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カテゴリ:源義経黄金伝説2015年版
源義経黄金伝説■第61回★
作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 Manga Agency山田企画事務所 ★漫画通信教育「マンガ家になる塾」 ★http://www.youtube.com/user/yamadakikaku2009 you tube「マンガ家になる塾」 ■ 建久三年(1192)3月13日京都 後白河法皇の御殿に九条兼実が現れる。 後白河法皇の最愛の人、高階栄子からの至急の呼び出しがあったのだ。 彼女が丹後局たんごのつぼねである。 法皇の部屋には、病人独特のにおいが立ちこめ、香りがたかれていて、九条兼実は、むせかえりそうになった。 兼実は、すでに死のにおいをかいでいる。 病床にある後白河は、力なくやっと左手をあげ、「兼実、ちこうまいれ」と 弱々しげに言った。 「ははつ、法皇様。何かおっしゃりたきことがござりますやら」 「そばに行かれよ」 後宮の女帝、高階栄子が、兼実をせかす。 「朕の遺言じゃ聞いてくだされ」 「、、、、」 「よいか、それぞれの貴族の家は、古式ののっとり、各家々の特異技を家伝とされよ」 「それが、板東の奴輩に対抗する手でござますか」 藤原兼実も、すでに藤原氏の氏の長者うじのちょうじゃになっているのだ。 「朕が遺言、よくよく聞いてくださるか。兼実殿」 後白河法皇が、言った。 高階栄子が、兼平をせかす。 「それそれ、兼実殿、よいか、よーくおおききいれくだされや。猊下のお言葉です」。 「よいか、兼実殿。京都に残るすべての貴族方々に告げられよ。皆々、その連枝を以て、家伝とされ、それを子孫についでゆかれよ。またそれを以て、朕が、皇家を護るらしめよ。その連枝れんしをもって我が王朝を助けよ。まもれよ」 「坂東の族どもには、それしかないとおっしゃりますか」 「幸い、西行がはり巡ぐらせし「しきしま道」は、朕らが皇家の護りとなろうぞ。「しきしま道」和歌により、、言葉にて、我国土は護られようぞ。言葉の守りぞ。外つ国には、 断じて我が領土は、ふめぬ、、わ」 言葉による防衛網が、張られていると、後白河法皇はいうのだ。 「これによりわが国は神と仏による鎮御国家となった」 「まずは藤原定家が先陣かと考えます」 法皇は、急に目をつぶり、静かになる、 「母君、兄君。いまおそばにまいらせましょう。目宮めのみや君、萎宮なおのみや君もな」 法皇は、4人目の宮、4つの宮であり、自分の兄弟の名前を呼んだ。 目宮は眼が見えず。萎宮は体が動かなかったのだ。 「御家を、それぞれの家を、古式由来の技で守ってくだされや。いにしえよりの我々貴族の技わざこそ我ら貴族を守る。朕の遺言ぞ、、」 「兼実殿、、、」 「はっつ」 「お、お主とは、、最後まで、、分かり合える事は、、なかった、、な」 「、、」 「が、頼んだぞ。わが王朝と貴族の連枝を守るのじゃ。、、それが藤原の、、」 「よいか、藤原の兼実殿のお役目ぞ」 丹後局である高階栄子が、かたわらで繰り返す。 法皇の様態が変化した。 「弁慶に謝ってほしい。お、お前から伝えてくれぬか、、」 「弁慶どの、、ですか、、」 兼実は言いよどむ。熱病にとらわれているのか、法皇は、すでに弁慶がこの世 の人ではないことを忘れている。 4年前1189年文治5年4月30日に衣川でなくなっている。 「兼実殿、猊下のお言葉にあわせられよ」高階栄子が、叱咤する。 「朕は、この父は、悪人であった。弁慶お前を我が王朝の闇法師として使ってのう、許してくれ。お前の一生を犠牲にしてしまってのう」 法皇は、弁慶が目の前にいるようにしゃべっているのである。 兼実が弁慶に見えるようだ。兼実は、法王のいいがままにしている。 弁慶は法皇の子供だった。 「朕はな、この京都を守りたかった。あの鎌倉が武者どもに、板東の蛮人 どもに政権は渡せぬぞ。 血なまぐさき奴輩。京都を源頼朝や藤原秀衡に渡してなるものか」 しばらくは沈黙が続く。 「そうじゃ、西行は、西行はどこだ。崇徳上皇の霊が俺を呼んでおる。 早く、早く、崇徳の霊を追い払ってくれ。のう、西行。そうじゃ、平泉にの霊 御殿をつくる話は、、いかがすすんでおる。藤原秀衡は喜んでおるか…」 兼実は、西行になったつもりで、告げた。 「西行はここにおわしますぞ。どうぞ、法皇様。経文を、経文をお唱えくだされませ」 「何、経文をか。よしわかったぞ。それに西行、もし朕が亡くなれば、よい か。あの法勝寺殿の跡に葬ってくれ。くそっ、木曾義仲め」 法勝寺殿は、現在の三十三間堂あたりにあった法皇の御殿であり、義仲の襲 撃によって焼き払われていた。 八角九重の塔は、八十二mの高さを誇り遠くから望見できた院政と京との象徴であったが、今はそれもない。 「法皇、安んじなされませ。やや、経文をお読みくだされ…」 「おお、そうだ。そうだ」 後白河は、経文を六度唱えた、そして静かに。院政最期の巨人は崩御された。 「猊下…」 丹後局以下侍女たちが嘆き悲しむ。 しかし、藤原(九条)兼実は、法皇の亡きがらを前に、考える。 これで、、頼朝殿に征夷大将軍の位を与えることができる。 兼実は鎌倉殿、頼朝びいきの男であった。 建久三年(1192)3月13日、後白河法皇、崩御。66歳であった。 その昔、西行は崇徳上皇の霊をしずめることで、後白河法皇の信任を得ていた。 西行は、平泉に第二の御所をつくることと引き換えに、崇徳上皇の白峰神宮をつくることを約束していたのである。 (続く) 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 Manga Agency山田企画事務所 ★漫画通信教育「マンガ家になる塾」 ★you tube「マンガ家になる塾」http://www.youtube.com/user/yamadakikaku2009 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.06.04 12:19:26
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