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カテゴリ:日々の随筆
●『週刊新潮』を読む
++++++++++++++++ アメリカに住む息子のために、 毎週、週刊誌を買って送っている。 週刊誌というのは、立ち読みするか、 喫茶店で読むものと思っていた。 が、今は、ちがう。 まず買う。自分で読む。それから 息子に送る。 ++++++++++++++++ ●加山Y氏の妹 今日は、『週刊新潮』(2・22)を買ってきた。アメリカに住む息子に送るためである。インターネットの時代になったとはいえ、週刊誌には、それなりの意味がある。息子もそう言っていた。 日本の事情が、全体的につかめる。 日本の事情が、バランスよくつかめる。 日本の事情が、常識的に理解できる。 で、最初に目をひいたのは、歌手の加山Y氏と、実の妹の確執問題。実の妹が借金をかかえて、自己破産したという。それに対して、加山Y氏は、記者のインタビューに答えて、「冷めた関係を思わせるコメントが返ってきたのみ」(週刊新潮)とのこと。 「兄弟だから、仲がよいはず」と考えるのは、誤解でしかない。親から見れば、子どもは、みな、平等にかわいいかもしれない。しかし兄弟どうしの横のつながりは、必ずしも、親の思いどおりには、いかない。ばあいによっては、他人以上に、疎遠になることもある。 たとえばよくある例は、年がそれほどちがわない兄と弟、姉と妹などは、一般的には、それほど仲がよくないと言われている。兄や姉が、下の子に嫉妬(しっと)するのが原因と言われている。 だから長男、長女は、生活態度が、どうしても防衛的になる。ケチになる。 だから加山Y氏と、実の妹の関係が、週刊誌に書いてあるようだとしても、私は驚かない。むしろ逆に、「兄弟だから……」「姉妹だから……」という『ダカラ論』に縛られて、もがき苦しんでいる人は多い。 そんなわけで、一昔前なら、「加山家の恥」というようなタイトルで報道されたであろう記事も、今は、ちがう。「兄は兄」「妹は妹」という視点で、報道されている。加山Y氏自身も、「とにかくおたがい、一生懸命生きていこう、それだけです」とコメントを寄せている。 ●皇室接遇マニュアル +++++++++++++++++ 皇室の人たちを接待するための、 特別のマニュアルがあるという。 週刊新潮によれば、 (1) おしぼりは、かために。 (2) 便座カバーは、白 (3) ご先導は、2、3歩左ななめ前を……、と。 +++++++++++++++++ 皇室の人たちを接待するための、特別のマニュアルがあるという(「週刊新潮」)。たとえば、トイレについては、つぎのようにある。 (1) 洋式が望ましい。 (2) お手洗いは、両陛下専用のものを用意する。 (3) お手洗いに花を置く場合は、匂いの少ないものにする。 (4) 石けんは固形とする。石けん液などの設備があるばあいは、中の石けん液を抜いておくこと。 (5) 直接体が触れる部分(レバー、便座)については、消毒を行う。 (6) トイレットペーパーは、白地の上質なもの(新品)とする。 (7) 石けんケース(新品)、タオル(フェイスタオル、およびふつうのタオル)3枚。 (8) 水飲み用コップ、ミネラルウォーターなど、10種。 (こうした物品の配置図も、図解で説明とのこと。) ほかにもいろいろ書いてある。 (1) 御料車の御着時は、御先導位置で軽く一礼してお迎えする。 (2) 車を降りる順序は、皇后陛下が先で、ついで天皇陛下。 (御料車のドアの開閉は、必ず随行員が行うので、その妨げにならないように注意すること。) (3) 両陛下がお出ましになったら、先導者は、軽く前に出てお迎えする。 (1礼のあと、「御挨拶→自己紹介」を行い、御先導の旨を伝えること。) (4)「本日は、ようこそおいでくださいました」とあいさつする。 (5)御先導は、陛下のお近く、2、3歩ななめ前を進むのが自然であるが、場所の都合次第で、右ななめ前または中央前であっても、差し支えない。なお御先導の際に、両陛下の前を横切る場合は、直前を横切ることがないように注意すること。 ……以下、いろいろと書いてある。かなりの分量のマニュアルらしい。お茶の温度についても書いてある。「お茶の温度は、70~80度C」と。興味のある人は、『週刊新潮』を読んだらよい。しかし全体を読んでみると、どこか、ヘン。つまり、皇室の人たちを迎えるためのマニュアルが、どこか、皇室の人たちをバカにしたような印象すら受ける。つまりこんなマニュアルどおりに迎えられて、果たしてそれで皇室の人たちが、喜ぶとでも思っているのだろうか。リラックスできるとでも思っているのだろうか。 まるで皇室接待そのものが、演技化されているよう。たとえて言うなら、歌舞伎座の舞台でなされる演技のよう。皇室の人たちがそれを望んでいるのなら、私とて何も言うことはない。あるいは、このマニュアルを作成した人は、一度でも、「これでいいですか?」と、皇室の人たちに聞いてみたことがあるのだろうか。 すばらしいマニュアルと感心する前に、「何という窮屈な世界!」と、先に驚いてしまう。私の率直な印象としては、「今どき……ねえ?」といったところか。 この世の中には、「自然体」という言葉がある。自然な振る舞いの中にこそ、真実がある。本質がある。接待についても、同じ。皇室の人たちを尊敬する人々がいる。そういう人々が自然な振る舞いを通して、自分たちの敬意を表す。皇室の人たちはそれに感動し、そして喜ぶ。 どうしてそういう「自然体」を、もっと大切にしないのだろうか。……というところで、この話はおしまい。 週刊新潮は、つぎのように結んでいる。 「開かれた皇室とはいうものの、まだまだ一般の感覚とは遠いということなのである」と。まさに同感である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年02月18日 08時29分11秒
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