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家曜日~うちようび~

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2022.08.18
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 十八歳の頃、僕は、夕方の五時から十一時まで、呑み屋横丁にある居酒屋でアルバイトをしていた。

 著しい景気の後退が深刻だ、このままでは日本は終わる、などとテレビは連日騒ぎ立てていたが、僕等の暮らしの端々に、まだその影響は全く感じられなかった。店は相変わらず満席で、その為バイトの時給は高かく、毎晩まかない飯をたらふく喰えたし、綺麗なお姉さんが来店すればカウンター越しに電話番号を聞けた。未成年の飲酒の取り締まりも緩い時代であったし、何かと好都合なアルバイトだった。

「おお、キュー、俺だ、俺だ、俺がやって来たぞ」

 ある晩、父が突然店に現れた。今年の初めに母と離婚した父の顔を見るのは久方ぶりだった。僕がこの店で働いていることを人づてに聞き、わざわざ呑みに来やがったのだ。
 傍らに連れが一人いた。漫画に出てくるホームレスそのものだった。ヘアースタイルが完全にボブ・マーリーだった。そのボブの風体と異臭で店は騒然となり、大半の客が即座に帰った。

「店長、すみません、あいつ、僕の身内です。お恥ずかしながら、父です。今すぐ追い出します」

「こらこら、何を馬鹿な事言っているの。君の大切なお父さんだろ? そして、私にとっては大切なお客様。ほら、通常通り、接客、接客」

 店長が、細かくちぎって丸めたティッシュを鼻の孔に突っ込みながら、僕に優しい言葉を掛けてくれる。店長はとてもいい人だ。

「おい、ちょっと、お父さん、その人――

 こっそり耳打ちをする。

「おお、彼か 彼は俺のベストフレンドだ!」


 カラカラと笑った。二人にお通しとおしぼり、それから生ビールの中ジョッキを出す。父は焼き鳥と砂肝注文し、ボブは鳥皮串のみ、五人前も注文した。ボブは歯が前歯一本しかなく、ヌルッとした鳥の皮を、次々と飲むように食している。

「キュー、俺のちょっとした自慢話を聞いてくれ。俺は今の会社に世話になってたったの半年で、作業員宿舎の食堂のテーブルの、奥から三番目の席で飯を喰っているのさ」

 カウンター越しに串を焼きながら父の話を聞く限り、どうやら父は今の建設会社で異例の出世を遂げているようだ。作業員宿舎の男たちは、食堂で飯を喰う時のテーブルの席順が、イコール縦社会の順列になっているらしい。部外者にはピンと来ないが、恐らく誇るべきことなのであろう。

 父の出世の要因は、「ヒト拾い」の才能を買われてのことだった。父の勤める建設会社は、その日の労働力が不足する時は、毎朝名古屋市中村区の通称「笹島ドヤ街」に日雇い労働者を集めに行った。ひとえに労働者といっても、その半数は要するにホームレスの方々で、父はそのホームレスの扱いがとても上手かったのだ。

 ホームレスの中には、社会のいたずらですっかり心の腐敗しきった者が多く、寄せ場にたむろする彼らに対し、強面のヒト拾いが高飛車な態度で「おい、薄汚い乞食ども、仕事だ、さっさと車に乗れ」と怒鳴っても、付いて来る者はいない。
 作業中もあまりガミガミ指導をすると、ドヤ街から遥かに遠い現場でも、昼の弁当だけ喰って、日当も受け取らず、いつの間にかトンズラをしてしまう。
 そんな連中から父は異常なまでに人望が厚かった。父がぶらりとドヤ街を歩けば、ハーメルンの笛吹きが町中の鼠を集めるかのように、有り余る程ホームレスを連れて帰ってくる。会社がその類い稀な能力を重宝したのだ。

 早朝にドヤ街を訪れる。

「番頭さん、いらっしゃい。さあ、食べて。さあ、呑んで」

 ホームレス達が、父をもてなそうと正体不明の固形物や液体をふるまう。すると父は、その場に腰を下ろし、何とそれを、彼らと一緒に呑み喰いする。

「腐っているか否かの見極めが肝心だ。あたると三日は動けねえ」

 ホームレスたちをエアーガンで撃って遊ぶガキども見つけ次第、鉄パイプを振り回して追い払う。

「痛いぞ~、あれ」

 いや、撃たれたのかよ。

「寒波の朝にホームレスを揺り起こしても動かないときは、後々警察に根掘り葉掘り聞かれると面倒だから、指紋を拭いて逃げるのさ」

 おいおいおい。

「ドヤ街を歩いても野良猫やカラスが逃げず、彼らとただの風景と化せた時、その時こそ、ヒト拾いとして一人前よ」

 人として、どうなのだろう。二人に二杯目の中ジョッキを出す。

「今夜は彼の送別会なのさ」

 父が隣のボブを親指で指差す。伸びた爪の間に土木現場の泥が詰まっている。ちゃんと手を洗えよ、汚らしい。

「彼は元々大阪の西成という街の出身で、流れ流れて名古屋に来たらしい。彼は俺の現場で本当によく働いてくれた。でさ、ある時『君の夢は何だ?』って尋ねたら、『いつか大阪に帰って、もう一度、ダダ犬を連れてリヤカー引きたい』と言った。
 俺さ、その夢叶えてやろうと思ってさ、明日、車で彼を大阪に置いてくる。本当は餞別にダダ犬もリヤカーも持たせてやりたいけれど、俺にはそこまでの財力はないから、大阪に送り届けるだけで精一杯だけどな。ごめんな。そして、ありがとう。本当に今日までありがとうございました」

 父が隣のドレッドヘアーのホームレスに深々と頭を下げている。ホームレスは社会の落伍者だ。中には罪を犯して逃げている奴がいる。結核などの感染症を患っている奴もいる。何より彼らは駅や公園を不法占拠している現行の刑法違反者だ。目の高さを同じにするな。必要以上に優しくするな。馴染むな。溶け込むな。て言うか、ダダ犬ってどんな犬だよ。

 ホニャホニャホニャ。ボブが父に何か話しているのだが、歯が一本しかないからか、元々まともにしゃべれない人なのか、僕には彼が何を言っているのがさっぱり聞き取れない。ところが父はボブの話に何度も深く頷きながら、最後には感極まって泣き出してしまった。不思議だ。彼の言葉が、父には届いているのだ。ねえ、お父さん、よく彼の言葉が聞き取れるね。

「いや、俺だって半分以上は彼が何を言っているのか聞き取れてはいないけどな。うーん、何だろうな、上手く説明できないけど、心から分かり合いたいという強い気持ちさえあれば、相手が歯の一本しかないホームレスだろうが、言葉の違う外国人だろうが、動物だろうが、宇宙人だろうが、案外通じ合えるものさ。うん、俺はそう思う。一事が万事、つまりはそういうことさ」

 ラストオーダーまでしこたま呑んだ父のお会計を、僕がレジで済ませる。店長に申し訳ないと思いつつ、こっそり値段をまけてやった。

「俺にも夢がある。借金を全部返して、もう一度お母さんにプロポーズをするのだ」

 去り際にそう云い残すと、父はボブと肩を組んでのれんの向こうに消えた。店の扉を半開きで出て行ったので、それを閉めに行くと、ボブだけがふらりと店内に戻って来た。ホニャホニャホニャ。アルコールで真っ赤になったボブが何やら真面目な顔をして話しかけてくる。やっぱり上手く聞き取れない。

 明日故郷に帰るホームレスが、何かを伝えようとしている。

 彼の言葉が無性に聞きたくなった。

 あなたとお話がしたい、心からあなたと分かり合いたい。

 そう強く念じて耳を澄ませたら、聞こえた。本当に聞こえたのだ。


 お店に入れくれて、ありがとうございました。

 優しくしてくれて、ありがとうございました。

 あなたは、お父さんにそっくりです。


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最終更新日  2022.08.20 13:41:44
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