)これが人々に幾ばくかでも疫病の妙薬になってくれればと切に願っている。」

2017年の誕生日前の記者会見で、令和天皇(徳仁天皇)は、この書に言及しました。
そして、後奈良天皇を国民に寄り添う模範のひとりとして挙げました。

戦国の世に、疫病に。
不運な時代を過ごした天皇だからこそ、慈悲深くもなられたのかもしれません。

不幸な経験は、人をやさしくするものなのでしょう。


【般若心経】






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Last updated  2020.08.13 14:12:22
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