テーマ:子育て現在進行形(1969)
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「それを言っちゃあお終いよオ」の声が聞こえる、「寅さん映画」。毎年お正月、年のはじめに、何であんなに大勢の人が、ワンパターンの映画を観に行ったのでしょう?
単なる笑いのため?そうかもしれませんが、明らかに、世のコントとは違いますよね。昨日、M圭さんに 笑いの教育論をお聞きしたものですから、刺激されてしまいました。 今日は、「寅さん」に、フィルター論を一歩すすめてもらいましょう。「寅さん」には、偉大な教育力の秘訣が隠されていると思うからです。 「寅さん」を作った、山田洋次監督の作品は、「寅さん」に限らず、どれも一つの思想に貫かれていると思います。 それは、安易なイデオロギーやドグマ・教条主義に頼らなくたって、いわゆる解決策を示さなくたって、人間には、その中に自分で問題を解決し、成長していく力が備わっている、ということです。 ですから、説教くささがほとんどないと思います。そう思いません? で、その内在する成長力が発揮されるときは、どういう時か、と言いますと、自分のホンネ・本質に正直になったとき、なんですね。 ありのままの自分を愛せたとき、とも言えます。 人間は「ねばならない」「こうすべきだ」のヨロイをいっぱいつけています。それをいったん、脱いで、裸の自分をみつめ、そして、それを自分で抱きしめたとき、人間は、プチっと中から変わってくるんですね。ひとりでに動き出してくるんです。 普通は、それがなかなかできません。 昨日、話したフィルター論で言えば、人間にはとりあえず二重のフィルター構造があると、考えてみてください。 一つは、心がワクワクしてきて、心の底から喜びが沸き上がってくるフィルターです。それをはじめると、心もからだも、イキイキしてくるし、それは後味もよくてあまり疲れません。そんなフィルターを誰でも、もって生まれていて、それを成長させていきたいという願いをもっています。これを仮に「セルフ・フィルター」と呼びましょう。 それに対し、自分がやるべきことを、意識的に頭で、思考で判断して行動させるフィルターがあります。そうしたほうが、そうしないよりも有利であるとか、うまくいくとか、ほめられるちか、世間がもている「べし・べからず」に合うとか…。つまり、分別をはたらかせてやるべきことを決め、自分の感情や行動をコントロールするフィルターです。こちらを仮に「エゴ・フィルター」と呼んでみます。 エゴは、社会に適応するためには必要なものです。子どもたちは、世間の目や、親や教師のもっている「いい子像」に合わせて、社会との接点用に、エゴ・フィルターを発達させていきます。 これ自体が悪いわけではありません。当然必要なものです。 しかし、日本では、「こう見られたい私」「こう見せたい私」をつくりあげていくために、エゴのフィルターを強固にしてしまうことが多いと思います。学校のように、たえず外からの評価の目を意識せざるを得ないところでは、なおさらです。 そして、いつの間にか、エゴ・フィルターが強固で大きくなり、セルフ・フィルターの存在を圧倒するようになってきます。 ここに、内側からの欲求を抑え込み、その潜在的エネルギーがイライラ・モヤモヤ・ムカツキを発生させる原因があると思われます。 子どもがイキイキとして、いわゆる「疲れを知らない子ども」であるヒミツは、セルフ・フィルターに忠実に従っているからなのです。 私は、この埋もれてしまったセルフ・フィルターを、もう一度クリアにさせ、このフィルターに適切に働きかけることが、個別教育対策の基本戦略だと思うのです。 では、どうしたら、セルフ・フィルターを掘り出すことができるでしょうか? その秘訣の一つが、「笑い」だと思います。それも、他人を笑うのではなく、自分を笑うのです。寅さんや山田洋次監督の作品の魅力もそこにあると思うのですが、登場人物は、スーパースターは一人もいません。また、正義の味方もいません。みんな欠点をもった愛すべき人たちです。あの人たちをどうして笑うのか、と言いますと、自分たち、私たちに、とっても似ているからなんですね、実は。自分がエゴ・フィルターで隠して見ないようにしているものが、客観的に俳優の行動で、「あ、そうそう、」と共感して、ホンネの部分が見えてしまうと、自分自身のおかしさに気づくんですね。 セルフ・フィルターを隠して、とりすまして生きようとするのだけれども、ついつい馬脚をあらわしてしまう、その滑稽さ、そしてそのいじらしさ。それを、俳優を通じて、自分のことだ、と思うから、安心して笑うことができるのです。人の欠点をあげつらって、バカにして笑うんじゃありません。 自分を笑うことによって、セルフ・フィルターを解放しているんですね。ですから、あの映画を見終わった観客は、みんないい顔をしていると思います。なぜか、生きる力が湧いてくるのです。み~んな愛すべき、かなしくも、おかしい人たちばかりだ、み~んな欠点をもっているけど、それはそれでいいんだ。それを認めるところから、新しい一歩がはじまるんだ、と心の底で、言葉では言われないけれど、励まされるんですね。 自分を笑える前提もありますね。まわりが凍りつくような目で、自分を見ていたら、とても安心して、自分の欠点をさらけだせません。 その意味で、私は「バカな母ちゃん教育効果絶大論」をそのうち書きたいと思ってます。子どもは、頭のいい、キレルお母さんより、バカな母ちゃんが大好きです。いつもアハハと笑っている母ちゃんは、すんごい教育をしているんだって、お話し。 私は、このデリケートなセルフ・フィルターへの働きかけを中心に、このHPで研究していきたいと思っています。 (明日、以降どんどん続きます) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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