テーマ:海軍落下傘部隊・他(9)
カテゴリ:海軍落下傘部隊
秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。 「大東亜戦争記念 海軍福見部隊写真帖」について、改めて父に聞きました。 写真は、昭和16年11月の終わりに、台湾の陸軍嘉義航空基地の兵舎前で撮ったそうです。 もしかしたら、12月に入っていたかも知れません。秋山巌20才でした。 山辺雅男著<海軍落下傘部隊>には 「昭和16年11月26日に、落下傘部隊を乗せた豪華船新田丸が東京湾を出港し、12月1日、台湾高雄港に入港した。 ・・・陸路、嘉義市郊外にある陸軍嘉義航空基地に進出した。ここには、陸軍部隊は一兵もなく、ガラ空きであった。」とあります。 <落下傘奇襲部隊>の中の、横三特の吉田精一さんの記録には、 「11月中旬館山航空隊沖に一隻の商船が入港して来た。・・・各中隊は明日あの船に乗船せよとの命令がきた。我々は命令のまま其の船に乗った。・・・その日の夕方館山沖を出港し、船は一路南下しているようだ。11月の末であったと思う。 船は台湾の高雄港へ入港した。そして上陸、台湾の嘉義にある陸軍の飛行場へと移動した。・・・そして12月8日太平洋戦争がはじまったのです。 我々は、嘉義へきて初めて我々の敵が米国英国オランダである事を知った。 父は「嘉義航空基地は山の中でもう寒かったんだよ」と言っていました。 改めて、集合写真をみると、みんなもの凄い張り詰めた顔をしています。館山を出て、まもなくの写真なんですね。 巻末に、戦死者の顔写真(集合写真をのばしたものだと思います)と、ご住所が載っているのですが、その中に、相馬郡の方がお一人いらっしゃいました。今の南相馬市です。 本当に、全国から精鋭が集められたのですね。 写真帖の発行は、昭和18年4月 非売品
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.02.22 01:44:01
コメント(0) | コメントを書く
[海軍落下傘部隊] カテゴリの最新記事
|
|