|
カテゴリ:鹿児島の歴史
久しぶりに勇壮で、しかもほぼ完全な形で残されている仁王像に出会うことができた。 ここは日置市吹上町湯之浦にある南方神社(諏訪神社)の入口である。鳥居には「明治十年(1877)と刻印されている。 下の写真は阿像。向かって右側に立つ。 下の写真は吽像。向かって左側に立つ。 仁王像の立つ鳥居から数百メートル先にもう一つ南方神社の鳥居がある。 一の鳥居から二の鳥居まで行く途中の右側に海藏院跡がある。ここには珍しい墓標がたくさんあるので後で書くことにした。 現在ここの鳥居は一つしかないが、幕末の地誌「三国名勝図会」(さんごくめいしょうずえ)によると並立鳥居だったそうだ。鹿児島県の諏訪神社には並立鳥居が現在もいくつか残されている。 当ブログにも私がこれまでに唯一並立鳥居を見た記事を書いた2015年12月3日「並立鳥居の諏訪神社を訪ねる」を残している。場所は同じ日置市東市来町湯田1896の諏訪神社である。 ここにはまた左側に稲荷神社もある。塗り替えられたばかりなのか鳥が美しい朱色に輝いていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[鹿児島の歴史] カテゴリの最新記事
並立鳥居というのを知らなかったので、2015年の記事を拝見しました。
検索してみると、鹿児島県(薩摩)独特の物のようですね。 2015年の記事の諏訪神社にも立派な仁王像が立っていますね。 仁王様も石造りということや姿かたちも独特です。 鹿児島は明治政府の中枢を担ったからなのでしょうか、廃仏毀釈の動きが大変激しかったようですね。 諏訪神社の仁王様、吽像でしたか?、も左腕が取れていて、かわいそうでした。 今回の仁王様は万全のお姿で、良かったです。 こうした薩摩の独自の文化、というか、鹿児島に限らず地域独特の文化はもっと大切にしてほしかったですね。 100年後のわたしたちが見たい知りたいと思っても、破壊されてしまっていてはそれが到底かないませんから、とても悔しいですよね。本当にもったいないです。 クマタツさんがわたしたちに見せてくださったり、こうして記録に残してくださることで広く知られ、後世にも残っていくことはとても貴重な活動だと思います。 ご自分のご興味があるからこそでしょうが、出来る限り長く広く続けてくださいね。 (2023.04.28 18:51:05)
mamatamさんへ
大変丁寧なまた励ましのコメントありがとうございます。 石造の仁王像も鹿児島に残る歴史遺産ですので本当に大事にしたいですね。 まだまだたくさん仁王像やその他の石造物があることはわかっているのですが、それらを訪ねるのは、残された時間との戦いになりますね。(笑) 私は珍しい石造物に会うと元気が出ます。(爆) しかしまだまだ元気なつもりですので、できるだけ訪ねたいと思っています。 (2023.04.28 19:43:55)
仁王様の お顔かたちも 独特のように思います。姿かたちが残っていて 良かったですね。
(2023.04.28 21:17:16)
こんばんは。都会の開拓で。ビルばかり見ている昨今。大昔のこのような歴史あるものを拝見させていただくと、心が落ち着くような気がします。歴史的なことは分かりませんが、緑深い地に、静かに保存されている姿。素晴らしいと思うと同時に、尊い気持ちになります。
(2023.04.28 21:41:18)
人間辛抱さんへ
仁王像大好きです。 (2023.04.29 07:39:31)
蕗さん8256さんへ
これほどまでにきれいな形で残されている仁王像は珍しいです。 廃仏毀釈の影響で相当傷められたはずなのですが、疎開でもしていたのでしょうかね。 (2023.04.29 07:41:56)
木昌1777さんへ
確かにそうですね。都会ではもう今は見ることのできない自然であり、歴史的な遺物だと思います。 私もこういうものを見ると、心が落ち着きます。 それが私がこういうものを求めてうろつく原動力かもしれません。 (2023.04.29 07:47:50)
いつもコメントを頂きまして、
誠にありがとうございます。 千葉市花見川区でも 「諏訪神社」が存在しています。 ウィキペディア・長作諏訪神社 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE_ (%E5%8D%83%E8%91%89%E5%B8%82%E8%8A%B1%E8%A6%8B%E5%B7%9D%E5%8C%BA) (2023.04.30 10:36:30)
|