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カテゴリ:BL小説
『タナトスの双子 1917』和泉 桂 何度か登場する色っぽいシーンを読みながら、心のなかで「ヴィクトールってば深沢~~~っ!!!」と叫んだ。 行方不明になっていた後編はベッドの下に落ちていた。猫がダッシュした際に押し込んでしまったのかも。いやあ読んでよかった。面白かった。だって深沢の前世がわかったんだもん(違う)。パラレルではなく時空と国境までをも超えた、これぞ和泉さんのスターシステム! もうヴィクトールが深沢だったことが最大の萌えツボだった。でもヴィクトールはもとより支配階級なので、本来上司であっても(家格的には知らないけど)あそこまで隷属しなくてもいいと思うんだよ。でもわかっていて敢えてやっているから人が悪い。一方、ユーリは調教の甲斐あって次第に和貴みたいになっていく(笑)。 前編を読んだ時点での後編予想「マックスは生きている」は外れたけど、あんな魅力的で「いい人」に描いておきながら、あっさり殺しちゃう泉さんのサドっぷりに惚れ惚れする。最初からその程度のキャラとして設定したのか、VIPだけどちょっとここらで消してみようかと思ったのか、どっちなんだ! それにしても、和泉さんはほんとうに私好みの言葉をつむぐ。並みな単語は使わず、ちょっとひねってみせるから、ずっと印象に残る。痛苦とか怒火とか凝然とか。字訓とか字通をリファレンスにしていそう(白川静三部作はとっても欲しいが、もはや今の自分には豚に真珠)。毅然とした単語に酔うとういうトラップにはまると、時代設定、政治情勢の齟齬、当時のヨーロッパの描き方など多少違和感があっても瑣末なことに思えてくる。小説を読んで作家さんにだまされる快感ってこういうところだよね。 さて、後半のストーリーは、ほぼ全編道行き譚だった。時代・民族を超えて古今東西共通の逃避行、つまり駆け落ちというのも、一つのマンネリズムの美学だろう。何かから逃れ、息を潜めるように寄り添う二人。そこに困窮やけがなどの病難辛苦が加わって被虐の美学が味わえる。そしてそして私をとりこにしたヴィクトールの敬語攻め! 深沢との違いは、こっちの二人は命がけて逃げているから、さらに緊迫感は高まる。 ちゃんと通過儀礼としてドS攻めもしつつ、その後にド・スポイルが待っているというのは、常套手段だが、設定次第で(言葉の使い方次第で)こうも高貴さを湛えたものになるのかと感心した。 思ったとおりヴィクトールはいろいろと企んで、用意周到に先々まで計画を練っている策士だった。寝所でコトの最中に人間、そうそう冷静ではいられないから、敬語をつかって攻めてる時点で、ヴィクトールのほうが何倍も余裕がある。こういう超人的な人(まあ現実にはいない)をうまく使いこなせる作家さんは少ない。 前編では、生き別れの双子が近くにいるのに写真を活用していないのが不満だったけど、後半ではうまく小道具として使われていたし、ロシア式暖炉(ペチカ)の説明はなかったけど、亡命先でのドイツ式ストーブの説明はあった(笑)。 革命前後のロシアの情勢なんかも、俯瞰的ではなかったけど民衆史の視点でも描かれているので、この本読めばセンター試験に出てくるロシア近代史は正解とれるなと思ったり。最後の最後まで幸せだった子どもの頃の追想をフラッシュバックで挿入したり、視点変換とか、かなり凝った構成になっているのもすばらしかった。 なにより、読者に結末をゆだねる最後は、BLでは稀有だ。ユーリはミーシャに成りすますといったけど、最後にヴィクトールの元に来たのはミーシャではなかったか。そのうちきっと同人誌で続きを書いてくれるのかもね。 フィクションは所詮想像(妄想)の産物だから、和泉さんには、これからも史実以外の隙間はいかようにでも埋めてくれと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.01.30 21:35:10
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