カテゴリ:カテゴリ未分類
一度も病気にかかったことのない子どもくらい、危険なことはないですよね。免疫ができておらず、抵抗力が無いからです。インフルエンザや伝染病の予防には、適度にコントロールされた病原菌を意識的に植え付けます。 一度も切り傷やすり傷を負ったことの無い子も、大きな問題を抱えるということも聞きました。また、痛い思いをすることが、人の痛みを思いやれる原点だとも。熱い体験も必要です。 発達心理学でも、成功体験がから得られる有能感と失敗体験から出てくる劣等感の「バランスが大事だ」と教えています。しかし、一般的には、「とにかく劣等感はゼロがよい(有能感百%がよい)」と考えられているんじゃないでしょうか。 この宇宙は、免疫機構、いわゆる失敗をどうリカバリーするかで成り立っていると言えるのではないでしょうか? そのためには、適度の失敗を早期に経験させることが、最も大切であり、教育の重要な柱ではないかと思います。 しかし、お金をもらって子どもさんを預かる塾の場合、どの子も短期間で「成功」してもらわなくてはなりません。誰でも、うちに来れば、ホイホイ成績が上がっていきますよ! というPRばかりです。 親も当然、それを期待して大金を出して預けますよね。学校選びだってそうです。人生のステップで失敗しないように、成功し続けるように、と。 しかし、人間ですから、いつかは失敗します。小さいとき、失敗しなければ、大きくなってから。大人になって、親の手出しができなくなってから。 本当は、『失敗』を恐れるのではなく、『失敗』から学ぶことのできる人間を育てたいものです。そのためには、小さいときから 子供に『失敗』をたくさんさせ、『失敗』からどう立ち直り、そこから何を学ぶかを、頭を通してではなく体験を通して、体得させるべきです。 現代の教育理念は、学校ばかりでなく、どこでも失敗がなくて、成功が続くことをよしと考えます。失敗がなく成功ばかり続いたエリート大学生は成功の見本です。しかし仕事に失敗はつきものです。失敗から学ぶのは当然です。 実際の仕事ではこれはごく当たり前の常識でしょう。 ではなぜ学校は成功ばかり追い求めるのでしょうか。 わたしは「カリキュラム」というコンセプト自体に原因がひそんでいるんじゃないかと思います。 カリキュラムは「同一年齢の子どもに段階的な教材配列をすれば理想的な教育ができる」と考えます。同じ年齢でもいろんな子どもがいることは無視して、「この順番が一番」と決めてしまう。 カリキュラムは成功し続けることが正しいのです。 成功の階段(ステップ)を次々と登る子が理想です。もちろん目の前の子どものようすを少し本気で観察すれば、成功ばかりではないことはわかります。しかしカリキュラムの中には、「失敗からどう学ぶか」の発想が欠けていると思われます。「成功する子が正しい」のです。また、正しいカリキュラムなのです。 うちの塾では、料理もさせるんですが、子どもは分量の指示に従わないことがしばしばです。しかし、私はあえて危険がない限り、強制的に修正させたりはしません。自分のやった結果が、どんなものになるか、ダイレクトにわかる得難い経験ですから、ぶよぶよホットケーキになろうが、カチコチパンになろうが、たとえ食べられないものになっても、それがその子には、今、必要な体験だったのです。 親御さんに対しては、完璧な作品を揃えて、こんなにスゴイものを塾の指導で作れましたよ。お金を出しただけのことはあるでしょう、と言いたいところですが、それは、子どもの発育をスポイルすることです。 子どもが「失敗」をしたら、良かったと思いましょう。もちろん、成功したら喜び合いましょう。結局、どっちにころんでも、ハッピーなのですね。 でも、早いとこ、いっぱい失敗させるのが、親心というものです。大きくなってからの失敗は痛いですよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|