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カテゴリ:音楽
昭和の名曲、美空ひばりの最後のシングル曲となった『川の流れのように』を作詞した秋元康が細木数子の番組に出演し貴重なエピソードを紹介した。
平成元年、享年52歳の短き生涯を終えたが、その葬儀で参列者たちが歌って送った曲がこの曲であった。 秋元康は当時とんねるずとかおニャン子クラブの作詞で多忙であったが、自身から美空ひばりに詩を書きたいといって、生田スタジオに来てといわれ、3時間から5時間待った。ようやくあえて「あなたのことは知っているわよ、よろしくね」といって終わったという。 普通ならこんなに時間をかけて待ったのにと思うが、そういうことを感じさせないオーラがあり、謁見できたという感覚をおぼえたという。 一番は、美空ひばりがあれだけ波乱万丈な、半生をいきていて、大丈夫よ人生なんて、川の流れのようなものだから、なんとかなるわよという応援歌をつくろうと思ってのことだという。 そのときにたまたまニューヨークに住んでいて、前にイーストリヴァーという川が流れていて、そろそろ日本へ帰りたいと思っていたので、そのときにこれは日本につながっているんだなと、それが重なって”川の流れのように”となった。 元々10曲のアルバムをつくっていたが、その中でシングル用に「♪ハハハ」という非常に元気な応援歌をシングルにしようと思っていたが、美空ひばりの方からどうしても、川の流れのようにをシングルにしたいと、歌手生活で一度もスタッフに反論をいったことがなく、全部任せていたが、この曲だけはじめてわがままを言った。 レコーディングしたときに、美空ひばりは 「この曲はいいよねといって、人生っていうのは真っ直ぐだったり、曲がってたり流れが速かったり遅かったり本当に川の流れのようなものなのよ。でもね、最後はみんな同じ海に注ぐのよ」といったという。 そのときはすごいことをいうなと思ったが、後にすごい意味をもっているなと思ったという。 知らず知らず 歩いてきた 細く長い この道 振り返れば 遥か遠く 故郷(ふるさと)が見える でこぼこ道や 曲がりくねった道 地図さえない それもまた人生 ああ 川の流れのように ゆるやかに いくつも 時代は過ぎて ああ 川の流れのように とめどなく 空が黄昏(たそがれ)に 染まるだけ 生きることは 旅すること 終わりのない この道 愛する人 そばに連れて 夢 探しながら 雨に降られて ぬかるんだ道でも いつかは また 晴れる日が来るから ああ 川の流れのように おだやかに この身を まかせていたい ああ 川の流れのように 移りゆく 季節 雪どけを待ちながら ああ 川の流れのように おだやかに この身を まかせていたい ああ 川の流れのように いつまでも 青いせせらぎを 聞きながら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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この歌の何処がいいのか細かく説明してください。人生を道に例えるのはありきたりですし、急に川の流れが出てくるし、空が黄昏に染まるところなんかは、視点が定まらない雑な構成にしか思えないです。
川の流れのようにが発表される直前の星野哲郎作詞のみだれ髪と比べればその言葉のリズムの悪さ、ありきたりな作詞家の考えは、歴然です。 (2018年01月22日 20時31分45秒) |