カテゴリ:カテゴリ未分類
教えようとすると、出てくる出てくるア・ク・ビ。
子どものこの態度にムカムカっときた親御さんや先生は多いんじゃないでしょうか? でも、大人の私たちも、たまに慣れない「研修会」などに出席していると、堪えきれなくなって、出るは、出るは、ふぁーんのアクビ。机に座ってじっと話を聞くことがこんなに辛いなんて。よく、まあ、子どもたちは、5時間も6時間も授業を受けられるもんだと、感心しちゃいます。 実は、人間の脳は、教えられることには耐えられないようにできているのです! エッ?それじゃ、何も教えられないってこと?? そう、簡単に結論づけないでね。これは右か左かって、単純じゃないんです。 自分の関心の無いものを、「教え込まれる」ことには、拒絶反応が出るということです。たとえハチマキをしめて、「意志」で頑張っても、効果はさっぱりです。脳ミソは正直ですね。 逆に、学習効果が上がっている場合というのは、たとえ、外からみると、先生のお話を熱心に聞いていて、「教え込まれている」ように見えても、その内実は、興味のあることを生徒側が「自主的に」「主体的に」吸い取っているのです。 「○○さん、わかりましたか。」「はーい」と手を挙げさせても、ぜーんぜん当てになりません。「さっきわかったと言ったじゃないの」と責める方が、ズレているのです。 「××について、どう思いましたか? 感想を言いなさい」という質問を、子ども達は嫌います。ハキハキと応えられる子は、もともとその話題に関心があったか、答え方をマニュアルとして訓練されているかです。 普通の関心の無い子に、教え込もうとすることは、動物を調教しようとすることと、同じです。アメとムチがあれば、そりゃ、一時的に言うことをききます。芸も覚えます。しかし、のど元すぎれば、きれいさっぱり、真っ白けです。 どうすれば、子どもの心に届く話をすることができるんだろう? これは、教師のみならず、親の永遠の課題です。 答えは簡単です。それは、子どもを一個の人間として、尊重して見てみれば、すぐわかることです。相手も対等な人間であり、しかも、理性でコントロールする力が弱い、大人以上に潜在意識で動きやすい、尊敬すべき存在です。 普通の大人に対しても、企業は、自分の商品を買ってもらうために、あの手この手の心理作戦を行います。「あなたたちは、これを買わなくてはいけない」と理性で縛ることは、通常できません。 通常、買い物は、論理以外の部分で80%決まっています。買う人は論理的。合理的に買っているつもりですが、実は、結論先にありきの後からこじつけたものが大半なのです。 なぜかわからないけど、あの店から買う。あのブランドを買う。あの人から買う。あればかり買う。これが本当の姿です。あとは自分への言い訳です。 実は、知識は、好き嫌いの感情の海に浮かぶ、小舟なのです。好きという穏やかな湖でないと、舟は転覆、沈んでしまいます。好きとまでいかなくても、気になっていること、感情が揺れ動かされるところでないと、舟は浮かんでいられません。 大人もそうですから、子どもはなおさら、「正直」なだけです。 お母さんに、欲しくないファッション商品を、無理矢理買わせることは、まず無理でしょう。それと同じなのです。 ですから、対策はあきらかです。「好き」にならせること、「感動」させること、です。教える人その人を大好きにさせることも大切です。 でも、これがむずかしい!! あこがれの人に気持ちを伝えて、こちらを好きにさせるのと同じだから。強制的に、「私を好きになりなさい! わかりましたか?!」ってナンセンスでしょ? でも、学校では普通、そうやっちゃうんですよね。 基本的に、感情を育成するのですから、これは理性をもってしては、あっち向いてホイ、なのです。感情には感情で立ち向かわなくてはいけないのです。好奇心をもって欲しいなら、教師の大きなあふれんばかりの好奇心を伝えるしかないんです。 もちろん、好きという感情をぶつければ、相手がこちらを好きになってくれるものではありません。デリケートで微妙なものです。しかし、ツボをとらえれば、一発でトリコにすることもできます。できれば、一発ひとめぼれ、を狙いたいものです。 子どもがこちらの気持ちを受け取り、気持ちを動かされたかどうか、すなわち、教えが届いたかどうか、というのは、すぐわかります。子どもは正直なのです。 こちらが質問しなくたって、子どもから質問してきます。あれこれ話かけてきます。勝手にドンドン進めようとします。議論が盛り上がります。もう、明白です。 逆に、これがない授業は、心に届いていないのです。テストの成績が悪いことを覚悟しときましょう。というより、盛り上がった授業は、必ず、クラス全員の成績がはっきりと良いはずです。 ここで、根本的問題とぶつかります。教師は子どもに「教えてあげている」のか、「思いを何とかして伝えたい」のか、です。親子にしても同じです。 どちらの側面も必要です。子どもも「教えてもらっている」という立場を忘れては、元も子もありません。しかし、あまりにも、ふつう、「子どもに言うことをきかせよう」、という立場が多すぎるように思います。これは、子どもに甘くしようというのでもないです。好きだから叱ることにもパワーが出るのです。 もし、何かで行き詰まりを感じていらっしゃったら、子どもを恋人だと思って、振り向かせる努力をしてみたらいかがでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|