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子どもにとって、両親仲良いのが、幸せの原点でもあるように、親と先生がうち解けて話し合えることは,教育環境の出発点です。
だって、子ども、特に低学年の子どもにとって、学校の先生は神様なんですから。神様と親の仲は、その子の世界にとって、天と地、天国と地獄ほどの差をもたらします。 子どもが担任の先生とうまくつきあえるか、授業に集中できるかは、ほとんど母親や父親が担任の先生をどう思うかによって決まります。 こんな大切なことを、学校も親もどれだけ真剣に考えているでしょうか? たとえば、学級懇談の参加人数。 授業参観には出席する方は多いのですが、うちの子どもの小学校・中学校でも、ほんの数人しか残りません。3~4人というときもあります。 学級懇談こそ、先生と顔と顔を合わせて話し合えるチャンスです。実質、唯一の場に近いんじゃないでしょうか? そして、その意義からすれば、学級懇談は、学校の仕事のメインイベントのはずです。それを、父兄も敬遠するし、学校側も半数も出席しないことの異常さに、危機感を感じられません。 もちろん、残ると待ちかまえていたように、PTAの役員にさせられてしまし、また、昼間の時間ということで、お仕事との兼ね合いもあるでしょう。 なら、その心配がない条件を整えればいいのです。 これは、学校によって温度差があります。私の知る範囲でも、これが同じ市内の公立学校か、と思うほど差があります。私立と公立の違いもあるでしょう。何より、校長の姿勢によるところが大きいようです。いずれにしても、真剣に交流に取り組んでおられる学校は少いです。 ともかく、先生の立場でみれば、子どもは、親の影響が絶大なのですから、親との交流(親の教育)に優先順位をおいた方が、余計な苦労をしない、最も効率の良い方法のはずです。 また、親の立場に立っても、子どもが先生の人柄に影響を受け、その影響が人生さえ左右しかねないことを思えば、先生の人柄を知ろう、そして先生が落ち込んでいるときは、バックアップしてやろうとすることは、当然の当然です。 本当は、先生の人柄を見て、どの先生に預けるかを親が選択できるのが当たり前なのですが、現状では無理ですので、せめてご縁のあった先生に、より良い方向に「育って」もらうように、親が先生を育成する必要があるのです。 親が先生を育てるのです。え?と思うかもしれません。まだ、先生の方が「エライ」。先生の指示が天の声のように思っていらっしゃる方がいるかもしれません。 また、反対に、先生に不信感をもっている方もいるかもしれません。 考えてみてください。学校の先生というのは、そのシステム上、社会経験がほとんど無いのです。社会体験をほとんどしないで、しかも学校教育のエリートとして階段を上がって来た人たちばかりなのです。そして、教員採用には、その適性の検査の基準はお粗末です。ですから、先生になってからでなくては、本当に向いているかどうかはわからないのです。 これは先生たちの責任でもなんでもありません。システムの問題です。そして、先生になれば、上からの命令で膨大な雑用が待っています。先生の雇い主は、本当は親であり、地域社会なのに、給料とその査定をするのは、上司であり、お役所でありますから、当然、目は親や地域よりもお役所仕事の方に行ってしまうのです。 これも先生方には、仕方がないことです。人間は本当に弱いです。上から命令された仕事をサボッても、子どもたちとの時間をとる勇気のある先生はどれだけいるでしょうか? さらに、同僚の先生との関係を気まずくしても、単独プレーなどできないでしょう。 しかし、本来は、本当は、本当は! 真の学校は「社会の現実」なのです。真の教科書も「社会そのもの」なのです。そして、学校で教えることは、社会で必要としている学びの数%もないのです。ほんの糸口であり、すぐ時代遅れになるのです。 ただでさえ、社会体験の無い先生が、学校という特殊な閉鎖社会にいますと、いろんな勘違いを起こします。それを修正させ、先生に社会性を身につけさせてあげるのが、親の役目なのです。 親こそ、学校の先生の先生なのです。豆腐屋のおじさんも、自動車修理工場の社長さんも、タクシーの運転手さんも、みんな先生の先生なのです。生きた教科書なのです。自信をもちましょう。 もちろん、先生の教育は、地域社会の責任であり、教育委員会の責任ではあります。しかし、直接的には、親から学ぶことが一番です。 このことに気づかせていないのは、先生の仕事を知識の切り売りだと狭くとらえている考えです。これも知識偏重の教育の弊害でしょうか。 結局、先生も親も相手を教育し、学び合わなくてはいけないのです。これを義務と感じるでしょうか? それは的はずれです。この関係を築くことは、お互いがお互いを楽にすることだから。 とは言っても、学校の体質をすぐに変えることはできません。 でも、小さな一つ一つのアクションや言葉が、いつの間にか、大きな差になってきます。 親は先生に気後れをしていますし、先生も親に対し、潜在的な恐怖心をもっています。お互い、一歩を踏み出せば、思いもかけぬ展開が待っています。とくに先生は、人へのモノの頼み方を学びましょう。それさえ、マスターすれば、学校は打ち出の小槌をゲットしたようなものです。 この交流は、人生の転機とさえなることも多いと思いますよ。私みたいに。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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