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失敗が大切だ!と叫んできました。
では、めでたく?子どもが失敗をしたら、どう対処すれば良いのでしょうか? 自動的に、本当にめでたい経験になるのでしょうか? いえ、これも、お母さんの対応一つで、貴重な学習の場ともなれば、サイアクの修羅場にもなるのです。 以下、寅さん自身の、いや~な思いを土台に、心理学を絡めて訴えたいと思います。 最もいけない対応は、「それみたことか!」という態度です。 「お母さんの言うことを聞かないから、こんなことになったんだよ」です。 子どもが大人の注意を聞かないで、失敗したとき、親の権威の正しさを強調したくて、こう言いたくなるのではないでしょうか? この言葉が、どうしてダメなのでしょう? わからない? あなたは、相手の立場に立って物事を考えたことがないのですか? もし、あなたが子どもの立場だったら、そんなことを言われて反省しますか? お母さんはエライなあ、って尊敬するでしょうか? 自分はダメだったなあ、って反省するでしょうか? つい、声が大きくなってしまうのをお許しください。 子どもは今、失敗して、アタマがカーとなり、思いがグルグル回っているのですよ。自分では、とうに失敗したと認識して、感情が高ぶったり、落ち込んだりしているのですよ。 そんな時、小言を言われたら、子どもは、失敗の原因を冷静に考えるよりも、叱られたこと、お母さんの顔、皮肉な言葉(何でも皮肉に聞こえるものです)、そっちの方にばかり焦点を合わせてしまいます。 失敗の事実を冷静に見直せば、お宝の山なのに、それよりも、対お母さんの感情の方に、エネルギーが流れてしまうのです。 こんなもったいないことがあるでしょうか? それよりも、もっとおそろしいのは、これで親子の心の絆が、切れてしまいかねないことです。 失敗したときというのは、一種の危機的状況です。 最も助けを必要としているときです。 そのときに、メンツ丸つぶれの態度をとられれば、 今後のSOSのとき、心を開いて、助けを求められると思いますか? 子どもにも、メンツというのがあるのを忘れないでください。 私が子どもなら、今後、意地でも、親に失敗した姿は見せないと心に誓いますよ。 実際、そうしました。心に傷を負いながら。 あえて、そういう気持ちに、子どもをならせることを良しとする人がいます。 それで子どもが強くなるんだ、というのです。 たしかに表面的にはそうです。しかし、これは親にどう見られるか、にばかり焦点を当てた成長であり、物事の本質を探究しようという方向ではありません。だから、早晩行き詰まるのです。 そして、問題が起きたとき、そして、窮地に追い込まれたとき、オープンに親に相談できないのです。その行き先は、不登校・引きこもりか、逆キレです。 では、子どもに甘くすればいいのでしょうか? もちろん、違います。 そうじゃなく、失敗の事実をとことん味あわせるのです。 自分で何度も噛んでかみ砕いて、消化させるのです。 親の気持ちに焦点を合わさせないで、事実と原因に注意を向けさせます。親の気持ちをわからせるのも大切ですが、それは後で、落ち着いてからでいいのです。 そのためには、どうすればいいのでしょう。 事実確認だけをして、あとは何も言わないのです。 怖い顔をしてにらんでいいんですよ。でも、非難することは何も言わない。 そうすれば、子どもは、必死にアタマをグルグルまわして、 失敗の原因を分析します。 コンチクショー、といいう思いを失敗の原因に向けることができるのです。 間違っても、失敗の原因の分析を、親が手助けしてはいけません。 「こうしたら良かったんじゃない?」なんてもダメ。 せっかくの、自分で失敗から学習するチャンスを台無しにしてしまうからです。そして、いつも判断を親に仰ぐ、親離れできない子になってしまいます。 自分で失敗からリカバリーしたという経験をもつことは、子どもにとって計り知れない財産になります。これからの人生で、リスクを自分で背負って、未知なるものにトライする勇気を与えてくれます。 しかし、対応を誤ると、依存心を強めたり、ひとの目ばかり気にしたり、最悪、親子の信頼感を損なう、危険な一瞬であることも覚えておいてください。 つまるところ、親の人生観、失敗というものへの考え方、勇気、希望、というものへの考え方なのですね。だから、教育は親の自己啓発が本質なのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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