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青森県で「おたのしみ科学実験出前屋」をされている、萌出浩さんの通信に、「すばらしいウソ」という話が載ってます。
萌出さんが、子どもの頃、欲しいものを父親にねだったときのことです。急に、お金を数えるような仕草をしながら、お父さんが考え出したんだそうです。そして、まるで独り言のように、「うちには確か17億か18億ある」と言い放ったんだそうです。 それが、あまりにも真に迫っていたし、お母さんまで、そうだよ、と言ったので、本当に信じてしまうのです。 そうすると、不思議なことに、心に余裕ができて、数百円のおもちゃをねだることに、執着しなくなったということです。「うちには、それくらいお金があるんだから、何も急いで買わなくてもいいじゃないか」という、お父さんの言葉に、彼は心底から同感してしまうのです。みみっちいことを言うのはやめよう、と。 大きくなってから、当然、ウソは明らかになりますが、なぜか腹は立たなかったそうです。むしろ、「あのウソはなかなかすばらしいものではないか」と感じるようになったのです。 あのとき、お父さんが、「家にはお金がないんだから我慢しなさい! お金がないと飢えて死んでしまうんだぞ」と言われたら、子どもは元気を失い、未来をとても暗く感じたことでしょう。 子どもがモノをねだってかなえられない時、それが得られないというよりも、悲しい気分にいらだって、叫んでいる部分が大きいと思います。 ですから、何でも買ってあげるのか、何でも我慢させるのか、という狭い次元でなく、子どもに楽しい未来を感じさせられたら、それで解決することも多いのではないでしょうか。 反抗期の子どもに対するのも、理屈で言いくるめても、どうにもならないことがあります。何せ、相手は、反抗することが商売なんですから。そして、それはそれで意義のある「ハシカ」なんですから。 そんな時、頼りになるのは、ユーモアです。これで、方向をちょっとズラしてやることによって、大人も子どもも救われるのです。 本当は、子どもも、そんな風に救って欲しいんだと思います。自分でもどうしようもないんですから。 その練習のためにも、絵本をよむことは、とっても大人のアタマの柔軟体操になると思います。私も読む努力をしま~す。 ところで、一般に心理学では、ウソをつける子の方がウソをつけない子より創造性が高い、という裏付けが立証されています。 現実と想像世界が分離していない幼児は、非現実なウソを連発しますが、これも一種の想像力の発露とみれば、かえって喜ばしいくらいだと思います。 こんなときの応答も、「科学的にありえない」「ウソを言っては行けない」なんて、固い言葉ではなく、「ほんとうだったらよかったね」くらいでいいし、さらなる想像力で返してやれるようになりたいものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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