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カテゴリ:ファッション
新報道2001のマネーコンパスで、パリコレ復活のコシノヒロコ(72歳)が語る。
ファッションデザイナーのコシノヒロコは販売店舗244店で年商162億円を売り上げる巨大ブランドの大親分。 3姉妹で長女だが、次女にコシノジュンコ、三女にコシノミチコがいる。 72歳にして現役のトップデザイナー。 15年ぶりにパリコレに挑戦。パリコレのモデル審査で100名の中から20名を集めた。 この道50年の目が厳しく審査する。 日本独自にして最上の美意識「粋」を武器にして世界で戦う。 粋を口で表現できたら、もうすごいわ。言葉で表現できないのが“粋”やねん。 兵庫芦屋市に自宅がある。設計は世界的建築家安藤忠雄。 この家に粋を選んだ理由がかくされていた。 地下の衣装室にデザインしてきた50年分の衣装がある。 コシノの作品は時代を追うごとに変化してきたが、いつも日本を意識してきたジャポネスクがテーマの根底にあった。世界を相手に戦った作品から当時の熱狂が聞こえた。 子供の頃から事あるごとに向き合った三味線を手に取った。 粋の原点、それは今からおよそ70年前のコシノの幼少時代にさかのぼる。 大阪・岸和田駅前商店街、洋裁店の3姉妹の長女として昭和12年に生まれた。 祖父はヒロコを連れ歌舞伎座へといった。そこで目に焼きついたのが着物の美しさ。 家に帰ったヒロコは歌舞伎の衣装を店先に落書き。日本の美、それはヒロコにとって原風景であった。 着物という歴史をどのように洋服とシンクロさせながら本当にほかの国の人たちではできないオシャレを我々がやるべきだっていうことは、子どもの頃からずっと思っていたという。あの美しさっていうのは頭から離れないという。 その結果たどりついたのが帯だった。 不況はファッション業界を直撃、なぜ今パリコレに挑戦するのか。 パリコレでかかる総費用は平均5000万円。 失敗すれば世界中のメディアからこき下ろされ、すべてを失うことに。 あのココシャネルでされ、酷評された厳しい世界。 今は最低ですよ、世の中は これ以上落ちることはないと思います。 最低の時に出たらいいじゃないですか。 最高のチャンスなんですよ。 命をかけて自分の最大の力を発揮して私の力はこうなんだけど、通用するかしらということを試してみたいの。 こういう時だからこそ。 パリコレが成功すればおそらくパリやニューヨークやミラノだけではなくて、今後はアジアに戦略を持っていくことは本当に可能だし、早いだろうなという計算はあるんですよ。 パリコレ復活のコシノヒロコが語る2へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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3月15日、NHK昼の「スタジオパーク」にコシノヒロコさんが出たときに紹介された、お母さんが描いたという絵を良く見たいと想います。画の全面がが赤一色と言うほどのもので、大変魅力的でした。絵ハガキかインターネットかの方法を教えてください
(2012年03月15日 15時49分51秒)
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