カテゴリ:理想の学校に向かって
子ども達が、自分の力で前に進んでいくために、 どうしても必要なパワー。それは、どん欲な好奇心です。 これは、先天的な能力でしょうか? いや、少なくとも、ある人の好奇心と発見への熱意が、 周囲の者に与える影響力は、間違いなくあるのですから、 教育界が、特に、教師がこの影響力を真剣にとらえるべきでしょう。
この影響力は、大人同士でも、もちろんありますが、 特に学生と教師の関係において大きいものです。
ネットが発達した情報化社会において、 単に受験情報だけなら、人間は要らないのです。 なぜ、生身の人間が必要なのでしょう。 それは、子どもの生き方の見本としてだからでしょう。
この様々な楽しさに満ちている社会の中で、 「学び」の素晴らしさ、魅力を体感させること、 魅力を感じる能力が 子どもたち自身の中に存在すること これに気付かせることこそ、 教師の仕事であることはいうまでも無いことでしょう。
でも、どうやって気付かせるの? そう、それはもちろん、 教師自身がサンプルとなってなのです。 説教して、好奇心なんて、湧くもんじゃありません。
子どもたちの「学ぶことに対する欲求」は 「学ぶことへの欲求」を現に生きている教師からしか学ぶことができないでしょう。
なぜなら、好奇心は、理知的な意識の働きと言うよりは 潜在意識の発露だからではないでしょうか。 理屈ではなく、感情そのものを、魂そのもを 潜在意識に織り込むのに、身近で、サンプルの人に接することほど 効果的なことはありません。
もし、子どもたちに学びを動機づけたいと望むのなら、 教師自身が、意欲の塊になり続けているべきです。 教師自身がつねにいきいきと好奇心にあふれ、 さまざまな謎に惹きつけられ、 絶えず仮説を立て、実験し、 自分の世界観を書き換えていくプロセスに熱中していること。
情熱は伝わるものです。
それに反して、教師の存在意義を、子どもを叱るため、 子どもを評価するため、と思っている人が何と多いのでしょう。
まず、教師や親が、自分自身を、 ポジティブな考え方を持てる自分に作り変えていくことです。 子どもにあれこれ言うのは、その後です。 (本当にポジティブになれば、子どもにアレコレ言わないものです。) 自分を心の底から、肯定するのです。 自分を肯定できない人が、 子どもを肯定できるはずがありません。 でしょ?
良いことには、素直に反応し、目いっぱい味わい尽くす。 悪いことには、本来の自分とは関係ない、と その教訓だけ成長の糧にして、自分と切り離す。 これで、いつも、機嫌良く暮らせます。ワッハッハ。
そして、素晴らしい未来の姿のリハーサルを 心の中でし続けること。 それを継続すること。
結局、人間が人間にできる教育とは、 潜在意識に「意識的に」働きかけることしかないのかもしれません。
人間は、人からあーだ、こーだ、と言われても その指示で変わることなんて、無いからです。 自分の胸に手をあてて、誰かの説教で人生が変わったなんて、ありました?
テストの点数は、テクニックの解説で上げることができるかもしれませんが、 自力で成長する力っていうのは、 直接教えることはできない、と割り切ったらどうでしょう。
我々にできるのは、サンプルとしての存在になり、 その存在感が、彼や彼女の潜在意識に入って、 彼らの潜在意識が徐々に変化していくことを祈るのみです。
でも、それに成功したとき、 子どもたちは、何も教えないのに、 勝手に、「先生にいっぱい教えられた」と感謝するものです。
自分のことを振り返って、(たいへん面映ゆいのですが) 実験をしている時の、相澤先生の表情がとても良い、という 感想をいただきます。 もし、私の実験教室が影響力があるとしたら、 そのパワーは、私の実験内容そのものよりも、 私の楽しくて仕方がないという表情の方に要因があるのかもしれません。
この方面の研究は、もっともっとしていきたいと思っています。
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