テーマ:障害児の親として(1425)
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ADHDについての日記を書き出して、自分でも、「これは、体裁を考えずに、もっとバリバリ核心に迫らなくては!」、「情報をこの際、徹底して集めなくては!」と思わされました。
さて、「障害児」と言うと、「何か特別な手だて」をとらないと、学級ですごしていけない子のことを意味します。この意味はとっても重大です。決して「どうしようもない子」の意味ではないのです。 実は、我が家は、全員メガネ一家なのですが、立派な「視力障害児」です。 しかし、「メガネの子」を障害児と考える先生も親も少ないと思います。 しかし、本質は同じなのです。メガネが必要なだけなのです。 「障害児」という言葉は、適切な教育方法・薬・環境によって、社会生活が順調におくれるようにできること、または、本来もっている能力を最大限に発揮できること、少なくとも幸せに生きることができる、という信念が、裏打ちされた言葉なのです。 ADHDの子のお母さんとの話から、ADHDという単語ばかり使いましたが、通常学校で特別配慮が必要な子と言えば、そのほかに、学習障害(LD)、ボーダーラインないし軽度の精神発達遅滞(MR),高機能の広汎性発達障害(HFPDD):主に高機能自閉症とアスペルガー障害の子がいます。 ある意味、特殊学級や養護学校へ行っている子どもは、恵まれています。個別の教育計画を立ててもらって、社会的保障もあります。 ところが、上記の普通学級の中にいる、調査では30人学級で、2~3人はいると思われる、いわゆる「グレーゾーン」の子どもたちは、一番過酷な状況に置かれているのです。 健常児と同じ行動を求められながら、「メガネ」をもらっていないことが多いのです。そして、単なる親のシツケの問題にされています。 グレーゾーンの子どもたちは、「メガネ」無しには、失敗経験ばかりを積み上げます。周囲から叱られてばかり。その結果、「努力すれば報われる」という体験さえできないで成長してしまいます。 このことは、自分が努力すれば、自分や自分の周囲を自分でコントロールしているという感覚、いわゆる自律性を妨げてしまいます。 これは、環境によって作られた二次障害です。 適切な「メガネ」を与えないことは、本来持っていた病気のみならず、教育が病気を作りだしてしまうのです。これは、立派な犯罪行為です。 T君は、学校でも学童保育でも、お手上げの子どもでした。お母さんご自身も精神を病まれ、病院へ通っていました。ある日、突然うちに預かって欲しいと来られました。何と、忘れもしません、大晦日ですよ。大晦日。 涙を流されながらお話するんです。私はお母さんよりも、そのそばで、悲しそうな顔をしてうつむいているT君の気持ちを思って、胸が張り裂けそうになりました。 お母さんの気持ちもわかりますが、「お母さんが自分のために泣いている」というくらい、子どもの心を切り裂くものはないはずです。もう、「彼をうちの子として引き取りたい」と喉まで言葉が上がってきました。 結局、お正月の三日から、毎日うちに来るようになったのですが、 結論から言いますと、今は「はてなランド」のリーダーをしてもらっています。小学3年生のときの夏休みの自由研究は、発光ダイオードと光の研究でした。 これも、横山先生に診察してもらい、薬ももらい、担任の先生にも指導してもらったお陰です。 幼児期に診断をもらっている子は、まだいいでしょう。親も周囲も、そのせいだとの認識だけはもってもらえますから。 一番最悪なのは、本当の原因をわからないで、大人になるまで自分を責め続けていくことです。 その意味でも、教師の障害かどうかの見極めと、医療にどうつなげるか、が重要です。そして、先生は保護者と一緒に病院に付き添うことが必要です。 この辺にいっぱい問題があります。書き切れませんね。 別枠を考えます。 学校の先生方のご意見もいただければ幸いです。 では、では。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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