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楽天・日記 by はやし浩司

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2006年11月23日
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カテゴリ:育児問題



(4)落ちつきがない

Q 参観授業で見ても、騒々しく、落ちつきがありません。家でも集中力がなく、ワーワーと騒ぐだけで、勉強もほとんどしません。(小一男)

A 騒々しい子どもがふえている。「新しい荒れ」と呼ぶ人もいる。ADHD児のほか、思考が乱舞してしまう子どももいる。いろいろな原因が考えられているが、ひとつに、テレビやテレビゲームがあげられる。瞬間的に、めまぐるしく変化する画面は、右脳を刺激するが、一方、左脳の働きをおろそかにする。論理や分析、つまり「ものごとを静かに考えて判断」するのは、その左脳である。

 それはさておき、こうした問題が子どもにあったとしても、今は、それ以上、こじらせないことだけを考えて、小学三、四年生になるまで様子をみる。そのころになると自意識が発達し、子どもは、自分で自分をコントロールするようになる。「こういうことをすれば、みんなに迷惑をかける」「嫌われる」「損をする」「先生に注意される」と。それ以前の子どもは、自分が騒々しいという意識すらない。

 ある中学生(男子)は、こう言った。低学年児のころは、落ちつきがなく、学校の先生もたいへんだった。しかし「ぼくは、何も悪くなかった。みんながぼくを目のかたきにしただけ」と。おとなでも、自分の姿を客観的に知ることはむずかしい。いわんや、子どもをや。

 むしろ問題は、無理な指導や強制的な指導、さらには、暴力をともなった威圧的な指導が、症状をこじらせてしまうこと。せっかく自意識が発達しても、そのため子ども自身が、立ちなおれなくなってしまう。

 子どもを指導するときは、言うべきことは繰りかえしながら言い、あとは時を待つ。そして少しでも、言ったことが守れるようになったら、それをほめる。かなり根気のいる作業だが、このタイプの子どもと接するときは、まさに根気との勝負。家庭でも、決して短気を起こしてはならない。

 が、悪いことばかりではない。言動が活発な分だけ、好奇心も旺盛で、生活力もある。苦手な分野もあるが、しかしその分、学力もある。中学生になるころには、かえってよい成績を示すようになることも珍しくない。子どものよい面を信じながら、あとは子どもに合わせた生活を組みたてる。「30分座って、5分くらい勉強らしきことをすればよし」「勉強と遊びが、ごちゃまぜになってもよし」と。繰りかえすが、このタイプの子どもは、叱っても意味がない。子ども自身の力では、どうにもならない。

 問題のない子どもはいない。だから問題のない子育ても、ない。子育てというのはそういうもの。そういう前提で考える。しかしそれから生まれるドラマが、子育てをうるおい豊かにし、親子のきずなを太くする。平凡は美徳だが、平凡からは何も生まれない。…そう考えながら、子育てを前向きにとらえる。


(5)反抗的な態度

Q 最近、子どもの態度が反抗的になってきました。一触即発という状態で、どこかピリピリしています。(小五女)

A よく誤解されるが、情緒が不安定だから、情緒不安というのではない。心の緊張状態がとれないことを、情緒不安という。その緊張状態のところへ、不安や心配が入ると、それを解消しようと、精神が一挙に不安定になる。情緒不安というのは、あくまでも症状。
 その症状としては、攻撃的暴力的になるプラス型、ぐずったり引きこもったりするマイナス型、ものに固執する固着型などがある。

 そこで子どもが情緒不安症状を示したら、まず、原因が何であるかをさぐる。慢性的なストレスや欲求不満など。ある子ども(小6男児)は、幼児期に読んだマンガの本を大切そうにもっていた。ボロボロだった。そこで私が、「これは、何?」と声をかけると、「どうチョ、読んではダメだと、言うのでチョ」と。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりである。原因は父親にあった。父親は、ことあるごとに、その子どもをこう、脅していた。「中学校へ入ると、勉強がきびしいぞ。毎日、3時間は勉強しなければならないぞ」と。子どもの未来をおどすのは、タブー中のタブー。それはそれとして、こうした脅しが、その子どもの心をゆがめた。

 子どもが思春期の第二反抗期にさしかかると、子どもの情緒はたいへん不安定になる。そこで大切なことは、家庭では、子どもが体を休め、心をいやすことができるようにすること。方法としては、子どもの側からみて、親の視線をまったく感じないようにするのがよい。あれこれ説教をしたり、気をつかうのは、かえって逆効果。また家の中で、態度が横柄になり、言葉づかいが乱暴になるなど、生活習慣が乱れることもあるが、「ああ、うちの子は、外の世界で、がんばっているからだ」と、大目に見るようにする。「親に向かって、何よ!」式に、頭ごなしに叱ってはいけない。

 なお子どもは、小学三年生くらいを境にして、急速に親離れを始める。学校であったことを、親に話さなくなったり、女児だと、父親といっしょに風呂に入るのをいやがったりするようになる。ただその親離れは、ある日を境に、急にそうなるのではない。日々に、おとなぶったり、反対に、幼児のようになったり、それを繰りかえしながら、数年をかけて、親離れする。

 しかし症状が、ある範囲に収まっているなら、親は、こうした親離れを喜ばねばならない。子育ての目標は、子どもをよき家庭人として自立させること。子どもの反抗をすべて容認せよというわけではないが、一方で、「ああ、うちの子は、自分の道を歩み始めている…」と思いなおし、一歩、引きさがる。そういう姿勢が、子どもを自立させる。中学生になっても、「ママ、ママ」と、親に頼る子どものほうが、おかしい。
 

(6)口が悪い

Q うちの子は、口が悪くて困ります。私に向かっても、平気で「クソババー!」とか言います。(小二男)

A 子どもの口が悪いのは当たり前。それを許せというわけではないが、それが言えないほどまで、子どもを抑えつけてはいけない。もう少し専門的に言うと、こうなる。

 乳幼児の心理は、口唇期(口を使って口愛行動をする)、肛門期、男根期を経て発達する(フロイト)。肛門期というのは、体内にたまった不要物を、外に排出する快感を覚える時期と考えるとわかりやすい。(これに対して、男根期は、いわゆる小児性欲のこと。おとなの性器性欲の基礎になる。)

 たとえばおとなでも、重大な秘密を知ると、それをだれかに話したいという衝動にかられる。が、それを話せないとなると、悶々とした状態になる。そこで思いきって、だれかに話す。そのとき感ずる快感が、ここでいう肛門期の快感と思えばよい。

 つまり子どもは、思ったことをズケズケと言うことで、自分の心の中にたまったゴミを外に吐き出そうとする。それは快感であると同時に、子どもにとっては、精神のバランスをとるためには、必要なことでもある。

 むしろそれを抑えつけてしまうことによる弊害のほうが、大きい。イギリスの格言にも、『抑圧は悪魔をつくる』というのがある。心の抑圧状態が長くつづくと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったものだが、子どものばあい、それがとくに顕著に現れる。

 N君(小五)という、静かでおとなしい子どもがいた。従順で、これといって問題はなかった。しかし私はある日、彼のノートを見て、びっくりした。そこには、首のない人間や、血だらけになってもがき苦しむ顔、ドクロなどが描かれていた。原因は、父親の神経質な過関心だった。

 言いたいことを言う。思ったことを言う。それができるから、家庭という。あの『クレヨンしんちゃん』の中にも、母親のみさえが、義理の父親に向かって、こう怒鳴るシーンがある(V16)。「ひからびた、ゆで玉子頭」と。そういうことが自由に言いあえる家庭というのは、それだけでも、すばらしい家庭(?)ということになる。

 私も、よく生徒に、「クソじじい」と言われる。そこである日、こう教えてやった。

私「もっと悪い言葉を教えてやろうか」
子「うん、教えて、教えて」
私「でも、お父さんや、校長先生に言ってはだめだよ。約束するか?」
子「するする…」
私「ビ・ダ・ン・シ(美男子)」と。
 それからというもの、私のニックネームは、美男子になった。生徒たちは私を見ると、うれしそうに、「美男子! 美男子!」と。私は一応、怒ったフリをするが、内心では笑っている。
 

(7)親のトラブル

Q このところ親どうしのトラブルが原因で、憂うつでなりません。言った、言わないが、こじれて、抜きさしならない状態になっています。

A 親どうしのつきあいは、如水淡交。水のように、淡く、無理なくつきあうのがよい。つきあうとしても、できるだけ学校の行事の範囲にとどめ、個人的な交際は、必要最低限にとどめる。ほかの世界と違って、間に子どもがいるため、一度こじれると、この種の問題は、とことんこじれる。親によっては、たいへん神経質な人がいる。神経質になるのが悪いというのではない。それは子育てにまつわる宿命のようなもの。人間にかぎらず、どんな動物でも、子育をしている間は、たいへん神経質になる。そこでこうしたトラブルを避けるために、いくつかの原則がある。

 (1)子どもの前では、学校や先生の批判はもちろんのこと、ほかの親の批判は、タブー。子どもが先生の悪口を言っても、「あなたのほうが悪い」「そんなことは言ってはいけない」と、たしなめる。相づちを打ってもいけない。相づちを打てば、今度はあなたが言った言葉として、広まってしまう。それだけではない。子どもは、先生の指示に従わなくなってしまう。そうなれば教育そのものが成りたたなくなってしまう。

 つぎに(2)子どもどうしの間でトラブルが起き、先生に相談するときも、問題だけを先生に話し、あとの判断は、先生に任せる。相手の親や子どもの名前は、できるだけ出してはいけない。先生は、教育のドクター。判断するのは、あくまでも先生。それともあなたは病院へ行って、自分で診断名をつけたり、治療法を決めたりするとでもいうのだろうか。

 また(3)子どもどうしのトラブルがこじれたときには、まず、あなたのほうから頭をさげる。この世界には、『負けるが勝ち』という、大鉄則がある。先にも書いたように、間に子どもがいることを忘れてはいけない。大切なことは、子どもが気持ちよく学校へ通えること。またそういう状態を、用意してあげること。だから負けるが、勝ち。あなたが先に「すみません」と頭をさげれば、相手も、「いいんです。うちも悪いから…」となる。そういう謙虚な姿勢が、子どもの世界を明るくする。

 が、それでもこじれたら…。先生に問題の所在だけを告げ、一度、引きさがる。これを「穴にこもる」という。穴にこもって、時間が解決してくれるのを待つ。そしてその間、あなたはあなたで、子どものことは忘れ、したいことをすればよい。

 ふつう、それほど深刻な問題でないときは、一にがまん、二にがまん、三、四がなくて、ほかの親に相談と決めておく。ほかの親というのは、一、二歳年上の子どもをもつ親のことをいう。そういう親に相談すると、「うちもこんなことがありましたよ」というような話で、たいていの問題は解決する。





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最終更新日  2006年11月23日 08時14分57秒
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