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カテゴリ:政治
事実と意見は形式上は違う概念ですよね。 マスコミによる事実の報道。その報道により情報を得て、人々は意見を表明する事が可能になります。 従って、報道の自由は表現の自由の重要な前提です。 ところで、報道機関の報道ですが、単に事実の報道をするだけでなく、かなり主観的・意図的な意見の表明をも伴って、報道がなされることがしばしばあります。 例えば、昨今の例で言えば、選挙における世襲候補の批判。 39年ほど前の話ですが、祖父・父閣僚経験者で、父親の弔い合戦で初陣で苦杯をなめたという3世が私のかつての選挙区にいらっしゃいました。 最後は国民的な支持を得て、総理大臣にまでなりました。今でも多くの国民から支持され、惜しまれながらこの度政界を引退するそうですが。 あの方が初陣苦杯って、信じられますか!。選挙の天才、政局を読む天才とまで言われているあの方が。 2世・3世と言っても選挙ですから、当選が保障されているわけではありません。 今話題の元総理の2男が4世になったとしたら、それは後継候補である4世の彼自身が選挙区の選挙民に支持され評価されたことに他なりません。 加えて、事務所の日頃の活動やご家族の方々、つまりファミリー全体が選挙区の選挙民から評価されていると考えます。 後継候補は自身が地元の選挙民に支持され、更に支持されているファミリーの代表として出馬するわけです。
官僚・秘書・地方議員出身者にも、世襲候補以上の色々な問題点があります。 世襲候補だけを単純に批判する報道機関や政治評論家諸君には大変問題があると思います。 時として、マスコミは地元の選挙民を愚弄していることになるのではないかとみえることさえあります。 報道機関や政治評論家と称する方々が特別インテリジェンスがあるともみえませんが。。。 単なる「揚げ足取り」の「マスコミの煽り」にのらない賢明さが我々有権者には求められていると強く感ずる昨今です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.10.04 12:22:41
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