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Jan 12, 2008
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カテゴリ:伊庭求馬孤影剣
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「描かれた年代は、武田信玄が亡くなった直後と考えられますな。天正

元年、四月十二日、信州の駒場の地にございます」

 嘉納隼人正が何事か思案しつつ答え、語をつづけた。

「信玄は三年間、己の喪を秘するよう遺言し、遺骸は諏訪湖に沈められたと

云う、伝説が伝えられておりますな。さすれば金塊も絵図どおり、諏訪湖と

考えても可笑しくありませぬな」

「隼人正の申すとおりと余も思う、しかし、今から二百六十年前となると、

諏訪湖の地形も、あの当時と比ぶるば、全てが変わっておろう」

「殿は如何為されます」

 岩村弦四郎が厳しい顔で尋ねた。

「これは、余の考えじゃ。金塊があろうと無かろうと、此の絵図は我家の宝。

いかに老中首座の水野忠邦が狙っておろうと守らねばならぬ。もし、金塊が

あれば、いずれ日の目をみる時が参ろう」

「ならば、決して奪われては為りませぬな」

 隼人正が剽悍な眼差しで忠政をみつめた。

「我が諏訪藩のみで、この絵図を守りとおす事は至難の業じゃ。そのために

隼人正、そちの兄、嘉納主水殿の力が必要なのじゃ。しかし、水野は我が屋敷

を見張っておろう、なにか良い思案はないものかの」 

 忠政の、この一言で隼人正と弦四郎は主人の決意を知った。

「このまま屋敷に隠しておこうと、水野忠邦は首座の権力で力ずくでも奪うで

あろう。隼人正、なんとしてもそちの兄上と連絡を取ってはくれまいかの」

「難題にございまいな、拙者と兄上とが、兄弟とは水野はまだ知りませぬ。

しかし、拙者が出向けば、直ぐに察しましょうな」

「同じ駿河台じゃ、何とかなりませぬか?」

「弦四郎、焦ったら敗けじゃ。良き考えが纏まるまで辛抱するのじゃ。さて、

殿にお願いがございまする、その懐剣の隠し場所ですが、下手に隠すよりも、

堂々と敵の眼に晒してはいかがにございます」

「隼人正、何か考えがあるな」

「この懐剣には、我家の紋が印されております、奥方さまにお持ち頂けば、

不自然には映りませぬむ」

「それは良い思案じゃ、早速、奥に持参させよう」

 諏訪忠政が賛同した。

 こうして高島藩の首脳陣が頭を痛めている間に、惨劇が起こったのだ。

 大奥で水野忠邦讒訴(ざんそ)の急先鋒が、家慶の愛妾である側室のお真紀

の方であった。その事実が水野忠邦の用人、加地三右衛門に知れたのだ。

 将軍家慶は四十代後半となっても、大奥に入り浸っていた。彼の正室は朝廷

の縁の深い、有栖川織仁親王(おりひとしんのう)の娘、喬子(たかこ)であった。

が、家慶は七人の側室をもった、その中で一番のお気に入りが、お真紀の方

であった。お真紀の方は日本橋の北にある、駿河町の呉服問屋、越後屋の

次女であった。その、お真紀の方を水野忠邦は暗殺の標的としたのだ。彼の

狙いは己を貶(おとし)めようと画策する者を、将軍から引き離す、それが

目的であった。

 その刺客が鵜飼流の遣い手、村松三太夫である。八月末、お真紀の方は

懐妊し、実家にお宿下がりをしていた。

 江戸は残暑が厳しい時期にあたり、多摩にある越後屋の別邸にお真紀の方

は、療養を兼ねて宿泊していた。

 村松三太夫は、麻の縞模様の単衣姿で多摩に向かった。

 自慢の赤鞘の大刀を佩(お)び、胸元をだらしなくはだけた姿で道を急いだ。

 流石に江戸とは違い、風の涼しさが実感される。村松三太夫は、村の鎮守の
   
森に入り夜を待った。

「畜生」  首筋にたかる藪蚊をたたき鎮守の森から出たのは夜の五つ半(午後

九時)頃であった。

 別宅の門前には、篝火が焚かれ、火の粉か闇夜を焦がしている。

 警備の士が十名ほど手槍を携え、表門と裏門を警戒していた。

血風甲州路(1)へ

 





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Last updated  Jan 12, 2008 04:56:02 PM
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