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熱血先生、熱血大人を目指そうと昨日、走り出して、まてよ、と、ちょっと立ち止まりました。
すばらしい大人の子が、問題なく育つわけでもないからです。 かえって、立派な親には、引きこもりの子が多いと指摘する人もいます。 教育は思うようにいかないものです。 何せ、相手は「生もの」ですから、オートメーションでこの装置に入れたら、こういう完成品ができあがってくる、とは言えません。 けれども、親や教師は、子どもに対してこうしないと気がすまない、こうさせないと気がすまないと考える場合が多いのではないでしょうか。 いわゆる、人間の成長をコントロールできるのではないか、という傲慢な妄想に囚われてしまうのです。 このことに意外と謙虚なのは、病院の先生だそうです。 医者がこの患者さんの病気を治したいと思っても、治らない人は治らないですもんね。 ですから、どうにもならないことがある、ということに慣れているといえば、慣れてているかもしれません。がんの手おくれの人とか、あるいは筋ジストロフィーなどのように進行性の病気の人とか…。 ですから、そのときどきで、最善をつくせばいいのだという思想が、教育や保育関係者よりも医療にたずさわる人には、割合あると思われます。 子どもに対して、最善を尽くすしかないのですけれども、親や教師は、最善をつくして思うような結果がでないと、すべてを否定したり、あげくは、子どもに腹を立てる人がいます。 医療従事者には良くならない患者に、腹を立てている人というのは、あまりいないでしょう。 最善をつくすことに意味があって、いい成果が生れなくてもいいのだ、とは言わないけれども、最善をつくせば、それなりに成果はでてくれるわけです。 確かに、努力のわりにはよくならない、あるいはどんなにがんばってみたところで、三か月ほど先に命がのびる程度ということもあるわけです。 けれども、もうどうせだめだからと、投げだすのではなくて、三か月の延命効果をだすために、最善をつくすということをするわけです。 私は、教育の現場も、成果があがらなくても、最善をつくすことに、喜びを、生きがいを感じていく思想がだいじなのだはないかと思います。 もっと親がこうすればとか、自分以外のだれかがどうすればとか、 まして、子どもがこうなってくれればと、あまり思いすぎないで、ただ、子どもや家族のことを思いやって、これしかないと最善をつくすことなのではないでしょうか。 もっとも、ほかのところへ行かせれば、この子がもっと良くなるという、はっきりとしていることがあれば別ですが、そうでない 場合には、最善をつくしてみるという考えが、いちばんいいのではないかと思うのです。 最近、「立派な」親にひきこもりの子が多い、という論旨の本を読みました。もう少し、自分の中で咀嚼したいと思いますが、私がこれまでおつきあいをしてきた、8人ばかりの不登校の子は、お世辞なしに、「立派」な考えをもつ、マジメな子です。当然、立派な教育をされてきたことが、瞬時にわかります。(ただ、寛容さに欠ける嫌いがあります) そんな子に対して、格別にいい加減な大人の私に、何ができると言うんだ! とその皮肉に笑ってしまいます。ただ、私の生き方を見てもらうだけです。と言いながら、ついついお説教も入ってしまうのですが。 お説教になったり、コントロールしようとしないで、「こうあらねばならない」ではなく、弱さをさらけ出せる「安心感」「受容感」を大切にしていきたいと思います。 今、あるお母さんと電話で話していたのですが、ある集団行動が苦手なお子さんが、とっても見違えるように、リーダーシップを発揮するようになってきた背景には、担任の先生の受容とさらに、研究主任の先生が、たっぷり話を聞いてくれるという裏のご苦労があったようです。 その先生ともよく、お話をするんですが、とっても謙虚で、できるだけのことは、最善を尽くして、あとは、見守るというスタイルを感じます。この子をこうしなければ、という固い殻が二枚も三枚も取れている気がします。 その自分の手にしっかり握ってしまわないところが、お互い、良い関係が長続きする秘訣かな?と 思った次第です。 こう、あらねば、というものには、欲がからんでいます。欲自体は悪いものではありませんが、幸せはブロックするようです。 本日のメルマガで面白いのを見つけて、笑ってしまいました。 無断でご紹介します。 ------------------------------------------------------------ ■宝彩有菜の自愛文言(その16) 【笑い】 私には「何」もありません。笑えます。 私には、「頑張り」がありません。笑えます。 私には、「おきて」がありません。笑えます。 私には、「思いこみ」がありません。笑えます。 私には、「深刻さ」がありません。笑えます。 私には、「まじめさ」がありません。笑えます。 私には、「欲」がありません。笑えます。 (説明) 「笑い」は、脳内に新しい思考経路が通じたときに起こります。 ブロックが少なければ少ないほど、何に対してもすぐに笑えます。 笑えると、幸福になれます。幸せというのは、つまり、ブロックの少ないことです。 ブロックというのは、「欲」でできています。それが無ければつまり、いつも笑えて、いつも幸せです。 でも、いきなり、欲を無くすことは難しいですから、なるべく少なくしましょう。自分の幸せのために。 (自愛文言:単形) 「あはっ、笑ってる自分も、笑える」 ------------------------------------------------------------ 私は「頑張らない」ことにこだわることも、おかしいと思います。私は目いっぱい熱血・火の玉小僧?で頑張りたいです。しかし、パッと手放すこともできる人間でありたいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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