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カテゴリ:SF
図書館の相互貸借サービスを利用すれば無料だが、インターネットで買うと1万円もする古書。
ツィオルコフスキー。言うまでもなく、ロケットの父である。本によると、猩紅熱にかかって聴覚障害者になり、小学校の先生をしながらたくさんの学術論文と、3編の科学的空想小説を書いたそうだ。 空想的科学小説ではない。科学的空想小説である。ジュール・ヴェルヌも真っ青の「科学的に正しい」サイエンス・フィクションなのだ。エーテル空間など当時の「常識」の部分を除けば、ロケットの理論、人工衛星、無重力、宇宙服、宇宙での光合成と排泄物のリサイクル、太陽熱の活用等、とてもロシア革命前夜の本とは思えない。 冒頭は科学者たちの会合から始まる。その名前がまたふるっている。ニュートン、ガリレオ、フランクリンなど各国のお歴々が勢ぞろい。そこにロシアのイワーノフがとうとうと自説を開陳し、やがて一同引きずり込まれていく… 作風的にはやはりジュール・ヴェルヌに似ている。ただ、例の偏執狂がいないところがツィオルコフスキーらしい。どこまでも啓蒙的なのだ。唯一、太陽とともに移動する月の「動く植物」が登場するあたり、ヴェルヌが踏み込めなかった世界に一歩、足を踏み入れたという感じだろうか。そういう意味では、この本も空想的科学小説と言えるのかもしれない。願わくば火星に近づくだけでなく、着陸してほしかったけれど。 また、ヴェルヌの小説は常に人間くさいが、この本の舞台は1916年から百年後の世界で、世界連邦が実現し、もう70年も戦争のない(どこかの国みたいな)ユートピアである。2017年までもういくらもないが、そのときまでに世界は少しでもツィオルコフスキーの理想郷に近づいているだろうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.07.30 17:51:27
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