テーマ:子育て現在進行形(1969)
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「バカ母ちゃん」の作文を掲示板に紹介しましたので、読んでみてください。
この家庭の自然な日常がしのばれますね。この子はこれからも、のびのびと自分の良さを信じて、人の温かさを信じて生きていくことでしょう。 昔は、学歴の高い家庭が少なかった分、こういう家庭が多かったような気がします。私も父母からではないのですが、周囲の人々のこういう環境の中で、育ちました。 今から考えても、人生で困難にぶつかったとき、これを乗り越えさせたのは、あの人々の笑い声でした。決して、父母からの英才教育(あえて、言いますが)ではありませんでした。 なぜ何だろう?理屈っぽくなりますが、良い環境を意識的に作り上げるために、おつきあいください。 昨日、申しましたように、人間には、二重のフィルターがあります。(あくまで大雑把な仮説です) そして、人間は理屈を使う、エゴ・フィルターで動いているように思いますが、実は、少し遠くから離れてみると、すべて、その下の、自分でも気づかないセルフ・フィルターの通りに動いていることがわかります。 「潜在意識」と言う人もいるかもしれませんが、後々の手段を構築するためにも、あえて「認識フィルター」として捉えておきたいと思います。その方が、検証できると思うからです。 スーパーでも、ブティックでも、買い物をするとき、なぜ、それを選んだのか、理由を言えますか? とりあえずは誰でも言えると思います。しかし、よくよく突き詰めてみてください。本当にそれでなければいけなかったのか?冷静に論理的に考えれば、もっと良いものが、もっと合理的な選び方があったのではないか? と思いませんか? これは教科の好き嫌いでも同じです。「私は理科系です。文化系です。」と言います。そして、計算の得意な脳をお持ちの人や、イメージ記憶が得意な人が、厳然と別れていますが、計算が苦手だから、理科系は好きにはなれない、ということではないのです。 世の科学の発展は、半分は、計算が苦手な科学者が、そのイメージ力で切り開いたとも言えるのです。計算を使わないで、見通しをつけたあと、計算が得意な人が証明してきたのです。 合理的に考えれば、あの店から買った方がいいのに、どうしてもあの店には入りたくない、入れない、ということがあるでしょう。 また、セールスマンから、理屈で説得に説得を重ねられ、「あなたは、これを買わなければ、絶対に損ですよ」と言われれば言われるほど、反発心が生まれてきませんか? そして、な~んにも、押し売りしない人から、ただ話しを聞いてくれて、ニコニコしているセールスマンから、買ってしまうのです。 人を影でコントロールする仕組みは、普段は意識していないセルフ・フィルターにあるんです。そして、人の生きる力も、セルフ・フィルターにこそあるんです。そのフィルターをより豊かなものに育てること、これが教育の中心となるべきなのです。 もちろん、社会との適応力をつけるために、エゴ・フィルターも育てなければなりません。しかし、これは、セルフ・フィルターと外界との橋渡しが任務であって、それが主役になると、自分で自分を阻害してしまい、様々な弊害を生み、結局、生きる力も失わせてしまいます。能力自体を殺してしまいます。 本来、脇役であるべきエゴ・フィルターが、いつの間にか、主役の顔をして、デンと居座ってしまいます。セルフ・フィルターがどんなものだったのか、わからなくなってしまいます。 学校教育は、基本的にエゴ・フィルターを育てるところです。集団に適応させて、論理で動くのですから。「いい子」になろうとすればするほど、エゴ・フィルターを強固なものにしてしまいます。 そして、本当の自分の声である、セルフ・フィルターがわからなくなっていくのです。しかし、セルフ・フィルターがなくなるわけではありません。そのエネルギーは地下のマグマのように鬱積して、いつかはけ口を求めます。一つは引きこもり、不登校となり、一つは、イジメとなり、キレル、ムカツク・そして最後に無気力・無感動人間となります。自分がやりたいことが、わからなくなっちゃうのです。(大雑把な話です。ここいらのプロセスは、あとで、丁寧に考える必要があります) 学校教育に適応すればするほど、エゴ・フィルターを大きくしすぎる傾向があるのです。 学習力も、本当は、セルフ・フィルターによる動機でこそ、すごいパワーが出るのです。子どもたちの目を見れば、一目瞭然です。優等生がマジメに勉強しようという目と、ワクワク・イキイキした子ども本来の目と、どちらが学習能力があると思いますか? セルフ・フィルターで動いているか、エゴ・フィルターで動いているかは、目をみればわかるのです。決してワガママなこととは違います。ワガママや打算、否定的なストレス解消欲求は、セルフ・フィルターが使われないマグマの爆発として表れるのであって、本来の自分の欲求ではないのです。これも、目を見ればわかります。とにかくキラキラ輝いているかどうかです。 そして、ようやく今日の本題の「バカ母ちゃん」ですが、このバカという意味は、ご推察のとおり、エゴ・フィルターの薄いお母さんのことを言います。自分のセルフ・フィルターに素直に従っているお母さんです。 そういうお母さんの側にいると、子どもも、のびのびとセルフ・フィルターを発展させることができます。学校でエゴの洗礼を受けてきても、家庭でバランスを調整することができるのです。 そして、生命エネルギー全体を使って、自分の才能を発展させていけるのです。 そして、これを注意してもらいたいのですが、セルフ・フィルターを育成するには、エゴ・フィルターとは、違うテクニックや方法論が必要なのです。 簡単に言えば、論理的な説得が効き目がないどころか、反作用を起こさせてしまうということです。自由な環境こそが命なのです。 それを前提に、どう働きかけるか、これが私のテーマなのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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