金曜午前、半日休暇をとって上野の「ダリ回顧展」へ行った。
じつは大人気の展覧会には半日休暇をとって平日に行くことにしている。 今年4月の藤田嗣治回顧展もやはり平日の午前に休暇をとって行った。 いつもながら、回顧展というのはいい。 芸術家の“幅”を楽しむことができるから。 10代のころの「病める子供」という自画像から ダリ最後の作となった「燕の尾とチェロ」まで。 たぶん、「真剣にあそぶ」って、こういうことなのかも。 ひとつひとつの強烈なメッセージ性が、ミステリーの上塗りをほどこすことによって、ナマのメッセージの安っぽさから解放されて、天へ、また異次元へと、昇華する。 恋おおきピカソと同じく、愛する女性からエネルギーを得たダリ。 高度の絵画技術と子供のいたずらが同居する脳空間を、詩人エリュアールからダリが奪った“ガラ”ことエレナ・D・ディアゴノフという女性が浮遊した。 ダリ回顧展をみて、これは何としてもダリの故郷スペインはフィゲラスのまちのダリ劇場美術館に行きたいと思った。 上野に来たダリの世界は、ぼくがこれまで想像していたダリの世界の振幅をあざ笑うかのように超えていた。 あまりに有名な「記憶の固執」のような、青と黄色と茶色の荒野がとろける世界。 それは、神出鬼没のダリの百面相のなかの一相にしかすぎない。 上野の限られた作品群でこれを思うなら、ダリ劇場美術館へ行ったらどれほど衝撃のシャワーを浴びられるだろう。 今回の上野の回顧展は、図録も親しみやすい編集+しゃれた装丁+あそび心(見開きのどこかに1匹かならず蟻をひそませてある)。 高得点を差し上げたい。 ダリの作品と、カタルーニャの風景写真を並べて見せてくれた巻末の10ページが、とりわけ興味深かった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Oct 8, 2006 05:53:05 PM
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