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楽天・日記 by はやし浩司

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2006年11月23日
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カテゴリ:育児問題
●子育て相談より

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以前、「ファミリス」という雑誌に書いた
原稿が見つかった。

私のHPのほうでも紹介しているが、もう
一度、ここに再掲載する。

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(1)子どものウソ

Q 何かにつけてウソをよく言います。それもシャーシャーと言って、平然としています。(小二男)

A 子どものウソは、つぎの三つに分けて考える。(1)空想的虚言(妄想)、(2)行為障害による虚言、それに(3)虚言。空想的虚言というのは、脳の中に虚構の世界をつくりあげ、それをあたかも現実であるかのように錯覚してつく、ウソのことをいう。行為障害による虚言は、神経症による症状のひとつとして考える。習慣的な万引きや、不要なものを集めるなどの、随伴症状をともなうことが多い。

これらのウソは、自己正当化のためにつくウソ(いわゆる虚言)とは区別して考える。
ふつうウソというのは、自己防衛(言いわけ、言い逃れ)、あるいは自己顕示(誇示、吹聴、自慢、見栄)のためにつくウソをいう。子ども自身にウソをついているという自覚がある。

母「だれ、ここにあったお菓子を食べたのは?」
子「ぼくじゃないよ」、母「手を見せなさい」
子「何もついてないよ。ちゃんと手を洗ったから…」と。

 同じようなウソだが、思い込みの強い子どもは、思い込んだことを本気で信じてウソをつく。「ゆうべ幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というのが、それ。  
その思い込みがさらに激しく、現実と空想の区別がつかなくなってしまった状態を、空想的虚言という。こんなことがあった。

 ある日一人の母親から、電話がかかってきた。ものすごい剣幕である。「先生は、うちの子の手をつねって、アザをつくったというじゃありませんか。どうしてそういうことをするのですか!」と。私にはまったく身に覚えがなかった。そこで「知りません」と言うと、「相手が子どもだと思って、いいかげんなことを言ってもらっては困ります!」と。

 結局、その子は、だれかにつけられたアザを、私のせいのにしたらしい。

イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわせてはならない』というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその空想の世界にハマるようであれば、注意せよという意味である。このタイプの子どもは、現実と空想の間に垣根がなく、現実の世界に空想をもちこんだり、反対に、空想の世界に限りないリアリティをもちこんだりする。そして一度、虚構の世界をつくりあげると、それがあたかも現実であるかのように、まさに「ああ言えばこう言う」式のウソを、シャーシャーとつく。ウソをウソと自覚しないのが、特徴である。

 どんなウソであるにせよ、子どものウソは、静かに問いつめてつぶす。「なぜ」「どうして」だけを繰り返しながら、最後は、「もうウソは言わないこと」ですます。必要以上に子どもを責めたり、はげしく叱れば叱るほど、子どもはますますウソの世界に入っていく。


(2)勉強の遅れ

Q 学年がかわり、勉強の遅れが目立ってきました。このままでは、うちの子はどうなるかと、心配でなりません。(小四女)

A アメリカでは、学校の先生が、子どもに落第をすすめると、親は、喜んでそれに従う。「喜んで」だ。これはウソでも誇張でもない。反対に子どもの学力が心配だと、親のほうから落第を求めていくこともある。「まだうちの子は、進級する準備ができていない」と。アメリカの親たちは、そのほうが子どものためになると考える。

 日本では、そうはいかない。いかないことは、あなた自身が一番よく知っている。しかし、二〇年後、三〇年後には、日本もそうなる。またそういう国にしなければならない。意識というのはそういうもので、あなたが今もっている意識は、普遍的なものでも、また絶対的なものでもない。

 さて、もし子育てで行きづまりを覚えたら、子どもは『許して忘れる』。英語では、「フォ・ギブ(許し)・アンド・フォ・ゲッツ(与える)」という。つまり「(子どもに)愛を与えるために、許し、(子どもから)愛を得るために、忘れる」ということになる。子どもをどこまで許し、どこまで忘れるかで、親の愛の深さが決まる。子どもの受験勉強で狂奔しているような親は、一見、子どもを愛しているかのように見えるが、その実、自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。自分の設計図に合わせて、子どもを思いどおりにしたいだけ。しかしそれは、真の愛ではない。

 否定的なことばかり書いたが、勉強だけがすべてという時代は、もう終わりつつある。(だからといって、勉強を否定しているのではない。誤解のないように!) 重要なのは、そのときどきにおいて、子どもが、いかに心豊かに、自分を輝かせて生きるかということ。その中身こそが、大切。

 相談のケースでは、何かほかに得意なことや、特技があれば、それを前向きに伸ばすようにする。子どもには、「あなたはサッカーでは、だれにも負けないわよね」というような言い方をする。子どもの世界には、『不得意分野を伸ばすより、得意分野を、さらに伸ばせ』という鉄則がある。子どもというのは不思議なもので、ひとつのことに秀でてくると、ほかの分野も、ズルズルと伸び始めるということが、よくある。

 さらにこれからは、一芸がものをいう時代。ある大手の自動車会社の入社試験では、学歴は不問。そのかわり面接では、「君は何ができる?」と聞かれるという。そういう時代は、すぐそこまできている。

 ところで『宝島』という本を書いた、R・スティーブンソンは、こう言っている。『我らの目的は、成功することではない。失敗にめげず前に進むことだ』(語録)と。あなたの子どもにも、一度、そう言ってみてはどうだろうか。


(3)好きになれない

Q 自分の子どもですが、どうしても好きになれません。いい親を演ずるのも、疲れました。

A 不幸にして不幸な家庭に育った人ほど、「いい家庭をつくろう」「いい親でいよう」と、どうしても気負いが強くなる。しかしこの気負いが強ければ強いほど、親も疲れるが、子どもも疲れる。そしてその「疲れ」が、親子の間をギクシャクさせる。

 子どもが好きになれないなら、なれないでよい。無理をしてはいけない。大切なことは、自然体で子どもと接すること。そして子どもを、「子ども」としてみるのではなく、「友」としてみる。「仲間」でもよい。実際、親離れ、子離れしたあとの親子関係は、友人関係に近い関係になる。いつまでもたがいに、ベタベタしているほうが、おかしい。

 ただ心配なのは、あなた自身に、何かわだかまりがあるとき。これをフロイト(オーストリアの心理学者、1856~1939)は、「偽の記憶(false memory)」といった。「ゆがめられた記憶」と私は呼んでいるが、トラウマ(精神的外傷)といえるほど大きなキズではないが、しこりはしこり。心のゆがみのようなもので、そのためどこかすなおになれないことをいう。そのゆがめられた記憶は、そのつど、あなたの心の中で「再生(recover)」され、あなたの子育てを、裏からあやつる。もしあなたが子育てをしていて、いつも同じ失敗を繰りかえすというのであれば、このわだかまりをさぐってみたらよい。

 望まない結婚であったとか、予定していなかった出産であったとか。仕事や生活に大きな不安があったときも、そうだ。あるいはあなた自身の問題として、親の愛に恵まれなかったとか、家庭が不安定であったとかいうこともある。この問題は、そういうわだかまりがあったということに気づくだけでも、そのあと多少時間はかかるが、解決する。まずいのは、そのわだかまりに気がつかないまま、そのわだかまりに振りまわされること。そのわだかまりが、虐待の原因となることもある。

 今、「自分の子どもとは気があわない」と、人知れず悩んでいる親は多い。東京都精神医学総合研究所の調査によっても、そういう母親が、7%はいるという。しかもその大半が、子どもを虐待しているという(同調査)。

 あるいは兄弟でも、「上の子は好きだが、下の子はどうしても好きになれない」というケースもある。ある母親はこう言った。「下の子は、しぐさから、目つきまで、嫌いな義父そっくり。どうしても好きになれません」と。

 親には3つの役目がある。ガイドとして、子どもの前を歩く。保護者として、子どものうしろを歩く。そして友として、子どもの横を歩く。このタイプの親は、友として子どもの横を歩くことだけを考えて、あとはなりゆきに任せればよい。10年後、20年後には、あなたは必ず、すばらしい親になっている。





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最終更新日  2006年11月23日 08時15分43秒
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