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カテゴリ:旅行・ドライブ
グラバー通りを登っていく途中にある「長崎全日空ホテル」の敷地内に「南山手居留地跡」「国際電信発祥の地跡」「長崎電信創業の地跡」の三つの記念碑が立っている。 長崎は先に国際電信が接続され、その後になって東京とつながったそうだ。 1871年に長崎と上海、ウラジオストックが海底通信線でつながり、即時通話ができるようになった際の通信窓口がここにあった。 長崎に行った人は必ずといっていいほどこの緩やかな坂になっている「グラバー通り」を歩いて大浦天主堂やグラバー園に向かう。20軒以上のショップが並ぶ。 大浦天主堂 開国初期の元治元年(1864)に在留外国人のため建てられた現存する日本最古の木造教会。慶長2年(1597)に殉教した日本26聖人に捧げられた教会であるため正式名称を「日本26聖殉教者天主堂」という。元治2年(1865)3月17日、浦上エリアから農民数名がここを訪れ、プティジャン神父に「私の胸、あなたと同じ」と囁きキリスト教徒だと打ち明けた。それは、キリスト教禁教令から250年後のこと。長崎でひそかに信仰が伝承されていたことが明らかになった。まさに奇跡の瞬間だった。建物と宗教的価値から昭和8年(1933)に国宝に指定されたが、昭和20年(1945)8月9日の原爆投下で主祭壇が大破し、5年の歳月をかけて昭和27年(1952)に修復されたという歴史を持つ。 大浦天主堂の左側の案内板に従って進む。 グラバー園の入口に到着。 私もこれまではここを訪れるたびにこの入口から入っていた。 しかし、今回はyoutubeで見た別な入口から入ろうと心に決めていた。いつもの好奇心が頭をもたげたのである。この道を歩いていけば上に別な入口があるという。 いつもの入口を左に見ながら進むと「南山手風致地区」の石柱があった。更に進む。 いくらか歩いただろうか。左側に小さな建物があり守衛さんが立っている。 ああ、ここか! 近いなあ、と思いながら入場券を買おうと思って建物に近づくと守衛さんが慌てて飛んできた。この怪しい爺さんが出口からお金も払わず入場すのではと、思ったような勢いだった。(爆)これだから爺さんは疑われて困るのだよなあ! まだボケてはいないつもりだけど、自分では。(笑) ここは出口専用で入口はまだ先の方だという。 そこから再び苦笑いしながら歩き始めたのだが、歩く人は一人もいない。時々車が通るだけだ。 少し上り坂になっているが、景色もどんどん移り変わる絶好の散歩道という風情である。 それでも、だいぶ歩いたところで、本当にこの先に入口があるのだろうかと少し不安になった。 ちょうどこの左側の崖の上で木の手入れをする人がいたので、聞いてみたが、間違いないという。 しばらく進むと右側に私にとっては、」お馴染みの三菱重工長崎造船所が見える場所に行きついた。 もう少し先に歩いて気付いたのだが、写真に見る下の広場が私が目指していた入口から入場する人の駐車場だった。 駐車場から左折して更に進むと、きつい上り坂が待っていた。 空腹と暑さに耐えながら、登っていく。 おお! やっと目指す入口に到着。600円也の入場券を買って入る。 グラバー園のいつもの入場口にもあったのだろうが、改めてこの入口でグラバー園の図面を見る。 いつもの入口は左上、ただで入場しようとする爺さんに間違われたのが左下の「出口」。 私が入った「入口」は右上で図面があったのが「現在地」。グラバー園の一番高い所にある。 「地番境と居留地境」の案内板 居留地跡碑 三菱重工長崎造船所の錨 旧三菱造船所第2ドックハウスの案内板 三菱重工長崎造船所のドックハウスの2階テラスからはぐるっと回ると長崎市を全部見ることが出来る。左から右へぐるりと回って写してみた。 オッと! 肝心な「女神大橋」を写していなかったので、最後に左に戻ってパチリ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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