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カテゴリ:BL小説
『ギャルソンの躾け方』榎田尤利 発売されてまだ1年半ほどしか経っていないのに、古色蒼然と感じるのはなぜだ。 かくいう自分も、去年の夏ごろ古書店で買ったまま読むのを忘れて放置していて、昨日やっと電車の中で読みきったけど、もう随分昔のBLという感じがした。 この藤井沢商店街シリーズは3冊目? 歯科医の話と整備工の話は読んだな。たしか猫が出てくる小説家の話も、この商店街ではなかったか。榎田さんも、登場人物リンクさせてお話つくるのうまいよな。 ベタな整備士がいるかと思えば、シャイな歯科医もいて、おまけに大富豪の紳士が趣味でカフェまでやっていて、みんなフォモ。どんな商店街だよ。 榎田さんだからして、お話はよくできているのよ。 構造も紳士とチンピラ、大金持ちと貧乏人、王国(カフェ)と商店街という聖俗の対比が見事でさ、あんまりBLBLっぽくなくお話がすすむなあと思ったら、攻めはとんでもない性癖の持ち主だったりさ。 出てくる食べ物はおいしそうだし、街の雰囲気も伝わるし、ああやっぱり榎田さんはうまいよなあと思うんだけど。 でも古くさい。 なぜだろうと考えてみた。 まず「ギャルソン」という単語がいけない。バリスタやタブリエがやっと人口に膾炙してきたとことろだけど、逆にギャルソンはもう死語だろう。 日本のカフェでギャルソンって、なんかうら寂しいイメージがあるのよ。だって見た目がギャルソンじゃないし、チップで生計立てているわけじゃないから、プロ根性に欠けるもん。 そういえば昔、イブ・モンタンが主役を演じた、初老のギャルソン映画があったけど(まんま「ギャルソン」だった)、あれはもう20年以上前の映画だよな。 オノナツメさんの「リストランテ・パラディーソ」に出てくる、初老で白髪・老眼鏡のカメリエーレ(給仕人)のほうが、ギャルソンって響きよりよっぽど今っぽい。 今どきの若いお嬢さんは、もしかしたら知らないかもしれない「ハウスマヌカン」と同様の、時代とともに風化しちゃった響きがあるよなあ。 カフェ「ラッフル」を舞台にしたふたつのストーリー。 最初はオーナー店長と、ネルドリップの天才のカップル。次は店長の腹違いの弟がじゃまする話。もちろん弟もフォモだ。 店長はお育ちがよくて丁寧語で、ヘテロなよくできた元秘書が雑用を一手に引き受けている。ばあや付きで家を飛び出した放蕩息子みたいなもんだな。 で、カフェを「自分の王国」と言ったりする、ちょっとナルはいったヘンタイさんである。 一方、受けちゃんのほうは、ちょっと突っ張ったところのあるフツーの子。しかられたくておいたばっかりしてる。 で、しかられたい受けと、子ども扱い・猫扱いできる恋人が欲しい攻めが出会ってしまうんだな。 この二人、どっちもツンデレで、最初どうなることかと思ったら、ツンデレ鬼畜攻めが年長さんだからしつけつつも甘やかし放題、つっぱるのを辞めた受けはツンデレではなくなって単なる恥らう乙女になってしまう。 しかし紳士の皮を着たヘンタイさんというのは、商店街という日常からの乖離が大きすぎてなかなか香ばしかった。丁寧語でいきなり耳を舐められたり、命令されたりしたら、自分だったらどうするかな。 榎田さん、食べ物描写がうまいけど、この本に出てくるこじゃれたカフェ飯は、描写はあざやかだけど、それほど食指はそそられなかった。ピタパンもアボカドサンドもボルシチも、本当にお腹が空いているときは、食べたい筆頭にはこないメニューだもの。 やっぱりルコちゃんのハニーがつくるホットケーキと鶏だんご鍋みたいに、飢えた生活不適応者に与えるエサ、的な下世話感ギリギリなところがほしい。 あと、出る絶対数が少ないのにわざわざ農園と契約するって、輸送コスト考えたらちょっと非現実的。メニューの価格設定からして、立地は東京の都心からそう遠くない私鉄沿線っぽいから。 この本の受けは猫だった。このころ、榎田さん、犬の話も書いていたよね。 犬と猫、か。どっちがよりBLっぽいんだろう。 あ、イラストは宮本佳野さん。マンガは好きだけどBL挿絵はあんまりしてほしくない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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