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楽天・日記 by はやし浩司

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2006年12月07日
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カテゴリ:育児エッセー
●心を失う子どもたち

 少し冷めた目で、受験教育をながめてみると……

 光あふれる進学塾。ガンガンとしゃべりつづける講師。それをただひたすら、黙々とノートをとる受講生たち。見ると、受講生たちは、みな、「必勝」と書いたハチマキをしめている。席は、前回の模擬テストの結果で決まる。右の最前列が、トップの学生。左の最後尾が、ビリの学生。それ以上成績が落ちると、二軍のBクラスに落とされる……!

 こういう授業を、すばらしいと思う親がいる。またそれが教育のあるべき姿だと思う親もいる。しかしこんなのは教育でも何でもない。ただの訓練。犬の訓練。いや、犬の訓練でも、そこまでしない。

 問題は、なぜこういう非常識が、日本の常識となってしまったか、である。それには長い歴史と、日本独特の学歴社会がある。それについては、また別のところに書くとして、こういう教育を受けた子どもほど、スイスイと人間選別期間を通りすぎていくというのは、まさに悲劇的ですらある。が、問題は、その先。

 仮にその子どもたちが、関門を通りぬけたとしても、それによって受けた心のキズは大きい。さまざまな形で、子どもの心を大きくゆがめる。高校や大学へ入ってから、精神を病む子どもも多い。日本では、それを指摘すると、教育システムそのものが崩壊する。だからだれもあえて問題にしようとしない。あるいはそれが日本人全体の国民性にまでなっている。だからだれも気づかない。

 たとえばガリガリの受験勉強を経験した人ほど、心が冷たくなる。これはウソでも何でもない。常識だ。それを疑うなら、あなたの周囲を少しだけ見回してみればよい。あなたの周囲には、心やさしい人もいれば、そうでない人もいる。しかし受験勉強とは無縁で育った人ほど、心やさしいということを、もうあなたはずでに知っているハズ。

 私は週末は、浜松市郊外の山荘で過ごす。そこで会う人たちは、明らかに浜松の人たちとは違う。どこがどう違うかということを書き始めたら、それだけで一冊の本になってしまうが、ともかくも違う。人間の質そのものが違う。山荘の周辺で会う人たちには、牧歌的な温もりがある。

しかし一方、もっともいじめが陰湿で、悪質なのが、県内でも一番と目されているS進学高校。はからずも私の息子もその高校に通ったが、3年間で、2度自転車が盗まれ、3度破壊された。ほかの小さな被害を数えたら、キリがない。この傾向は、有名国公立大学でも同じで、頭が切れる分(?)、さらに陰湿かつ悪質になる。

 だいたいにおいて、受験教育は教育ではない。「指導」である。点を稼ぐための指導である。そういう指導を、教育と錯覚し、受験指導をする講師もあわれなら、受講生たちはもっとあわれである。

先日も北朝鮮のコンピュータ学校を取材した番組を見たが、そこで学ぶ子どもたちは、まさに人間ロボット。画面を一心不乱にみつめながら、機関銃のようにキーボードを叩いていた。しかも見ると、小学1、2年生程度の子どもたちである。ああいうのを「教育」と思い込んでいる北朝鮮政府は、まさに狂っている。いや、日本だって、同じようなことをしている。国際的に見れば、それほど変わらない。

 私も若いころ、進学塾の講師をしたことがある。当時のやり方で、そして日本の常識的なやり方で、ただ一方的にガンガンとしゃべりながら授業を展開した。しかしそのやり方の基本は、私が高校時代、私の高校で身につけた教育法である。私はそれがあるべき教育の姿だと、信じて疑わなかった。あるいはほかの教育法を知らなかった。が、私はまちがっていた。私の教育法も、まちがっていた。そんなのは、教育ではない。ただの訓練。犬の訓練。いや、犬の訓練でも、そこまでしない。……と、話が繰り返しになったので、ここで書くのをやめる。
(02-11-7)

● 受験教育を、一度、冷めた目でながめてみよう。
● ああいう受験教育が本当に教育なのだろうか。それを一度、疑ってみよう。
● またああいう教育を通り抜けた人は、本当に優秀と言えるのだろうか。それも一度、疑ってみよう。





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最終更新日  2006年12月07日 07時44分18秒
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