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Jan 9, 2008
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カテゴリ:伊庭求馬孤影剣
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 江戸城の四里周囲を御府内(ごふない)と呼ぶが、周辺は江戸とは云うもの

の、町屋はなく荒れ果て流れ者が住み着き、昼でも物騒きわまりない場所であ

る。その大川(隅田川)東岸の本所の朽ち果てた荒れ寺に、深編笠で身形の

立派な武士が、数名の配下に守られ寺の中央に佇んでいた。

 彼の目前には、十名ほどの錏頭巾の男たちが座りこんでいた。不気味な気配

が漂い、全員が沈黙をまもっている。

「遅い」  お頭の山彦の彦兵衛が苛立った声を発した。

「彦兵衛、猿の吉兵衛はもどらぬな、奴等の手にかかったのじゃ」

 深編笠の武士が物静かながらも鋭い声をなげた。

「そんなに柔な男ではございませぬ」

「もう、朝の七つ(午前四時)を過ぎる。何もなければ帰ってこよう」

「ならば、我等の襲撃が漏れたのではありませぬか?」

「わしには、判らぬ」

「老中首座の水野忠邦さまでも、判りませぬか」

 山彦の彦兵衛が揶揄するような声で訊ねた。

「彦兵衛、二度とわしの名を口にするな」

 水野忠邦と名指しされた深編笠の武士が、鋭い声で叱責を浴びせた。

「申し訳ございませぬ」

「わしは戻る。命があるまで襲撃は控えよ、ただし高島藩は厳重に見張る

のじゃ。これは当座の資金じゃ」

 武士が懐中より、切餅(二十五両)二個を台の上に置き本堂をあとにした。

 荒れ寺の前には立派な駕籠が、主人を待ちうけていた。大川の東に太陽が

顔をだし、川面から白い靄が立ちのぼり、周囲は残暑の朝を迎えていた。

 この御府内は町奉行所の管轄区であるが、一行は悠然と引き返して行く。

 駕籠のなかで水野忠邦は、考えをめぐらしている。

「三右衛門」

「はっ」  用人の加地三右衛門が駕籠脇に寄った。

「奴等は、わしが影の軍団として養ってきた。じゃが、今夜のお勤めをみると

いささか心もとない」  声が途絶えた。

 水野忠邦は駕籠のなかで瞑目していたが、再び厳しく命を発した。

「そちは城内をしらみ潰しにあたるのじゃ。わしの失脚を狙う者を探索いたせ。

特に大奥の女子共と、阿部正弘の周囲に目配りいたせ」

「かしこまりました」  暫くしてまた声がした。

「青山百人町の御家人、村松三太夫を我が屋敷に連れて参れ」

「あの、鵜飼流の遣い手の村松にございますか?」

「そうじゃ、奴は使える」

「かしこまりました」

 御府内から江戸の中心地、朱引地(しゅびきち)に入るには、大木戸を潜らね

ばならないが、一行は町奉行所の役人に丁重に迎えられ、朱引地に入った。

 老中首座の威光は、当時、このようなものであった。

 江戸の町は明け六つ(午前六時)から、活況を呈し始める。

 振り売りが野菜や魚介類を担ぎ、威勢のよい声で売り歩いている。

 鮪を二匹も大きな桶に入れて担いでいる者もいる。全員が褌と半纏(はんて

ん)姿であるが、猥雑感はない。煮しめなんぞの惣菜(そうざい)を売る屋台店

には、人溜りがして人々が争って買い求めている。

 何でも四文で売ったので、四文屋(しもんや)と呼ばれる店もあった。

 いたる所に蕎麦屋が店開きをしている。豆腐屋、味噌漬け、花鰹、醤油、

田楽、なんでも売られている。変わった商売は、蓮葉(はすっぱ)を扱う店もあっ

た。それは盆前までの商いで、盆が過ぎれば川に捨てられた。

 しかし、天保十一年頃から、物価が上昇し人々の暮らしを圧迫しだした。

 水野忠邦の改革の失敗からであった。

 そうした喧騒のなかを駕籠の一行は、永代橋を渡り外日比谷御門から西の丸

御門へと進んでいた。老中屋敷として西の丸下に豪壮な屋敷を拝領していた

のだ。

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Last updated  Jan 9, 2008 04:55:22 PM
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