テーマ:読書(8595)
カテゴリ:読 書 録
≪彼女は僕の髪を指で梳きながら言った。
「もちろんサンタクロースは本当にいるよ。でもひとりきりじゃとても仕事が片づかないから、主は私たちみんなにちょっとずつ仕事をおわけになってらっしゃるんだよ。だから私たちみんながサンタクロースなのさ。私もそうだし、お前だってそうだよ。いとこのビリー・ボブだってね。だからもうお休み」≫ (「あるクリスマス」の最後のくだり) こういう心温まる人生の達人のことばがいい。じつは本書に収められた6篇のうち4篇は、こういうおじいさん、おばあさんが出てくる。 トルーマン・カポーティ著、村上春樹 訳 『誕生日の子どもたち』 (文春文庫) でもぼくの気に入りは、ダークなきらめきのある「無頭の鷹」だ。36歳のヴィンセントと謎めいた娘の話。ミュージカル「続オペラ座の怪人」の怪しげな遊園地の雰囲気に通じる。2度読んでしまった。 ≪世の中には生み出された作品そのものより、それを生みだした人物の方に興味がかきたてられる種類の作品がある。たいていの場合人はそのような作品の中に、かたちにすることができない、自分ひとりだけが知覚できるものだとそれまで考えていた何かを見出すことができるからである。≫ (「無頭の鷹」より) ≪彼はそのとき人々の多くがやはり内面の堕落をそのまま具現化した己れの邪悪な分身を背中にしょっていることに気づく。≫ (「無頭の鷹」より) おばあちゃんものに戻る。「クリスマスの思い出」のここのくだりも気に入った。神様とは? ≪「私はこれまでいつもこう思っていたんだよ。神様のお姿を見るには私たちはまず病気になって死ななくちゃならないんだってね。そして神様がおみえになる時はきっと、バプティスト教会の窓を見るようなものだろうって想像してたんだ。太陽が差し込んでいる色つきガラスみたいに綺麗でさ、 〔中略〕 でもそれは正真正銘のおおまちがいだったんだよ。これは誓ってもいいけれどね、最後の最後に私たちははっと悟るんだよ。神様は前々から私たちの前にそのお姿を現していらっしゃったんだということを。 物事のあるがままの姿、人がこれまでいつも目にしてきたもの、それがまさに神様のお姿だったんだよ。私はね、今日という日を目に焼きつけたまま、今ここでぽっくりと死んでしまってもかまわないと思うよ」≫ (「クリスマスの思い出」の最後のくだり) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Jul 27, 2014 04:42:16 PM
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